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第10章 誠か正義か
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しおりを挟む帰り道、薫と山南は茶屋で一休みすることにした。
「山南先生、お見事です。」
敵意むき出しの相手を前に、教養の高さを以てカウンターパートの男を懐柔して見せたのだ。
「久しぶりに、お役に立てて嬉しいよ。」
山南は笑った。
「西本願寺に移転すれば、隊士もたくさん増やせるし、街にだって近くなりますね。」
「薫君は、純粋だな。」
薫を見る山南の目は遠い目をした。
どこか遠くへ行ってしまいそうな、そんな感じがした。
「江戸へ、帰ろうと思う。」
薫は言葉を失った。
新選組も山南敬助という男もこれからというときに。
どうしてそんなことを言うのだろう。
温かいぜんざいを二人の前に置かれる。
白い湯気が赤い茶碗から飛び出して、そして宙に消えた。
「君にだけは私の心中を知っていてほしい。」
そして、山南は静かに語り出した。
「江戸を発ったのはちょうど今から二年前のことだ。」
私は仙台の生まれでね。
代々藩の剣術師範を務める家柄で、私も例に漏れず剣術の道に進んだ。
そして、剣を磨くため江戸の名だたる道場の門を叩いた。
その一つが玄武館であり、試衛館だった。
道場というものは黒船来航以来、尊王攘夷の志の下喧々諤々の議論を交わす場にもなりつつあった。
そのときに平助とは知り合ってね。
同じ玄武館に出入りしていた彼には君のように学問の手解きをしたこともあった。
当時、江戸に近藤勇という男あり、というのはわずかばかりだが噂になっていた。
多摩の人々に慕われ、その腕を買われて近藤家の養子となって天然理心流を継いだと。
若かった私は興をそそられ、試衛館の門を叩いた。
剣の腕は勿論のことだったが、なにより近藤さんの謙虚な姿と真っすぐな心に一瞬で心を掴まれた。
それから、私は玄武館を辞め、試衛館に入門したのだ。
次第に今の新選組の仲間たちが試衛館に集まって来て、試衛館は賑やかになった。
私を追いかけてきた平助。
内弟子で近藤さんよりも入門は古い源さん。
真っ赤な面紐で人目を集める派手好きの土方君。
若いのに強く無邪気な沖田君。
私と同じように武者修行の末流れ着いた永倉君。
気づいたら食客になっていた原田君。
時折道場に出入りし、静かに稽古に励む齋藤君。
試衛館に場所は変わっても国を憂う議論は絶えなかった。
そんなある日のことだ。
久方ぶりに玄武館に顔を出すと、清河という男に会った。
彼は兵を集め、将軍警護の為京へ上ると言うのだ。
国の為に、ひいてはご公儀の為に働きたいと常々口にしていた
近藤さんにとって願ってもない話だと私は飛びついた。
その話をしたら、近藤さんも土方君も大喜びしてね。
そのとき、私は近藤勇という男に賭けようと誓ったんだ。
彼に忠義を尽くすことが、日本の為になるのだと。
私と土方君は京に上ってからというもの、事あるごとに衝突していたが、不思議と根っこの所は通じ合っていた。
近藤さんの為にという強い思いで、ここまでやって来た。
しかし、時流がご公儀にとって向かい風が吹いてもなお、ご公儀は近藤勇という男を認めようとはしなかった。
かつて身分を咎められ、講武所での仕官を断られたときと同じ屈辱を近藤さんに何度も味合わせた。
太平に胡坐をかき、夷敵を討ち払おうともしない幕府。
未だに身分を引きずり、近藤勇という男を蔑む武家社会。
近藤さんが胃痛を抱えていることは君も知っているだろう。
あれは単なる胃痛ではない。
日々諸藩との会合で近藤さんは身分のことを言われながらも、
笑顔で耐えている苦しみから来ているものだ。
私はそれが許せない。
土方君は近藤さんと同じ多摩の生まれ。
ご公儀を疑うということを知らない。
そも、ご公儀なんて言うものは眼中にないのかもしれない。
近藤勇を大名にする、なんて京に上るときに言っていたぐらいだからね。
あのときは大それたことを言うもんだと思っていたけれど、
それを本当にやってしまうのではないかと私でさえ思うのだから、
土方歳三という男は本当にすごい。
だけどね、私はそこまで楽観的ではない。
このまま、近藤勇という男を使うだけ使って、ご公儀は近藤さんを見捨てるんではないか。
そう考えてしまうときがある。
そして、そのときいつも思い浮かぶのは六角獄で見た地獄だ。
何の言い分も裁きも受けられずに、彼らは見殺しにされた。
あれが近藤勇の未来ではないかと恐ろしい考えに襲われるのだ。
そんなとき、平野殿の詩が思い出される。
国を憂い十年、
東に走り西に馳せ
成敗は天に在り
魂魄は地に帰る。
己の信じるところを信じぬき、地獄を前にしても身じろぎ一つしなかった彼の姿が、私を変えた。
ご公儀に正義はない。
腐った屋台骨を直すには一度更地にするしか道はない。
だが、それを近藤勇という男は許さないだろう。
屋台骨が腐っているというのなら、共に朽ち果てると近藤さんならきっと言うはずだ。
「最早、私の正義と近藤勇の誠は並び立たぬところまで来てしまった。」
冷たくなった小豆の下に隠れた餅は既に固くなり、食えたものではなかった。
それでも、薫は茶碗を持ち上げて餅を噛切ろうと必死になった。
そうでもしなければ、己の涙を山南に曝け出してしまう。
山南敬助は、死ぬつもりなのだ。
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