38 / 154
第6章 武士と正義
5
しおりを挟む
長州軍が提出した上申書は受け入れられず、とうとう長州と幕府は衝突した。
新選組にも出陣の振れが出された。
薫は土方の準備を手伝っていた。
愛刀の和泉守兼定を手渡すと、土方は言った。
「薫、後は頼んだぞ。」
「承知しました。」
数日前から安藤の調子が急変した。
今は意識ももうろうとし、今日の夜が山だと医者から言われている。
そのことを土方に報告すると、土方からここに残るように指示を受けたのである。
土方らの背中を見送ると、薫は屯所の中へ戻った。
屯所には病勝ちの山南に加え、先の池田屋事件で負傷した数人が残っていた。
薫は粥を炊いて、彼らの世話に努めた。
そして、七月二十一日。
遠くの方で銃声が聞こえ、戦の火蓋が切って落とされたことを知った。
「大変どす!街が、京の街が燃えてます!」
台所で粥を炊いていると、八木家の人たちが慌てふためいて薫の所にやって来た。
どうやら、火はこちらの方に向かってきているらしい。
薫はかまどの火を消すと、八木家の人たちが逃げるのを手伝った。
火事の話を聞きつけた山南も戦支度をして屯所の中を駆け回っているようだ。
八木家の手伝いを終えた薫は玄関先で山南と藤堂に遭遇した。
「どちらへ?」
「六角獄です。」
「六角獄…?」
「じきにこちらへ火の手が回ることでしょう。そうなると、六角獄が危ない。」
「先の池田屋で捕まった浪士達はお裁きを待つため獄に入れられているのです。
彼らを近くの獄に移送するのに人手がいるだろうから、動ける者だけでも行こうと。」
「私も行きます。」
薫はたすきを外し、部屋に置いたままの刀を取ると二人を追いかけた。
六角獄は屯所からすぐ近くにある。
薫が走って向かえば、すぐに二人に追いつくことができた。
そして、そこで起きた地獄の光景を目の当たりにすることになる。
「山南先生…、これはどういうことですか。」
積み上げられた死体の山。
役人たちは格子越しに男たちを槍で一人ずつ刺して殺している。
うあああ、という男たちの悲鳴が聞こえては止み、聞こえては止んだ。
「会津藩お預かり新選組、山南敬助と申す!
お裁きも終わっていない彼らを刺し殺すとは一体いかなるご了見か!」
山南は日頃上げないような大きな声で役人に迫った。
「じきにここも火の手が回る。逃げられず火に巻かれるくらいなら…。」
「逃がせばよかろう!」
「そんなことをして咎を受けるのは我々ぞ!」
「良いのだ!」
牢の方から声がした。
中にいる男は正座をして目をつぶっている。
「私は平野國臣と申す。」
男はゆっくりと瞼をあけると真っすぐに山南を見た。
「貴方が…。」
山南はその人を知っているらしく、驚いた表情で平野という男を見ている。
「これを、託す。」
それは一枚の薄っぺらい紙であった。
薫はそれが何なのか瞬時に悟った。
稔麿さんと同じだ。
山南に託したそれはきっと辞世の句なのだろう。
山南は深く頷いて、その紙を懐にしまった。
「こんなことをしている限り、ご公儀に明日はない。」
平野は強い意志を宿し、役人に目を向けた。
「黙れ黙れ、ええぇい!」
役人は苛立ちを槍にぶつけ、平野の心臓を貫く。
ぐふっ、という声にならない呻き声を上げ、平野は斃れた。
その眼は見開かれたまま、まるで何かを訴えるように薫を見つめていた。
薫は蛇に睨まれた蛙のようにその場から動けなくなったが、
藤堂が無理やり薫の手を引っ張って獄を出ることができた。
「あんなこと、許されるんですか。」
「小役人の一存で彼らの命を奪うことなぞできるはずもない。」
「…平野殿のいうとおりではないか。」
藤堂が呟いた。
「ご公儀がこんなことをしていては…。」
幕府への批判ともとれる発言に山南は藤堂君、と彼を諫めた。
すみません、と彼はそれ以上何も言おうとしなかったが、藤堂は明らかに疑念を払拭しきれずにいる。
「山南先生、先ほどの紙には何が書かれているのですか。」
帰り道、薫は気になっていたその紙の内容を尋ねた。
懐から取り出されたその紙にはやはり辞世の句が書かれていた。
「漢詩ですね。
憂国十年、
東に走り西に馳せ、
成敗天に在り、
魂魄地に帰す。」
「どういう意味でしょうか。」
「国を憂いて十年、東西に走り回ったが、
それが正しいことだったのかは天が判断するだろう、
私の魂は故郷に帰るのだ。」
平野さんは落ち着いた様子で死を受け入れた。
それはきっと自分の行いが正しいと信じているからだ。
だから、彼は命が惜しくなかったのだ。
「彼もまた武士だったのですね。」
「そうだね、薫君。」
山南は腕を組んで空を見つめた。
火は壬生村の手前で止まった。
六角獄は焼け落ちずに済んだのである。
新選組にも出陣の振れが出された。
薫は土方の準備を手伝っていた。
愛刀の和泉守兼定を手渡すと、土方は言った。
「薫、後は頼んだぞ。」
「承知しました。」
数日前から安藤の調子が急変した。
今は意識ももうろうとし、今日の夜が山だと医者から言われている。
そのことを土方に報告すると、土方からここに残るように指示を受けたのである。
土方らの背中を見送ると、薫は屯所の中へ戻った。
屯所には病勝ちの山南に加え、先の池田屋事件で負傷した数人が残っていた。
薫は粥を炊いて、彼らの世話に努めた。
そして、七月二十一日。
遠くの方で銃声が聞こえ、戦の火蓋が切って落とされたことを知った。
「大変どす!街が、京の街が燃えてます!」
台所で粥を炊いていると、八木家の人たちが慌てふためいて薫の所にやって来た。
どうやら、火はこちらの方に向かってきているらしい。
薫はかまどの火を消すと、八木家の人たちが逃げるのを手伝った。
火事の話を聞きつけた山南も戦支度をして屯所の中を駆け回っているようだ。
八木家の手伝いを終えた薫は玄関先で山南と藤堂に遭遇した。
「どちらへ?」
「六角獄です。」
「六角獄…?」
「じきにこちらへ火の手が回ることでしょう。そうなると、六角獄が危ない。」
「先の池田屋で捕まった浪士達はお裁きを待つため獄に入れられているのです。
彼らを近くの獄に移送するのに人手がいるだろうから、動ける者だけでも行こうと。」
「私も行きます。」
薫はたすきを外し、部屋に置いたままの刀を取ると二人を追いかけた。
六角獄は屯所からすぐ近くにある。
薫が走って向かえば、すぐに二人に追いつくことができた。
そして、そこで起きた地獄の光景を目の当たりにすることになる。
「山南先生…、これはどういうことですか。」
積み上げられた死体の山。
役人たちは格子越しに男たちを槍で一人ずつ刺して殺している。
うあああ、という男たちの悲鳴が聞こえては止み、聞こえては止んだ。
「会津藩お預かり新選組、山南敬助と申す!
