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第11章 過去と未来
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しおりを挟む試衛館の門前には初老の男性の他に幾人かの女性と弟子と思われる人の姿があった。
そして、その人たちに紛れ込むようにして藤堂がこちらに大きく手を振っている。
「土方さん!待ちくたびれましたよ。」
「いろいろと助かった。」
額に残る傷は痛々しかったが、明るい藤堂の姿はいつもと変わらない無邪気な青年のままであった。
その表情につられてか、土方の顔も心なしか明るい。
池田屋の活躍もあって、希望者は鰻上りです。部屋に希望者の名簿を置いてます。」
「あぁ、これから目を通す。」
「伊東先生も来てるんですか。出立前にお手紙をいただきました。」
土方の表情が俄かに曇った。
「深川の方に顔を出すと言っていた。仕事が落ち着いたら会いに行くと良い。」
「ありがとう、土方さん。」
まるで自分の家のように藤堂は三人を中に導いた。
しかし、土方は藤堂の案内についていこうとはせず、一人の女性の前で立ち止まり頭を下げた。
「ツネ殿、暫時世話になります。」
「お勤めご苦労様でございます。」
文字通り淑女を形にしたような慎ましやかな女性が土方の挨拶に丁寧に返した。
この人が、近藤局長の奥方だという。
「し、東雲薫と申します。滞在の間、どうぞ何なりとお申し付けください。」
ふふっ、と可愛らしく笑う声がして、薫は頭を上げた。
「こんな可愛らしい隊士もおられるのですね。お話は夫から聞いております。」
「こいつにツネさんの上手い料理を仕込んでやってくれ。」
「承知しました。」
それじゃまるで私がいつも美味しくないご飯を作ってるみたいな言い方じゃない。
土方の意地悪な物言いに少々苛立ちを覚えながらも、薫は荷ほどきもそこそこに道場の台所へ向かった。
「何十人ものご飯をお一人で作られる方にはうちの台所は狭く感じるかもしれませんね。」
八木家や前川家のような上方の台所とも、土方家のような「お大尽」の家の台所とも違う、
素朴な江戸の台所がそこにはあった。
確かに、少し狭いけれどその分機能的な台所とも言える。
「とんでもないです。なんだかんだ手伝ってくれる人もいますから、そこまで苦労はしていないですよ。」
「そうなんですね。たまも早くお手伝いできるようになれば、お母さまはうんと助かるのですけれど。」
可愛らしい女の子がツネの背中からひょっこりと姿を現した。
初めて見る薫の姿に様子を伺っているのか、ツネの着物の裾を掴んで後ろに隠れている。
そうか。
この時代では私くらいの年で子供がいるのは当たり前だもんな。
現代で言えば、アラサーと呼ばれる域に到達しようとしている自分がいることに改めて気づかされる。
この時代に来てまもなく二年が経過しようとしている。
色々あったけど、私がこの手で自分の子を抱く日は果たして訪れるのだろうか、と薫は考えた。
「お母さま、たまもお手伝いします。」
「ありがとう、たま。もう少し大きくなったらお母さまのお手伝いしてくださいね。」
「今じゃだめ?」
ウルウルと目を潤ませて、たまは母を見上げる。
「今は自分で何でもできる練習をしなさい。
自分のことができるようになって初めて人の手伝いができるのですよ。」
はい、お母さま!と声を上げて、どこかへ去っていくたまの姿がとても可愛らしく思えた。
「近藤先生にどことなく似てらっしゃいますね。」
「口が大きなところはあの人そっくりです。」
ツネさんはよく笑う人だ。
薫は傍で接していてそう思うようになった。
貧乏時代の話をしているときも、一人で試衛館道場と隠居した義理の両親の面倒を見ている話をしているときも、
彼女はまるで楽しい話をするような明るい口調だった。
「近藤先生と離れ離れで、辛くありませんか。」
「辛いと思ったことはありません。
あの人の仕事は、国を守ることで、私の役目は家を守ること。
無事でいてくだされば、それで良いのです。」
武家の女はしなやかで良い、とよく土方が口癖のように言っていたが、
その意味がなんとなく分かるような気がした。
負の感情を表には出さず、静かに己の勤めを果たす。
彼女もまた、武士なのだ。
「山南さんはずっと一緒にやって来た仲間じゃないか!」
屋敷の奥から藤堂の怒号のような声が聞こえてきた。
薫は手を止めて、屋敷の奥へ向かう。
「法度に背けば切腹と決まっている。」
「だからって…。」
屋敷の奥座敷には土方と齋藤、そして藤堂が座っている。
どうやら、藤堂は山南の切腹を知らされていなかったようだった。
土方は冷めた目で憤る藤堂を見つめている。
藤堂の目からきらりと一筋の光が頬を伝い落ちた。
「土方さんの馬鹿野郎!」
藤堂は刀を握ると奥座敷から抜け出し、勢いそのまま試衛館道場すらも飛び出していった。
「齋藤先生、追わなくていいんですか。」
「屋敷を飛び出して向かうところは一つだ。」
「え…?」
言葉の意味が分からずに、思わず薫は聞き返してしまった。
「兄と慕う男が深川にいるだろう。」
土方は手に持っている台帳に再び目を落とした。
「まさか、そのために藤堂先生の気持ちを弄んで…。」
「山南の死を無駄にしないためだ。」
「こんなこと、山南先生は望んでいません!」
「望んでいようがいまいが、新選組のためには伊東の本性を暴き出さねばならない。」
薫を土方の目が射抜く。
そしてその目は間違いなく、血の通わない鬼の目をしていた。
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