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第7章 平穏と不穏
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しおりを挟む土方にお使いを頼まれた。
何だか難しい名前の本を買ってくるようにと、
本の名前が書かれた紙とお金を渡されて京の中心部、四条の書店にいる。
崩し字もだんだんと読めるようになってきたとはいえ間違うととんでもない説教を受けるので、
本の題名と紙を交互に睨めっこしながら本を探す。
あった、と手を伸ばしてその本を取ろうとしたが、横から出てきた手がお目当ての本を攫っていく。
しかも運の悪いことにそれは最後の一冊だ。
「あの、ちょっと。」
本を攫っていった張本人を呼び止めた。
「何か。」
「その本、譲っていただけませんか。」
他にも本屋はあったが、この本を置いているのは京ではここだけだ。
その本を逃がしてしまえば、使いもできないのかと叱られるのは必定。
ここはなんとしても譲ってもらいたい。
「苦労して見つけたこの一冊、渡すわけにはいきもはん。」
訛りからして薩摩藩の人だろうか。
「私は上司からその本を買ってくるようにと申しつけられているんです。」
「おいもそうでごわす。」
薩摩藩の上司ということはもしかして西郷隆盛…?
「それじゃあ、こうしましょう。くじで決めましょう!」
ジャンケンと言いたいところだが、
恐らく江戸時代の人はジャンケンと言っても通じないと思ったので薫はそう提案をすることにした。
「そいはよか。おい、店主。くじを二つ作ってもらえんか。」
へいへい、と主人は二つ返事でくじを作って持って来た。
一本ずつ引いて赤い印が付いた方がその本を買う権利を得られるというものだ。
せーの、で二人はくじを引いた。
「すんもはんな。」
赤い印が付いたくじは薩摩藩の男の手の中だった。
副長に、なんていえばいいんだ。
薫は一人項垂れた。
案の定、土方に事の次第を伝えると不機嫌そうにため息をついた。
「ほう、使いなら俺の甥でもできるぞ。」
見下す土方の前に薫は正座で小さくなって座っている。
「ごめんなさい。」
「…誰だ、その本を買った男は。」
「薩摩藩の人です。名前までは聞いてないです。」
「まったく。もういい。」
そう言って土方は部屋を出て行ってしまった。
怒ってはいなかったが、失望している様子だった。
怒られるより、がっかりされる方がこたえるな…。
薫はため息をつくと、再び項垂れた。
「薫君、ちょっといいかな。」
土方が明けたままにしていた障子の前に山南が立っていた。
「山南先生。どうされたんですか。」
薫は山南に促されて彼の後をついていくことにした。
たどり着いた先は山南の部屋だった。
珍しく布団が片付けられている。
これまではいつでも横になれるようにと布団が敷かれているのが常だった。
それだけ体調が良くなっているという証なのだろう。
「失礼します。」
「ここに座ってくれるかな。」
「はい。」
薫が山南の前に座ると、山南は懐から一枚の紙を取り出した。
何だろう、と紙を手に取るとそこには達筆な字で漢詩が書かれていた。
「これは…平野さんの。」
「そうです。あの日以来、私が持っていました。」
「これが、どうかしたのですか。」
「彼の思いはふさわしい人に引き継ぐべきです。」
「ふさわしい人…。」
「正直言うと、六角獄で見た地獄が夜ごと夢に出てくるのです。
これ以上、彼らの苦しみを私は受け止めきれぬ。」
あの出来事から一か月が経とうとしているのに、山南はずっと眠れない日々が続いていたのだろう。
目の下にできた隈がそれを物語っている。
「しかし、平野さんの想いを受け止めるのにふさわしい人って誰なんですか。」
「平野國臣と言えば、かつて寺田屋事件にも深く関わったとされる尊王攘夷の志士です。薩摩藩とも縁が深い。」
薩摩藩…。
私のお使いを妨げた原因。
「お知り合いがいるんですか。」
「知り合いはいない。ですが、つてはある。」
「つて…?」
「先の戦、指揮を執ったのは西郷吉之助と聞く。彼は平野と交流があったと言われています。」
「それじゃあ…。」
「私は賭けに出ようと思っています。」
山南は机の上に置かれた手紙を手に取った。
あて先は西郷吉之助と書かれている。
「この手紙を薩摩藩邸まで届けてください。」
山南の目は輝いていた。
薫は元気よく返事をするとさっそく薩摩藩邸に向かうことにした。
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