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第12章 戦争と平和
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しおりを挟む夜遅く、各藩との会合を終えた近藤が屯所へ戻った。
松本の胃薬を食後に出すとはいえ、胃痛の根本的な原因が解決したわけではない。
雄藩討伐という近藤の論を展開するにも、百姓上がりという近藤の出自を嘲り取り合おうとすらしない。
苦痛にゆがむ近藤の苦悶の表情が全てを物語っている。
「近藤局長、胃薬を煎じました。よかったらお飲みください。」
「薫君、いつもすまないな。これを飲むとだいぶ楽になるんだ。」
どんな時でも配下への心配りを忘れない。
胃痛で苦しい時ですら近藤は薫に対して笑顔を見せた。
きっと私がいると心休まらない。
笑顔を無理矢理はりつけたような近藤の表情がいたたまれず、薫は一礼して近藤の部屋を辞した。
廊下には寝間着姿の土方がたたずんでいた。
「近藤さんの調子はどうだ。」
扉の先にいる近藤に聞こえないよう、小声で土方は薫に尋ねた。
「やはり胃痛がひどいみたいで…、苦しそうです。」
「そうか、わかった。」
土方は近藤の部屋には入らず、そのまま自分の部屋に戻っていった。
誰よりも近藤勇を気遣う男の姿がそこにはあった。
「薫。」
「なんですか。」
仕事を終えた薫が部屋に戻ると、土方にある仕事を頼まれた。
「頼まれてくれるか。」
「局長のためなら、命に代えてでも。」
それは薫にしかできない大事なお役目であった。
あくる日の晩のことである。
薫は一年ぶりにある人の下へ向かった。
「花里…。」
「今日一日、またお世話になります。」
薫が頭を下げた相手はかつての師匠、花君太夫であった。
薫の帯びた特命は近藤の参加する宴に芸妓として同席し、近藤の様子を見て薬を飲ませるか、
最悪の場合は連れ出すというものであった。
花君太夫に事情を話すと、よろしおすと二つ返事で快諾してくれた。
久しぶりに芸妓の衣装に袖を通すと、一年前の思い出が克明に思い出される。
もう二度と身に着けないと思っていた衣装に少しだけ薫の心は躍った。
日は落ち、空が漆黒に包まれたころ、京の花街に明かりが灯る。
薫の呼ばれた席には既に近藤が杯を持ち、談笑している姿があった。
微笑を浮かべ、薫は近藤の隣に座る。
「近藤先生、花里どす。」
伏し目がちに薫は言った。
近藤は日ごろの薫の姿と似ても似つかない姿に驚きを隠せないでいた。
「あ、あぁ…。よろしく頼むよ。」
近藤には土方から話があったのだろう。
戸惑いながらも薫の差しだした酒を一気に飲み干した。
それからというもの、近藤の会合には花里という芸妓として顔を出し、近藤を支えた。
実際、他藩の家臣からの近藤に対する扱いは非常に差別的で、聞いているこっちが腹立たしいものも多かった。
「近藤君、何もそんなに長州を追い詰める必要はないんじゃないか。」
「我々はお家の大事を担っている身。一介の浪人風情に口出しされるいわれはない。」
「このような処で油を売らず、田畑を耕されたら如何かな。」
贅沢な着物で身を包み、豪華な拵えで飾り立てられた刀を携えた男たちは
無遠慮に近藤に対し酷い言葉を浴びせて帰る。
「近藤先生、冷は体に冷えますえ。」
徳利の中身を胃薬の煎じたお茶にすり替え、近藤に耳元でそう呟いた。
「かたじけない。」
近藤は一瞬だけ顔を引きつらせ、薬を飲むと再び凛々しい顔立ちに戻り、議論を交わした。
「確かにお手前方のおっしゃる通り、私は一介の浪士にすぎませぬ。
されど、長州が上様と天子様に盾突いたというのは紛れもない事実。
ご公儀に背くものがあれば諸外国に付け入る隙を与えます。
故に長州を討って日本を平定することは外敵からの侵略を防ぐ上でも重要なことではありますまいか。」
差別も侮蔑も跳ね返すほどの目力と胆力で近藤は持論を展開した。