お裁きも終わっていない彼らを刺し殺すとは一体いかなるご了見か!」
山南は日頃上げないような大きな声で役人に迫った。
「じきにここも火の手が回る。逃げられず火に巻かれるくらいなら…。」
「逃がせばよかろう!」
「そんなことをして咎を受けるのは我々ぞ!」
「良いのだ!」
牢の方から声がした。
中にいる男は正座をして目をつぶっている。
「私は平野國臣と申す。」
男はゆっくりと瞼をあけると真っすぐに山南を見た。
「貴方が…。」
山南はその人を知っているらしく、驚いた表情で平野という男を見ている。
「これを、託す。」
それは一枚の薄っぺらい紙であった。
薫はそれが何なのか瞬時に悟った。
稔麿さんと同じだ。
山南に託したそれはきっと辞世の句なのだろう。
山南は深く頷いて、その紙を懐にしまった。
「こんなことをしている限り、ご公儀に明日はない。」
平野は強い意志を宿し、役人に目を向けた。
「黙れ黙れ、ええぇい!」
役人は苛立ちを槍にぶつけ、平野の心臓を貫く。
ぐふっ、という声にならない呻き声を上げ、平野は斃れた。
その眼は見開かれたまま、まるで何かを訴えるように薫を見つめていた。
薫は蛇に睨まれた蛙のようにその場から動けなくなったが、
藤堂が無理やり薫の手を引っ張って獄を出ることができた。
「あんなこと、許されるんですか。」
「小役人の一存で彼らの命を奪うことなぞできるはずもない。」
「…平野殿のいうとおりではないか。」
藤堂が呟いた。
「ご公儀がこんなことをしていては…。」
幕府への批判ともとれる発言に山南は藤堂君、と彼を諫めた。
すみません、と彼はそれ以上何も言おうとしなかったが、藤堂は明らかに疑念を払拭しきれずにいる。
「山南先生、先ほどの紙には何が書かれているのですか。」
帰り道、薫は気になっていたその紙の内容を尋ねた。
懐から取り出されたその紙にはやはり辞世の句が書かれていた。
「漢詩ですね。
憂国十年、
東に走り西に馳せ、
成敗天に在り、
魂魄地に帰す。」
「どういう意味でしょうか。」
「国を憂いて十年、東西に走り回ったが、
それが正しいことだったのかは天が判断するだろう、
私の魂は故郷に帰るのだ。」
平野さんは落ち着いた様子で死を受け入れた。
それはきっと自分の行いが正しいと信じているからだ。
だから、彼は命が惜しくなかったのだ。
「彼もまた武士だったのですね。」
「そうだね、薫君。」
山南は腕を組んで空を見つめた。
火は壬生村の手前で止まった。
六角獄は焼け落ちずに済んだのである。
0
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
上意討ち人十兵衛
工藤かずや
歴史・時代
本間道場の筆頭師範代有村十兵衛は、
道場四天王の一人に数えられ、
ゆくゆくは道場主本間頼母の跡取りになると見られて居た。
だが、十兵衛には誰にも言えない秘密があった。
白刃が怖くて怖くて、真剣勝負ができないことである。
その恐怖心は病的に近く、想像するだに震えがくる。
城中では御納戸役をつとめ、城代家老の信任も厚つかった。
そんな十兵衛に上意討ちの命が降った。
相手は一刀流の遣い手・田所源太夫。
だが、中間角蔵の力を借りて田所を斬ったが、
上意討ちには見届け人がついていた。
十兵衛は目付に呼び出され、
二度目の上意討ちか切腹か、どちらかを選べと迫られた。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
大陰史記〜出雲国譲りの真相〜
桜小径
歴史・時代
古事記、日本書紀、各国風土記などに遺された神話と魏志倭人伝などの中国史書の記述をもとに邪馬台国、古代出雲、古代倭(ヤマト)の国譲りを描く。予定。序章からお読みくださいませ
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる