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第8章 絆と予感
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一冊の本。
薫が土方に渡しそびれた本である。
結局、あの晩は土方が部屋に戻ってくることはなく、
以来薫は薩摩の中村半次郎からもらったこの本を土方に渡せずにいたのだ。
「どうしたんですか、ため息なんてついて。」
部屋の主が帰って来た。
「山南先生、お帰りなさい。」
山南にどうしたものか、と相談しようと部屋を訪ねた薫だったが、
山南が不在だったので帰ってくるまで部屋で待たせてもらっていた。
折角なので山南の脱いだ羽織を薫は預かり、丁寧に畳むことにした。
「おや、この本は…。」
山南は畳の上に置かれた一冊の本に目が留まり、手に取ってぱらぱらとめくった。
「この前薩摩屋敷に行ったときに中村さんがくださった本です。」
「君が読むのかい?」
「まさか。あ、そうそう、実は面白い話が合ってですね。」
薫は山南の前に座ると先日の本屋でのやり取りから一連のやり取りについて一部始終を山南に語った。
「そういうことだったんですね。しかし、この本を土方君が読みたがるとは…。」
「中村さんもそんなこと言ってましたけど、何の本なんですか、それ。」
「この本は『諸国外記』と言ってね、発禁本なんだ。」
興味深い本なのか、山南のページをめくる手は止まらない。
「はっきん?それって、ご公儀が出版を禁止したということですか。」
山南の手元を覗き込んで、本の内容を確かめようとしたが、
難しい言葉が羅列してあるばかりで中身は全然わからなかった。
「ご名答。そも、本屋に並ぶような本ではないんだよ。」
「ではどうして。」
「先だっての戦もあってどさくさに紛れて売り出している所もあるのだろう。」
「どうしてそんな本を副長は欲しがったんでしょうか。」
「これは僕の推測に過ぎないけれど、この本を欲しがった人を知りたがったのでは。」
山南は本からチラリと私に視線を移してそう言った。
「この本は、海外特に西洋の政治について書かれている本だ。
これを欲しがるということは少なからず今の政治体制に疑問を持っていると言えなくもない。」
確かに、あの時土方さんは誰が買ったのか確かめた後、それ以上その話はしなかった。
「じゃあ、薩摩藩は…。」
そこまで口を開いたところで、薫は重大なことを思い出した。
薩長同盟―。
幕府と敵対していた長州が、政治力と財力を兼ね備えた薩摩と同盟を組むことによって、
幕府を倒そうとする勢力が大きくなった。
そんなことが歴史の教科書に書いてあったような気がする。
高校生の時はいまいち頭に入ってこなかったけど、今ならわかる。
今の京都で薩摩の存在は大きい。
この前の戦だって、会津だけでは長州を討ち払うことはできなかったはずだ。
それに大量の兵を京都に送るだけの財力がある。
しかし、この本を西郷隆盛が欲しがったということは既に幕府を見限り、
歴史通り新しい政府を作ろうと考えているというのだろうか。
薫は自分が歴史の勉強をしてこなかったことを悔やんだ。
薩長同盟が一体いつ起こるのかなんていうのは覚えていないし、
その前後でどんなことが起きるのかもわからない。
「先日、中村殿から手紙をもらってね。」
山南は腕を組み、硬い表情で言った。
「話がしたい、と。」
山南は幕府に絶望している。
そんな彼が薩摩藩から話がしたいと言われれば、喜んで馳せ参じることだろう。
土方の身を思えば、行ってほしくない。
でも、山南の立場からすれば・・・。
「行かれるのですか。」
「本音を申せば…。」
山南は声を落として続けた。
「長州を追い詰めることが本当に日本の為になるのか、甚だ疑問だ。」
今、幕府は長州討つべしと息巻いて、各藩に出兵の支度を整えるよう命じていた。
実際、薩摩藩は既に京に多くの兵を集め、いつでも長州に攻められるよう準備万端であるというのを
先日薩摩屋敷を訪れた際に実感した。
「とはいえ、それを口にすることは近藤さんや土方君を裏切ることになる。」
「裏切るなんて、そんな。」
「近藤さんたちからすれば、ご公儀に対し疑問を持つことすら裏切りなのだよ。
彼らは天領に生まれ、上様から代々江戸の守りを命じられている誇りがある。」
「では、先生はどうされるおつもりですか。」
「無論、薩摩とはもう関わらない。」
そう断言する山南の姿に安堵の気持ちと心配する感情が交差する。
「私が新選組総長である限り、近藤さんと意を異にすることは許されない。」
それじゃあ、山南先生が苦しいばっかりじゃないですか。
薫は喉まで出かけた言葉を必死に引っ込めた。
「山南先生。」
「なんだい、薫君。」
「私の前だけでも、本当のご自分の気持ち、話してくださいね。」
薫は袴をぎゅっと握りしめて言った。
優しすぎる山南に少しでも寄り添いたい。
心からそう思った。
「ありがとう、薫君。」
山南の笑顔はどこか苦しく、そして嬉しそうにも見えた。
結局、中村から受け取った本は風呂敷に包んだまま土方の机の上に置いておくことにした。
土方は忙しく駆け回っているらしく、あれから部屋でも姿を見かけない。
夜遅く帰って来たかと思えば、部屋では眠るだけで話すらしない。
