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第7章 平穏と不穏
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しおりを挟む怪我が悪化して剣を振れなくなった山南の代わりに齋藤が剣術の指南を買って出てくれた。
「打ち込みが甘い。もう一回!」
理屈で教える山南と違って、齋藤は習うより慣れよ、と言わんばかりに激しい打ち込みが続く。
「は、はい!」
薫は息が上がる中、なんとか齋藤の言葉に返事をする。
ようやく稽古が終わった頃には夕餉の支度をしなければならない時間になっていた。
汗だくの稽古着のままで、台所へ向かうと既にお手伝い衆が今日使う野菜を洗ってくれていた。
「すみません、遅くなりました。」
「東雲が稽古着なんて珍しいな。」
「斎藤先生に教えていただいたので。」
「斎藤先生、普段は温厚なのに剣を握らせると人が変わるよな。」
「あぁ。撃剣師範の中で一等厳しい。」
「その斎藤先生の稽古についていけるんだから、東雲も腕を上げた。」
安藤がいなくなった今、お手伝い衆は4人に減っていたがそれでも和気あいあい仲良くやっている。
「なんだか平和だね。」
細々とした捕物は続いているみたいだったが、大きな事件もなく屯所は平穏な空気に包まれていた。
こんな落ち着いた日々がずっと続けばいいのに、と思う反面、
歴史を知っている薫はそれが束の間に過ぎないことも承知している。
「しかし、長州との戦が始まるって話だぞ。」
「俺達は長州に攻めるのか。」
「そうなるかもしれんな。」
「腕が鳴るぜ。」
お手伝い衆は意気揚々とそんな話をしていたが、薫は明るい気持ちにはなれない。
武士として有るまじきことかもしれないが、争いは無いに越したことはないのだ。
「薫君!」
山南が土間までやって来て、薫の名を呼んだ。
「西郷が私に会ってくれるそうだ。」
「あの手紙を受け取ってくれるんですね。」
「明日薩摩屋敷へ赴くのだが、君にもついてきて欲しい。
土方君には私から言っておこう。」
「わかりました。」
山南は笑顔を浮かべ頷くと部屋に戻っていった。
「あんな元気な総長、初めて見た。」
「俺も。」
「腕を怪我してから、塞いでいたからな。」
「元気になることは喜ばしいことです。さ、今日の作業は終わりです。明日に備えて休みましょう。」
部屋に戻って、裁縫仕事をしていると土方が戻って来た。
近頃は外回りが多いのか夜遅くまで部屋に戻ってこない。
かといって、書類仕事が減る訳ではないから寝る時間が必然的に削られている。
「おかえりなさい。」
「今帰った。」
土方の刀を預かると床の間に備え付けられた刀置きに刀を置いた。
これだけ切り取ったら、夫婦みたい。
薫はちょっと可笑しくなって笑ってしまう。
「何がおかしい。」
「いいえ、別に。」
「何だ。言え。」
「なんだか、夫婦みたいだなと思って。」
土方もふっと笑って確かにな、とこぼした。
「まあ、夫婦になれるのは使いが満足にできるようになってからだな。」
口が減らないのは昔も今も変わりませんね、と言いたくなったが、
今は上司なので言うのを控え裁縫仕事に戻る。
「近頃、山南の機嫌がいい。何があった。」
「山南先生は賭けが上手くいったみたいですよ。」
「賭け?あの人は博打を打つ人ではないぞ。」
「もののたとえですよ。」
「明日薩摩屋敷に行くのにお前を借りたいと言ってきたのはそのせいか。」
「そうです。」
「何をする気だ。」
「それは、山南先生と私だけの秘密です。」
そう言うと、土方は面白くないという顔をしていたが、その内容を尋ねることはなかった。
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