84 / 154
第13章 馬鹿と馬鹿
6
しおりを挟む薫はそれからすぐに下関を発った。
山口に寄らずそのまま長州を出ることも可能ではあったが、薫は敢えて山口に立ち寄ることにした。
やはり、山口は穏やかな街であった。
しかし、どことなく不穏な空気が漂っている。
一見すれば何も変わらない静かな町であったが、街中で見かける武士の姿は殺気をまとい、
周囲を見渡しながら歩いている。
利助の言っていたことが武士の間に広がり、間者に対する警戒心を強めているようだった。
早くここを出た方が良い。
薫は足早に街を出て長州を出る関所へと向かった。
「薫殿。」
後ろから薫の本名を呼ぶ男の声がした。
この町の人間は薫のことを薫とは呼ばない。
その名前を呼ぶとすれば、味方かあるいは…。
薫は恐る恐る後ろを振り向いた。
行李の影から除く男の顔は見知らぬ武士であった。
「赤根武人にござる。」
赤根武人。
それは、利助から聞いた裏切り者の名前。
利助達から見た裏切り者ということは、薫にとっては仲間ということになる。
しかし、ここでその声に応じることが果たして自分の為になるのかと躊躇われた。
「伊東殿から同志の説得を命じられた。話を伺えぬか。」
じりじりと赤根は薫との距離を詰めてきている。
まだ、振り向いたままの姿勢で何も答えようとしない薫は詰め寄る赤根を睨むばかり。
余りにも素直すぎるその男には密偵など向いているはずもない。
彼は伊東に捨て駒にされたのだ、と薫は悟った。
そして、薫は改めて男に向き直り、軽く会釈した。
「立ち話もなんですから、どこか中へ入りましょう。」
薫は街から外れた場所にある、古ぼけた茶屋の中に入ることにした。
後ろから赤根の引き留める声がしたような気がしたが、薫が歩みを止めることはなかった。
店主の案内で部屋に通され、ようやく薫と赤根は二人きりになった。
赤根は不満そうな顔でこちらを見ている。
「何もこんな店に入らずとも。」
「こんな店でなければできぬ話もあります。」
薫が入った茶屋はただの茶屋ではない、男と女が逢引きで使ういわゆる出会い茶屋という、
現代風に言えばラブホテルである。
普通の旅籠に入れば、客が傍耳を立てている。
こういう店であれば、誰も隣の部屋なんて気にも留めない上に、男女二人で店に入れば誰もそれ以上追及しない。
だから、薫はここを話の場に選んだのである。
「では、改めて。赤根武人にござる。」
彼は至極真面目な男なのだろう。
二人きりの場であっても、足を崩そうともせず、言葉も武士言葉を貫いている。
「東雲薫、と申します。今は、里と名乗っております。」
「新選組参謀、伊東先生のお力添えにより獄に囚われている所を助けていただき、
こうして今長州に入ることができました。」
「貴方のことを詳しく存じ上げないのですが、元は長州の方なのですか。」
「以前は奇兵隊の総督を務めておりました。俗論党が敗れた今、最早私の居場所はここにありませぬ。」
「ならば、どうして…長州に戻ってこられたのですか。」
「私には、こうするしかなかったのです。獄に囚われ、あとは死を待つのみの身でした。
そこに、伊東先生が現れて我々に協力すれば故郷に戻れると。」
「故郷に…。」
目の前に餌をちらつかせ、人の弱さにつけ入るなんて、姑息としか言いようがない。
「私の故郷は長州ではありませぬ。
一通り役目を終えたら、故郷の柱島に帰ろうと思います。」
彼はあまりにも楽観視しすぎている。
薫はそう思った。
「赤根さん。悪いことは申しません、今すぐ故郷に帰った方が良いです。」
「私には行かねばならぬ義理と理由がある。」
「既にあなたが山口にいることは遠くまで知れ渡っています。
裏切り者だと貴方を斬ろうと息巻いている人すらいます。」
「だとしてもだ。」
「伊東には私から貴方は死んだと伝えますから。」
「武士に二言はござらぬ。」
「伊東が貴方に何をしたというのです。
あの人は貴方のことを捨て駒にしか思っていない。」
「ご忠告痛み入る。されど、私も武士の端くれ。
このままでは長州は朝敵の汚名を着せられたまま、ご公儀に取り潰されてしまう。
私なりに、長州の行く末を思っての行動なのです。」
男って、本当に馬鹿ばかり。
死ぬとわかっていてどうして…。
命があれば、いくらだってやり直せる。
「そう、じゃあ勝手にすれば。」
「勝手にいたす。」
「だったら、故郷に帰らないことね。
貴方のお母さまも奥方も悲しむだけだから。」
薫はそれだけ言って、出会い茶屋を飛び出した。
そして、一分も振り返らず、長州を後にした。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【受賞作】狼の贄~念真流寂滅抄~
筑前助広
歴史・時代
「人を斬らねば、私は生きられぬのか……」
江戸の泰平も豊熟の極みに達し、組織からも人の心からも腐敗臭を放ちだした頃。
魔剣・念真流の次期宗家である平山清記は、夜須藩を守る刺客として、鬱々とした日々を過ごしていた。
念真流の奥義〔落鳳〕を武器に、無明の闇を遍歴する清記であったが、門閥・奥寺家の剣術指南役を命じられた事によって、執政・犬山梅岳と中老・奥寺大和との政争に容赦なく巻き込まれていく。
己の心のままに、狼として生きるか?
権力に媚びる、走狗として生きるか?
悲しき剣の宿命という、筑前筑後オリジンと呼べる主旨を真正面から描いたハードボイルド時代小説にして、アルファポリス第一回歴史時代小説大賞特別賞「狼の裔」に繋がる、念真流サーガのエピソード1。
――受け継がれるのは、愛か憎しみか――
※この作品は「天暗の星」を底本に、9万文字を25万文字へと一から作り直した作品です。現行の「狼の裔」とは設定が違う箇所がありますので注意。
三賢人の日本史
高鉢 健太
歴史・時代
とある世界線の日本の歴史。
その日本は首都は京都、政庁は江戸。幕末を迎えた日本は幕府が勝利し、中央集権化に成功する。薩摩?長州?負け組ですね。
なぜそうなったのだろうか。
※小説家になろうで掲載した作品です。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる