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第5章 To be, or not to be.
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しおりを挟む島原から戻って来てからというもの、薫はこれまで通り賄い方の仕事に明け暮れていた。
薫の突然の帰還に戸惑うものもいれば、大喜びするものもあったが、
総じて皆薫の作るご飯のありがたさを噛みしめているようだった。
「おい、勘吾!お前もちったあ見習ってうまい飯の一つくらい作れるようになっとけよ。」
皿を片付けながら、安藤早太郎は蟻通をからかった。
賄いお手伝い衆―薫は彼らのことをそう呼ぶことにした―の一人、蟻通が薫の不在の間、
賄い方として腕を振るっていたようだが、評判は良くなかったようだ。
言われた蟻通は、料理は俺の仕事ではない、と半ば頬を膨らませながら抗ったが声は小さい。
「皆さんの手を煩わせてすみませんでした。また、おいしいご飯を出せるように精進しますね。」
笑顔で薫が答えると、賄いお手伝い衆は手を止めて固まった。
「おい、東雲のやつ、一段と色っぽくやないか。」
「あの笑顔、着物の隙間から見える白い肌、たまんねえなぁ。」
「お、俺は衆道なんて興味ないからな!」
「嘘こけ、台所にわざわざ来てるやつに下心のない奴なんかいるもんか!」
そんなお手伝い衆のやりとりは、薫の耳には届かない。
「言葉には気をつけろ。東雲の耳に入るということは、すなわち副長の耳に入るということだからな。」
お手伝い衆の年長者、河合の言葉を受けて、自然と食器の片づけに戻る。
確かに、薫はただの賄い方ではない。
あくまで、賄い方兼ねて副長小姓でもあったことたから、
必然的に隊士の中には密告者として薫を捉えるものも少なからずあった。
ただし、そんなことを薫は知る由もない。
そして薫は賄い方の仕事を終えると決まっていくところがあった。
「山南先生、今よろしいですか?」
障子の奥からどうぞ、という声が聞こえて、薫は静かに障子を開けた。
「お茶をお持ちしました。」
「いつもかたじけない。」
「先生、今日も教えてください。」
肩に負った傷が悪化し剣術を教わることも難しくなった今、
山南から政治や日本の歴史について教わることが日課になっていた。
「昨日は、どこまでお話をしましたか。」
「ええと、安政の大獄までです。井伊大老によって松陰先生を始めとして多くの志のある方が殺されてしまった、というところまでです。」
「そうでしたね。」
山南は薫が持って来たお茶を啜りながらおもむろに語り始めた。
「幕府の権力を強めるため、多くの人を獄に葬りましたが、
これは却って幕府への反発を強める結果となりました。」
やがて山南の部屋に一人の客が訪れた。
「稽古抜け出してきてしまいました。」
「沖田先生。お身体が優れぬとお聞きしましたが。」
「食べ過ぎたのかもしれません。久しぶりに薫さんのご飯を食べたから。」
「そんな冗談ばかり言っていると、仮病だと思われてしまいますよ。」
明らかに顔が白い沖田を心配に思いつつも、薫は沖田を窘めるように言った。
「そういえば、何の話をしていたんですか。最近、よく山南さんのところに来てるみたいですね。」
「昨今の政事について山南先生に教えていただいているのです。沖田先生も聞いていかれますか。」
「なんだ、薫さんがいるから美味しい茶菓子でも出ているかと思ってきたのに、期待外れです。」
そう言って沖田は薫の用意したお茶を啜る。
「ちょっと、それ山南先生のお茶ですよ!」
「ごめんなさい、山南さん。」
「構いませんよ。最近は、私のところへ訪れる人は減りましたから。」
山南は考え込むように腕を組んで俯いてしまった。
大阪に赴いた際、不逞浪士を取り締まるときに肩に傷を負った山南は無理をして刀を振っていたらしく、
先月とうとう肩が悲鳴を上げたらしい。
更に体の不調も相まって、山南は床に臥せることが多くなってしまった。
このところ、山南は病気がちで幹部の会合にも顔を出す機会が明らかに減っていた。
これまでは山南と土方、それから近藤の3人でひざを突き合わせて物事を決めてきたというのに。
様々な要因が山南の思考を悪い方へと誘っている。
薫が毎日山南のところへ足を運ぶのは、少しでも気がまぎれればという配慮の上のことであった。
「これまで山南先生は働き詰めだったのですから、神様が休みなさいとおっしゃっているんじゃないでしょうか。」
「薫君は、変わらないね。」
少しだけ山南の表情が和らいだような気がした。
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