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第11章 過去と未来

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藤堂が江戸に残り引き続き隊士募集に尽力してくれたことが功を奏し、

五十名ばかり新たな隊士が集まったらしい。

土方はそれらの面接等を行い、選りすぐりの男たちを京へ連れてくるのが今回の江戸行きの名目であった。

それに加え、道場を畳んで京にやって来た伊東も

色々とやり残したことがあったらしく、土方の同行者として手を上げた。

「君は不服かもしれないが、この度の江戸行き、私が行くことが最善と考えるがいかがかな。」

敵意むき出しの土方をあしらうように伊東は扇子を広げ顔を仰ぐ。

「伊東殿を急かすように江戸へ連れてきたのは私だ。

土方君も伊東殿と親睦を深める意味でも共に江戸へ行ってはくれまいか。」

「局長の命とあらば、俺はなんだってするさ。」

殺気を含んだ目を土方は伊東に向けた。



土方に頼まれていた着物を繕っている最中に、不機嫌な土方が勢いよく障子を開けて現れた。

どすん、と無遠慮に腰を下ろすと、そのまま大の字になって寝転がった。

嫌なことでもあったのだろう。

こういう時は何も聞かないのが一番だ。

薫は何も言わず、手を止めずに裁縫仕事を続けることにした。

「何があったのか聞かないのか。」

「…何があったんですか。」

相変わらず子供のような人である。

「江戸へ下るぞ。」

「良かったですね。」

「良かぁねえ。」

「どうして。」

「伊東も江戸に下る。」

不機嫌の理由がすぐにわかった。

ただでさえ、敵視している伊東と四六時中一緒にいなければならないのが相当嫌なのだ。

恐らくは局長あたりに懇願されたのだろう。

「伊東参謀のこと、なんでそんなに毛嫌いするんですか。」

素朴な疑問を土方に投げかけた。

「山南さんを殺したのはあの男だ。」

衝撃的な言葉が土方の口から告げられる。

「まさか、伊東参謀は山南先生と懇意の仲だったじゃありませんか。」

「だからだ。伊東は山南さんに近藤を裏切るよう手を回したんだ。」

「そんな根も葉もない…。」

「根も葉もなかったら俺だってこんなに毛嫌いするはずねえさ。

伊東には気を付けろ。

本当の鬼は仏のような顔をしているもんさ。」

土方の怒りを宿した目が薫を射抜く。

山南の静かな独白の裏には何かがあるのだと薫は悟った。

山南の死は薫の知らないところで新たないさかいの火種を生んでいた。



そして、それから暫くして土方、薫、伊東並びに齋藤は京を発ち一路江戸へ向かったのである。

齋藤が旅の仲間に加わったのは近藤の差配であった。

土方の一方的な伊東に対する敵意を心配した近藤は間を取り持つよう齋藤に言い含めていた。

「薫君、江戸は初めてかい。」

先を行く土方と齋藤とは対照的に、伊東は歩みの遅い薫に寄り添うように横を歩いた。

「いえ…幼い頃、副長のご実家に御厄介になっていました。」

「そうだったのか。私も日野に足を延ばしたいところだが、土方君は嫌な顔をするだろうね。」

「伊東参謀は、副長のことをどう思っていらっしゃるのですか。」

「どう、とは?」

「あんなに敵意を剥き出しにされてはいい気持ちはしないでしょう。」

「まあ、そうだね。しかし、それもまた土方君の可愛らしいところじゃないか。」

斬り殺さんとばかりの敵意に対して可愛いと豪語できる伊東の懐の広さは計り知れないものだ、と薫は感心した。

「伊東参謀は器の大きいお方ですね。」

「どうだい。私の下で働いてみたくなっただろう。」

「やめておきます。参謀の下についたと知ったら、副長は敵意ではなく刃を向けますよ。」

「ハハハ、実に面白い。土方君が君を手放さない理由がわかった気がするよ。」

「おい、薫!そんなちんたら歩いていたら次の宿場につくまでに日が暮れちまうぞ!」

坂道の上の方から怒号が聞こえてくる。

どうやら薫と伊東が仲睦まじく歩いているのが気に食わないようだ。

「今追いつきますから!」

薫は急いで山を登り、伊東は身軽に薫の後を追いかけた。

土方に追いつく頃、薫は息が上がって仕方がないというのに、伊東は汗一つかかず土方に笑顔さえ向けている。

「す、すみません…。」

「行くぞ。」

スタスタと歩く土方を置いて、齋藤は薫の足を見つめている。

「その足で歩けるのか。」

慣れない草履で親指と人差し指の間が血に染まっていた。

本当は痛くて仕方がなかったが、薫は平気です、と無理やり笑顔を作った。

「副長、駕籠にいたしましょう。」

「駄目だ。無駄遣いはできぬ。」

「東雲のこの足では一里と持ちませぬ。」

土方はようやく足を止め、薫の方に向き直った。

「斎藤、お前は東雲と駕籠で来い。」

「東雲を連れていくと決めたのは副長です。小姓の身を案じるのもまた、上の勤めかと。」

「言うなぁ、齋藤。」

「齋藤君の言う通りだ、土方君。私と齋藤君で宿を取っておく故、今は薫君の傍にいて差し上げよ。」

土方は少しムッとした表情をしたが、齋藤の言うことも一理あると思ったのか折れて駕籠を呼ぶことにした。

齋藤の提案は果たして正解であった。

というのも、伊東と離れたことによって土方の張りつめていた緊張はほぐれ、表情も柔和になったからである。

「痛むか。」

「本音を言えば、かなり痛いです。」

「そういうことは早く言え。」

「すみません。」

こんな優しい顔をした土方はいつぶりだろうか。

鬼と呼ばれる男の本当の顔は仏のようだった。


茶店で出されたお茶を二人ですする。

街道沿いに植えられた桜は既に散り、葉桜となっていた。

「桜、散っちゃいましたね。」

「今年は桜を楽しむ暇すらなかったな。」

「八木さん家の庭にあんな見事な桜の木があったのに。」

「あぁ、そうだったな。」

「来年の春は壬生寺に桜を見に行きましょう。」

「わざわざ壬生寺に見に行かなくても桜はどこにでもある。」

「壬生寺の桜じゃなきゃダメです。」

「そうか…。」

「約束ですよ?」

土方は笑って、ああと答えた。



強がりな歳三さん。



山南さんが亡くなってから桜ばかり眺めて物思いに耽っていたのを薫は知っている。

彼にとっての桜の思い出が血で染められてしまわぬように。

これ以上、彼が悲しみを背負わなくてもいいように。

来年の桜は土方の思い出を塗り替えるような見事な花をつけてほしいと、薫は願わずにいられなかった。


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