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第11章 過去と未来
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しおりを挟む佐藤家は相変わらず大きな屋敷であった。
庭園とも言うべき庭を抜けると、急に家庭的な雰囲気に変わり、鶏が軒先をうろちょろしていた。
土方は薫を玄関から少し離れたところで待たせると、一人屋敷の入り口へ入っていった。
中からノブの声がした。
変わらない、鈴の鳴るような声が。
「薫さん。」
玄関から姿を現した女性は、少し年を取っているけれど、確かに薫を救ったノブに間違いなかった。
「ノブ姉さん!」
薫はなりふり構わずノブに抱きついた。
ノブもよしよし、と言いたげに優しく薫の背中を摩る。
「生きていてよかった。」
ようやくノブの体から離れて、彼女と向き合う。
二十年という月日の長さを感じた。
薫がこの世界にやって来たときはまだ、年端もゆかぬ少女だったノブも、いつの間にか薫よりも年上になっていた。
「早く上がってくださいな。
歳三が来ると聞いていたから、今日は御馳走を用意しているんです。」
忙しなく女中が屋敷の中を行ったり来たりしている。
手にたくさんの料理を抱えて、夕餉の支度をしているようだった。
「2,3日世話になります。」
「もっとゆっくりしていけばいいのに。」
「日野に来たのも休みに来たわけじゃない。
藤堂君が村にも来たでしょう。
志願している者を選別するためにここに来たのです。」
「それはそうだけど…。」
姉の前くらい、素直になればいいのに。
美味しい食事をほおばりながら、強がる土方を横目に見た。
もしかしたら、大好きなお姉さんだから強がりたいのか。
そんなことを考えていると、土方から白い視線が注がれ、
更には咳払いまで食わされたので、それ以上深く考えるのをやめた。
「そうだ、薫さん。
貴方が来ていた服を私はずっと預かったままになっていたの。」
そう言って、部屋の奥から取り出してきたであろう、桐のお盆のようなものをノブは薫の前に差し出した。
和紙でできた包み紙をそうっと開けると、少しだけ褪せた薫のスーツが姿を現した。
「これ、私の…。」
「そうですよ。貴方の着物。捨てようにも捨てられなくて…。
毎年それを見て貴方を思い出していたの。」
「ノブ姉さん…。」
「それを見ているとね、貴方が確かにここにいたんだって、夢なんかじゃなかったって思い出させてくれるの。」
そんな高級な服ではなかったが、両親が就職祝いに買ってくれたオーダーメイドスーツだった。
服に触れれば、絹のような心地よい肌触りがした。
土方も興味津々に薫の洋服に触れた。
「この生地…。」
「さすが、呉服屋に奉公に出てただけあるわね。」
「その話は止しましょう。」
意地悪な笑みを浮かべて、ノブは歳三をからかった。
「歳三さん、どうされたのですか。」
「こんな生地、江戸中探し回っても見つからない。
上等な絹のような肌触りだ。」
「でしょう。
この生地に触れたとき、あの子は本当にかぐや姫だったんだって思ったの。」
「かぐや姫…。」
「そう思ったら、益々この服を捨てられなくて。
そしたら、歳三からの手紙に貴方と京で再会したっていうから。」
ノブはそう言いながら涙ぐむ。
「また会えて嬉しいです、薫さん。」
それから、薫と土方、ノブの三人は夜が更けるまで語り明かした。
喜六の死。
女中だった二人の嫁ぎ先の話や土方の幼い頃の思い出話に花を咲かせた。
止まったままだった薫とノブの時計の針はようやく動き出したのである。
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