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第10章 誠か正義か

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眠れない。


土方は既に寝息を立てている。

薫は半纏を羽織り、部屋の外へ出た。

雲はいつの間にか消え、空は晴れ渡り、月明りが煌々と夜を照らしている。




いつからだろうか。

月を見ても、元の時代に戻りたいと願うことがなくなったのは。

かつてはかぐや姫のようだとさえ言われたこともあったのに。

月だけは何も変わらず私を照らしてくれる。



稔麿さんは長州復権に奔走し、命を懸けた。

平野さんは己の正しさを天に委ねた。

そして、山南さんは正義と誠の為に命を捧げようとしている。



私は、何故ここにいるのだろうか。

命が一番大事と教えられている世界から正義が命よりも遥かに重い武士の世界に一人取り残されて、

神様は一体私に何をしろというのだろうか。

自分の大事な人たちは私を置いて旅立っていく。

今更元の時代に戻りたいなんて、思わない。

でも、歴史にも疎い自分が何故この時代にいるのかわからなかった。



それからどれほどの時が経ったか知れない。

気づけば瞼は泣き腫らして、膨れている。

このままじゃ、明日土方に笑い者にされるだろう。

薫は静かに立ち上がり、井戸へ水を汲みに行った。



「誰。」

井戸の近く、人影が動くのが見えた。

今は刀を持っていない。

こんな夜更けに屯所を抜けるのは、脱走者以外考えられない。

下手をすれば、返り討ちに遭うかもしれない。

薫は近くに落ちていた棒切れを拾い、構えた。

「本当に、敵わないな…君には。」

物陰からすっと姿を現した男を月が照らし出す。



現れた男の正体は旅人姿の山南だった。

薫の手から棒切れがぽとりと落ちた。

唇がわなわなと震え、声にならない。



局を脱する者を許さず―。



その法度を定めた張本人が今、脱走しようとしている。

「何も言わず、見逃してくれないか。」

「見逃したら生きていてくださるのですか。」

山南の顔は笠が陰を作ってよく見えない。

そして、山南は何も答えなかった。

「だったら、私は全力で山南先生をお止めします。」

薫は勢いよく山南に近づいた。

とっさの動きに山南は刀を抜いた。

しかし、薫の方が一足早かったのか、気づけば薫の体は山南を抱きしめていた。

「どこにも行かないで。」

薫は声を上げて泣いた。

何の騒ぎだ、と誰か起きてくれればいいとさえ思った。

山南は薫を抱きしめ、そして優しく頭を撫でた。

何度も何度も頭を撫でた。

「薫君、私がいなくても君はやっていける。」

山南の腕の中でそんなことない、と子供のように駄々をこねた。

「君はもう一端いっぱしの武士だ。」

「武士なんかなりたくない。

山南先生が死ぬのを黙って見ていることが武士の役目だと言うのなら、

私は武士になんて…なりたくありません。」

「しかし、私は武士だ。」

山南は薫の体を優しく自分の身から引き離した。

「志の為に、正義の為に死ぬことが許される唯一の身分なのです。」

薫の両肩を掴み、膝を曲げて薫の目線までその身を屈めた。

「そして、薫君…。君は既に命を賭して志を遂げようとしている。」

「え?」

「君の正義は土方君そのものだ。」

山南は薫の頬に触れ、薫の涙を指で掬った。

「何故新選組ここにいる?

どうして女としての幸せを捨てて、武士として振舞おうとする?」

「それは…。」



ここにしか居場所がないから。

ううん、違う。

選ぼうと思えば、稔麿さんの手を取って新選組から抜け出すことだってできたはずだ。

それでも、稔麿さんを選ばずに歳三さんを選んだのは、

歳三さんが、副長が私の居場所を作ってくれたから。

だから、私は歳三さんのために自分のできることなら何でもやって来た。



「君は既に命を懸けて正義を貫こうとする武士そのものだ。」

それでも、山南先生が死ぬことを肯定したくはない。

けれど、もう私には山南先生の死を止める権利などない。



だって、私は武士だから。



薫は文字通り崩れ落ちた。

そして、山南を見上げた。



「許せ。」



山南はそう呟くと、薫の元から離れ屯所を出て行った。






夜が明けた。

結局どうやら一睡もできなかったらしい。

目は赤く腫れ、泣きすぎて声はガラガラだ。

それでも容赦なく朝は来て、食事を作らなければならない。

一人で竈に火をたき、茶碗を準備する。

朝餉の支度が整った頃、屯所が俄かに騒がしくなった。



「薫。」

土方の呼ぶ声がして、後ろを振り向けば、掴みかからんばかりの勢いで薫は土方に詰め寄られた。

「お前、何か知ってるだろう。」

「何かって…。」

「とぼけるな!」

蛇ににらまれた蛙のように、薫は固まってしまった。

「やめろ、トシ!」

後ろから土方を追いかけてきた近藤が土方の肩を掴んで薫から引き剥がす。

「薫君に当たるなんて、お前らしくないぞ。」

「知っていることは洗いざらい吐け。」

近藤に制されながらも土方の態度は変わらなかった。



―君の正義は土方君そのものだ。―

山南の言葉が頭をよぎる。

それをわかっていて、山南は薫に全て打ち明けたのだ。

薫はまっすぐ土方を見て言った。



「山南先生は…死ぬおつもりです。」


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