その勢いと凄みに圧倒され、他の男たちはそれ以上近藤の身の上を悪く言うことはなかった。
戦争とはただ戦火を交える勝負事だけを言うのではない。
こうやって平和と思えるところでさえ、戦争は起きている。
そして、近藤は出自という大きなハンデを背負いながら、不利な戦いの中で一人戦っているのだ。
薫は胃の痛みを隠すように笑顔を浮かべる近藤の横顔を見て、そう思った。
「久しぶりごわす。」
座敷の扉が開くなり聞こえてきた声に薫は目を向けた。
西郷隆盛。
かつて山南と共に面会に行った、薩摩藩の重鎮である男が近藤の前に座っている。
今日は諸藩の中でも有力大名の一つである薩摩藩との会合。
西郷の後ろから用心棒として連れてこられたのか、中村半次郎が現れた。
中村は周囲を警戒しているのか部屋の辺りを一周見渡すと、薫の横に腰を下ろした。
「長州の息の根を止むっとは今しかなか。」
西郷はそう言うと、ささ、と徳利を傾け、近藤に酒を進めた。
近藤はそれに応じるように、杯を西郷の方に差し出した。
「先だっての戦、薩摩藩の見事な戦っぷりを拝見いたしました。
薩摩が味方に付けば百万の味方を得たに等しい。」
近藤がそう言うと、西郷は豪快に笑った。
「近藤さぁのようなお方にそげん言われるっとは、光栄なこつごわんど。なあ、半次郎。」
ギロリと鋭い眼が西郷の方を向き、そうでごわすと中村は西郷の発言に同意する。
この人とは本当に腐れ縁というものがあるらしい、と薫は思った。
じっと、中村を見つめていると中村と目が合った。
薫は花君太夫にかつて教わったように、ふふっと目元を笑わせてゆっくりと中村から目を逸らした。
色気をふんだんに振りまいて相手をかく乱させる戦法である。
中村から目を逸らした後、横に座る近藤を見遣った。
今日は胃の痛みを感じることなく、快適に宴を過ごしているようだ。
「今宵の一席は親睦でごわす。近藤先生も飲みやったもんせ。」
西郷は再び近藤に徳利を差し出した。
それから政治の話になることはなく、二人は故郷の話や江戸の話に花を咲かせた。
「おまんさあ、名は何と申す。」
西郷と近藤の話が盛り上がっている横で、薫は中村に酒を注げとせがまれた。
拒むわけにも行かず、薫は恭しく中村の持つ杯に酒を注いだ。
「花里どす。」
「よか名前じゃ。」
中村は杯をぐいっと煽ると一口で酒を飲み干し、そしてまた薫の前に杯を差し出す。
「おおきに。」
赤い漆で覆われた杯は透明な酒が満たされる。
中村は薫をじっと見つめながら、杯を再び煽った。
何を考えているのかわからない中村の目が薫を捕らえて離さない。
もしかしたら、正体がばれているのかもしれないとすら思った。
「美しか。」
思いがけない一言に薫は静かに動揺した。
しかし、その動揺をおくびにも出さずただ口元に微笑みをたたえるのみであった。
「じゃっどん、美しかもんには棘がある。」
朱色の杯が薫の顔の前に突き出された。
中村の挑戦的な目が薫を射抜く。
この男、相変わらず侮れない。
「棘があるか確かめておくれやすな。」
薫は中村の挑戦的な目に応えるように挑発的な笑みを浮かべる。
「面白か。」
中村は再び酒を煽り、今度は手酌で酒を注ぐと、並々と酒の注がれた杯を薫に差し出した。
「腕比べじゃ。」
この勝負は一度受けてしまえば、どちらか潰れるまで終わらないことを意味する。
勝負を吹っかけてくるあたり、相当の自信があるのだろう。
引くに引けず、薫は渋々中村の差し出した杯を受け取った。
くっと杯を傾けて口の中に流し込む。
既に酒を飲んで火照った身体に冷たい液体が流れ込んでいくのがわかる。
飲み干して薫は笑みを崩さず、徳利に手を掛けた。
「半次郎、帰っど。」
西郷は大きな体を揺らして立ち上がった。
その言葉を耳にした半次郎は面白くないという表情で空いた杯に自ら酒を満たすと、勢い良く飲み干した。
「また会いに来る。」
そう言い残して、中村は席を立った。
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