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第8章 絆と予感
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しおりを挟む「留守を頼んだ。」
「江戸の皆によろしくな。」
「あぁ。トシが新地でも引く手数多だと伝えておこう。」
「余計なお世話だ。」
それから暫くして、隊士を募るため近藤は永倉と共に江戸へ下ることになった。
藤堂が勧誘していた道場主の伊東の新選組への加入が決まったからである。
土方は近藤の背中が見えなくなるまで、門の前で近藤らを見送った。
なんだか、近藤先生の奥さんみたい。
土方の近藤に対する甲斐甲斐しさはまるで三歩後ろを歩く武家の本妻のようである。
「何考えてんだ。」
そんなことを考えていると、土方の鋭い眼が薫に注がれる。
「別に、なんでも。」
「ほう、俺に嘘がつけるようになったとは。」
「嘘じゃないです。なんでもないです。」
「どうせ、ろくなこと考えてないだろ。」
「副長だって女の人のことばっかり考えてるくせに。」
んだと、と拳が頭に降ってくるのを寸でのところでうまく躱す。
「まったく、眠れなくてもお伽話聞かせてあげませんからね。」
薫はそう言って全速力で土方から逃げる。
門の方から、いつの話だと顔を真っ赤にして叫ぶ声がしたけれど、
そんなことは意にも介さず屋敷の中に逃げ込んだ。
部屋に戻れば、「諸国外記」が机の上に置かれたままになっていた。
薫がそこに置いてから幾日か過ぎているのに。
この本が手に入ったことが気に食わなかったのかな。
少々ふくれっ面になってそんなことを考えた。
「こんなところにいやがったか。」
先ほどの言い争いは土方の中でまだ終わっていなかったらしい。
「同じ部屋で暮らしているんですから、こんな所にいやがっても不思議じゃないでしょう。」
「近頃、口が減らないな。」
こちらに来たばかりの時は淑やかで可愛げがあったというのに、
と愚痴る土方の背中に薫は、
「可愛げがなくなったのは副長のせいですね。」
と言葉を浴びせた。
「そんなことばっかり言ってると嫁の貰い手がなくなるぞ。」
土方の言葉に、ふと気づかされる。
そういえば、私はもうそういうお年頃なのだということに。
考えもしなかったが、
江戸時代で二十歳を過ぎても結婚していない女性は行き遅れらしい。
そういえば、この世界に飛ばされてきてそろそろ一年が経とうとしている。
二十歳もとうに過ぎた身だから、この時代では私は…。
首を振ってその先を考えるのをやめた。
考えたって仕方がない。
そもそもここでは一応男性としてふるまっているのだから、
貰い手がなくて当然なのだから。
危ない、危ない。
副長の口車に乗せられるところだった。
「お前にも悩むことがあるんだな。」
「土方さんこそ、ご自分も行き遅れますよ。」
「自分も、という辺り、行き遅れている自覚はあるのか。」
「私は、男ですから。」
ふん、と突っぱねて薫は言った。
土方はからかうのが楽しいのか不敵な笑みを浮かべている。
「しかし、この本どうやって手に入れたんだ。」
土方の声色が変わり、瞬時に仕事モードへ切り替わる。
それに応じるように、薫も居住まいを正して土方に向き直った。
「先日山南先生と薩摩屋敷に赴いた際に、中村さんがお返しする、とおっしゃってくださいました。」
「お返しする?」
ぱらぱらとページをめくりながら、土方は薫に尋ねた。
「以前本屋でその本を買った人が薩摩の中村半次郎という男だったみたいです。」
土方は何か思案しているのか顎に手を添えて黙って手元の本を眺めている。
もし、さっきの山南先生の推理が正しいのであれば、
中村さんと交わした会話は土方さんにとって大事なヒントになるかもしれない。
「その本は西郷先生が読むために買ったと言っていました。」
「西郷…。西郷吉之助か。」
それから、と薫は続ける。
「中村さんからも誰が読むのか聞かれたので答えたのですが…。土方さんだと告げると面白いって言ってました。」
ピクリ、と土方の眉毛がわずかに動いた。
「いい仕事をしたな、薫。」
「え?」
「俺が褒めることなんざ滅多にない。喜べ。」
そう言うと、土方は本を持ってどこかへ行ってしまった。
土方には何かが見えているらしいが、薫には何一つわからなかった。
北風が吹き抜け、中庭に大きく咲いた菊の花が揺れた。
冬はもうすぐそこまで来ている。
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