本当はすこしくらいほめてほしかったけど。
そんなことは望むべくもなかった。
薫が土方に渡しそびれた本である。
結局、あの晩は土方が部屋に戻ってくることはなく、
以来薫は薩摩の中村半次郎からもらったこの本を土方に渡せずにいたのだ。
「どうしたんですか、ため息なんてついて。」
部屋の主が帰って来た。
「山南先生、お帰りなさい。」
山南にどうしたものか、と相談しようと部屋を訪ねた薫だったが、
山南が不在だったので帰ってくるまで部屋で待たせてもらっていた。
折角なので山南の脱いだ羽織を薫は預かり、丁寧に畳むことにした。
「おや、この本は…。」
山南は畳の上に置かれた一冊の本に目が留まり、手に取ってぱらぱらとめくった。
「この前薩摩屋敷に行ったときに中村さんがくださった本です。」
「君が読むのかい?」
「まさか。あ、そうそう、実は面白い話が合ってですね。」
薫は山南の前に座ると先日の本屋でのやり取りから一連のやり取りについて一部始終を山南に語った。
「そういうことだったんですね。しかし、この本を土方君が読みたがるとは…。」
「中村さんもそんなこと言ってましたけど、何の本なんですか、それ。」
「この本は『諸国外記』と言ってね、発禁本なんだ。」
興味深い本なのか、山南のページをめくる手は止まらない。
「はっきん?それって、ご公儀が出版を禁止したということですか。」
山南の手元を覗き込んで、本の内容を確かめようとしたが、
難しい言葉が羅列してあるばかりで中身は全然わからなかった。
「ご名答。そも、本屋に並ぶような本ではないんだよ。」
「ではどうして。」
「先だっての戦もあってどさくさに紛れて売り出している所もあるのだろう。」
「どうしてそんな本を副長は欲しがったんでしょうか。」
「これは僕の推測に過ぎないけれど、この本を欲しがった人を知りたがったのでは。」
山南は本からチラリと私に視線を移してそう言った。
「この本は、海外特に西洋の政治について書かれている本だ。
これを欲しがるということは少なからず今の政治体制に疑問を持っていると言えなくもない。」
確かに、あの時土方さんは誰が買ったのか確かめた後、それ以上その話はしなかった。
「じゃあ、薩摩藩は…。」
そこまで口を開いたところで、薫は重大なことを思い出した。
薩長同盟―。
幕府と敵対していた長州が、政治力と財力を兼ね備えた薩摩と同盟を組むことによって、
幕府を倒そうとする勢力が大きくなった。
そんなことが歴史の教科書に書いてあったような気がする。
高校生の時はいまいち頭に入ってこなかったけど、今ならわかる。
今の京都で薩摩の存在は大きい。
この前の戦だって、会津だけでは長州を討ち払うことはできなかったはずだ。
それに大量の兵を京都に送るだけの財力がある。
しかし、この本を西郷隆盛が欲しがったということは既に幕府を見限り、
歴史通り新しい政府を作ろうと考えているというのだろうか。
薫は自分が歴史の勉強をしてこなかったことを悔やんだ。
薩長同盟が一体いつ起こるのかなんていうのは覚えていないし、
その前後でどんなことが起きるのかもわからない。
「先日、中村殿から手紙をもらってね。」
山南は腕を組み、硬い表情で言った。
「話がしたい、と。」
山南は幕府に絶望している。
そんな彼が薩摩藩から話がしたいと言われれば、喜んで馳せ参じることだろう。
土方の身を思えば、行ってほしくない。
でも、山南の立場からすれば・・・。
「行かれるのですか。」
「本音を申せば…。」
山南は声を落として続けた。
「長州を追い詰めることが本当に日本の為になるのか、甚だ疑問だ。」
今、幕府は長州討つべしと息巻いて、各藩に出兵の支度を整えるよう命じていた。
実際、薩摩藩は既に京に多くの兵を集め、いつでも長州に攻められるよう準備万端であるというのを
先日薩摩屋敷を訪れた際に実感した。
「とはいえ、それを口にすることは近藤さんや土方君を裏切ることになる。」
「裏切るなんて、そんな。」
「近藤さんたちからすれば、ご公儀に対し疑問を持つことすら裏切りなのだよ。
彼らは天領に生まれ、上様から代々江戸の守りを命じられている誇りがある。」
「では、先生はどうされるおつもりですか。」
「無論、薩摩とはもう関わらない。」
そう断言する山南の姿に安堵の気持ちと心配する感情が交差する。
「私が新選組総長である限り、近藤さんと意を異にすることは許されない。」
それじゃあ、山南先生が苦しいばっかりじゃないですか。
薫は喉まで出かけた言葉を必死に引っ込めた。
「山南先生。」
「なんだい、薫君。」
「私の前だけでも、本当のご自分の気持ち、話してくださいね。」
薫は袴をぎゅっと握りしめて言った。
優しすぎる山南に少しでも寄り添いたい。
心からそう思った。
「ありがとう、薫君。」
山南の笑顔はどこか苦しく、そして嬉しそうにも見えた。
結局、中村から受け取った本は風呂敷に包んだまま土方の机の上に置いておくことにした。
土方は忙しく駆け回っているらしく、あれから部屋でも姿を見かけない。
夜遅く帰って来たかと思えば、部屋では眠るだけで話すらしない。
本当はすこしくらいほめてほしかったけど。
そんなことは望むべくもなかった。
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