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第12章 戦争と平和
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しおりを挟む時代が浮雲急を告げている。
薩摩藩の働きにより第一次長州征伐は大きな争いにならずに収まったが、それで黙っている幕府ではなかった。
長州の息の根を止めるのは今しかないと言わんばかりに、
倒幕の動きありとこじつけて長州を討伐しようとする動きが幕府の中枢に巻き起こったのである。
これが世にいう第二次長州征伐と呼ばれるのであるが、戦火を交えるのはまだ先の話である。
「上様がご上洛?」
「長州征伐の勅許を得るためだ。
禁門の変、更には列強との戦で虫の息の長州を討つなら今しかない。」
山南亡き後、難しい政治の話をかみ砕いて教えてくれたのは頻繁に土方の部屋を訪れる齋藤だった。
「それで新選組は大坂から京までの道中を警護するお役目を仰せつかったという訳ですね。」
そういうことだ、と打ち粉を刀にポンポンと当てながら齋藤は答えた。
正直言って禁門の変以来、西本願寺を出入りする新選組は京の人から目の敵にされていた。
京の街に火をつけ、自分たちの住処を奪った大悪党とでも言いたげに、薫達に向けられる視線は白かった。
そんな中でも現代風に言えば総理大臣並、いやそれ以上の偉い人を警護する役目を得たのであるから、
薫は新選組がより一層鼻高々であった。
「暫時留守にする。」
隣室である、近藤の部屋から出てきた土方は部屋に戻るなり、薫にそう言った。
薫はすぐに体を床の間に向けて、刀を土方に差し出した。
「ご武運を。」
「齋藤、行くぞ。」
土方は薫に一瞥くれることもなく、部屋を出て行った。
珍しく齋藤は笑みを浮かべ、承知とだけ呟くとすぐにその背中を追った。
独りになった部屋で薫は一つため息をついた。
考えてみれば、土方のいないこの部屋で過ごすのは、薫にとって初めてのことであった。
近頃土方と接するたびに、ノブから言われた「夫婦」という言葉が目の前をちらつく。
ここまで無我夢中でやって来た薫には冗談で考えたことはあっても、
本気で土方と夫婦になるなんて考えもしなかった。
それだけ、薫の過ごす今の時間が平穏に満ちているということなのかもしれない。
生きるために、居場所を作るために、必死で生きてきた。
気づけばもう、ここに来てから二年の月日が経とうとしている。
大事な人とめぐり逢い、失い、そしてまた新たな出会いがある。
その度にずっと薫の傍に土方がいた。
さも傍に居るのが当然と言わんばかりに、土方の背中があった。
好きとか、嫌いとか、そういう次元でなく、傍に居るのが当たり前になっていた。
「夫婦か…。」
薫のつぶやきは誰に届くわけでもなく、花々が植えられた庭に霧散した。
「これは、東雲殿。」
ぼうっと庭を眺めていた薫の前に一人の男が立ちはだかった。
「三木先生。」
呆れたような口調で、薫はその男の名を呼んだ。
その男とは伊東甲子太郎の実弟、三木三郎である。
伊東らは今回の上様警護には参加せず、屯所の守りを固めると称して京に留まっている。
自分のいない間に好き勝手動かれるのが嫌で、土方は大反対したようだったが、
結局近藤がとりなして、伊東は屯所に残ることになったのだ。
「これから、西洋兵法にまつわる講義が開かれる。
東雲殿もそのようなところで油を売らず是非参加してみてはいかがかな。」
江戸から帰還した伊東は頻繁に勉強会と称した集まりを開くようになり、
新選組の中に近藤派とは一線を画す知識派とでもいうべき一大勢力を構築しつつあった。
そして、彼らは伊東に呼応するように露骨に新選組の中で尊王を強く訴えるようになっていた。
かく言う薫の元にも三木が頻繁に台所や土方の部屋にまで押しかけて来ては、
薫に伊東の勉強会に参加するようしきりに働きかけるのだ。
「近藤先生達が身命を賭して警護に当たっているのに、そんなことできませんよ。」
「これは心外な。
日々研鑽を積むこともまた、大事な責務。」
ふん、と心の中で三木の発言を嘲笑う。
社内の派閥争いほど醜いものはないわ。
組織の大きい会社にいた薫は嫌というほど派閥争いの無意味さを痛感していた。
あの先輩は誰それのグループだとか、この先輩についていけば出世できるとか、同期の間でもよく噂が立った。
時代が変わろうが、技術が進歩しようが、人の本質は変わらない。
薫はそれもまた、身に染みた。
「とにかく、私は一介の賄い方。
食事を作るので精いっぱいで勉強会に参加している暇はないんです。」
そう申す割には、毎日齋藤との剣術の稽古には精を出しているではないか。」
「それは、山南先生のご遺志を継いで齋藤先生が好意で教えてくださっているから…。」
「伊東先生の学問こそ、山南先生のご遺志を継ぐものだぞ。」
しつこい!
梅雨のべたつく暑さが薫の苛立ちを増幅させる。
「とにかく、興味ありませんから。
仕事があるので失礼します。」
薫は立ち上がって、仕事場である台所へ向かおうとした。
「副長からの指示かい。」
三木は薫の背中に向かってそう投げかけた。
思わず薫の足が止まる。
「まさか、副長が私の行動の一つ一つにやかましく口出す訳がありません。」
「それはどうかな。
君のような美童を囲って、やましいことをしているというのが専らの噂だぞ。」
三木は薫が女であることを知らされていない。
とはいえ、美童って…。
私もう二十歳過ぎてるんですけど。
「あれ、三木さんに薫じゃないか。珍しい顔ぶれだね。」
二人の間に入るように姿を見せたのは額の傷跡が痛々しい藤堂であった。
京に戻って来てからというもの、藤堂は近藤達と一緒に過ごす時間よりも
伊東派と行動することが目に見えて増えていた。
今もこうして、上様の警護ではなく、伊東と同じく屯所の守りに加わっている。
「藤堂先生も伊東先生の講義に参加されるんですか。」
薫は三木から藤堂に視線を移すとそう尋ねた。
「まあね。伊東先生のお話面白いよ。
薫もどう?」
悪意のない笑顔が薫の胸を締め付ける。
「遠慮しておきます。仕事がありますので。」
「今度時間があるときにでも参加してみなよ。
きっと、薫も面白いって思うはずだから。」
薫は作り笑いを顔に浮かべて、その場を辞した。
藤堂が遠い存在になっていくような気がして、一抹の寂寥感に苛まれた。
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