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第5章 To be, or not to be.
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しおりを挟む全ての片づけを終え、部屋に戻る。
部屋に戻る途中で土蔵が見えた。
男のうめき声が響いていたそこには、まだ捕まった男はいるのだろうか。
もしその男が吉田だとしたら。
薫の心臓が跳ねた。
行ってはならない。
たとえもし中にいる男が吉田であったとしても、薫にはどうしようもできないのだ。
だったら、何も知らなかった振りをしてやり過ごしてしまった方が良いのだ。
しかし、土方のいる部屋に戻るには土蔵の横を通らなければならなかった。
土蔵に近づくにつれて、中の男の息遣いが聞こえてくる。
余程手洗い扱いをされたのか、肩で息をするような、そして痛がるような声がする。
薫は土蔵の前で足を止めた。
何も知らないままの私だったら、立ち去ることなんてなんてことなかったのに。
薫は知ってしまったのだ。
吉田の真っすぐな瞳で、熱く時勢を語る情熱を。
優しく手を握り、無邪気に笑う彼の笑顔を。
彼の顔が薫の脳裏を過る。
土方に守られているだけの、何も知らなかった頃の私には、もう戻れないのだ。
薫は廊下から中庭に下りて土蔵の方へ向かった。
土蔵の中にはやはり男が一人蹲っている。
しかし、土蔵に差し込むわずかな月明りだけではその男が何者なのか判別することはできない。
「何をしている。」
廊下から呼び止められて、振り向けば冷徹な目で土方がこちらを見ていた。
薫は言い訳しても通用するまい、と素直に話すことにした。
「中にいる人が誰なのか確かめようとしただけです。」
「何故確かめる必要がある。」
「知っている人かと思って。」
「その中が知っている人間だったらどうするつもりだ。」
「そこまで、考えていませんでした。ただ…」
「ただ?」
「ただ…」
薫は袴の裾を強く握りしめた。
「そこの蔵にいるのが松村小介だったら、お前はどうするつもりだったんだ。」
土方の語気が強くなる。
薫は何も言えなかった。
「奴らは追放された京に潜入し、不逞を働く不穏分子だ。
なぜお前はそんな連中の方を持つ。」
土方は薫に詰め寄った。
「副長に副長の正義があるように、彼らにも彼らの正義があります。」
薫は反抗した。
その言葉を聞くや否や、土方は薫の胸倉を掴んだ。
「お前のやっていることは、俺たちの正義も奴らの正義も踏みにじってんだよ!」
物凄い剣幕で土方はまくし立てる。
「いいか。俺達は命懸けて戦ってんだ。
お前がくだらねえ情に流されて、足を引っ張るようなことをしてみろ。
そんときは容赦なく斬り捨てる。」
そう言い捨てて、土方は中庭に放り投げるように薫の胸倉から手を放した。
薫は上手く受け身を取れず、先日の雨でぬかるんでいたせいで体中泥だらけになった。
動けない。
土方の言っていることが的を得すぎて、体が動かない。
「立てるか。」
遠くから様子を見ていたのか、齋藤が手を差し伸べた。
薫は黙って、その手を掴む。
「…すみません。泥で汚れているのに。」
「構わん。」
そういうと、齋藤は井戸へ向かう薫の後ろをついてきた。
「ケガはないか。」
「たぶん、大丈夫です。」
胸倉を掴まれただけで殴られた訳ではなかったから、膝を擦りむいた程度の傷だけだ。
齋藤が貸してくれた手ぬぐいで衣服の泥を落とす。
「武士というのは生死の境でしか生きられぬものだ。」
「そういうものでしょうか。」
「…そういうものだ。」
現代には存在しない武士。
文字通り、命がけで自分たちの志を遂げるため奔走している。
純粋な瞳も熱い情熱も、命がけだからこそ生まれるものなのか。
副長という、土方歳三という男とちゃんと向き合えていないんだ。
だから、どっちつかずな振る舞いをして迷惑をかける。
ちゃんと向き合わなくちゃ。
物凄い剣幕の中、土方の瞳には寂しさが宿っていた。
彼にそんな表情をさせたのは私のせいなのだ。
薫が泥を落とし終わるのを見届け、齋藤は部屋の中へ戻った。
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