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第1章 川の流れに身を任せ
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しおりを挟むそれから多忙な日々が始まった。
朝は日が出る前から火を起こし、夜は皆が寝静まる頃まで繕い物を仕上げなければならない。
更に歳三から泳ぎを教えろと強請られたものだから堪らない。
川に行けば元の時代に戻る手がかりが見つかるかもしれないと期待を抱いたこともあったが、
毎日のように川へ行っても一向に元の時代に戻れる兆しはなかった。
しかし、3週間もすると生活様式にも慣れたし、
水泳の練習も歳三の覚えが速いおかげで川原で泳ぐ歳三を監督するだけで良くなったから
繕い物でできた手の傷も目に見えて減っていった。
「薫、手に針を刺さなくなったな。」
川から帰る途中、歳三は薫の手を取って言った。
「お坊ちゃんが1人で泳げるようになったから私もだいぶ楽になりました。」
「お坊ちゃんて呼ぶな!俺は一端の男だぞ。」
「歳三君って呼ぶとお藤さんに怒られるんだもの。勘弁してよ。」
「薫に名前を呼ばれると、母上に名前を呼ばれている気がするんだ。」
その呼び方に満足そうに歩く歳三の姿を見て薫はふふふと笑った。
それから、どれくらいの時が経ったのか。
カレンダーもなければ時計もない生活の中で時の移ろいを感じるのは、咲き誇る花々や鳥の鳴き声だけだ。
美しく満開に咲いた桜の木々が葉桜に変わり始めたから、
多分薫がこの世界に飛ばされてから一ヶ月程経ったのであろう。
その間毎日、寝る時も起きる時も食事を取る時も歳三と一緒にいた。
最初ははぐらかしていた未来のことも毎日のようにせがまれているうちに話をするようになっていた。
「薫の世の江戸はどんなだ?」
「江戸はね、とってもたくさん人がいてゴミゴミしてるんだけど、多摩のあたりは今も変わらず田んぼもあるし良いところよ。」
「ふうん。今も昔もそんなに変わってねえのか。」
「そうねー。色んな技術が進歩しても人も景色もそう変わっていないのかも。いつか、歳三さんを私の生まれた世の江戸に連れて行ってあげたい。」
「いつか連れて行けよ。約束だ!」
「できない約束はしない主義なの。ほら、もう寝なさい。」
貴方よりわたしのほうが帰りたいっつうの。
心の中でそう毒付きながら、彼の布団を肩まで覆った。
不満そうに頬を膨らませながら、しかし彼は大人しく布団の中に収まった。
こんな平和な日々は突然終わりを告げることになる。
それは、薫がこの時代に来て1ヶ月経とうとした頃であった。
その日は雨がざぁざぁと降っていて、晴耕雨読よろしくお藤さんから崩字の読み方を教わっていた。
そんな薫の手を無理矢理引っ張って歳三は川へ泳ぎに行くと言ってきかないのだ。
「薫、行くぞ!」
「駄目だよ。今日めっちゃ雨が降ってるんだから。風邪引いちゃうよ。」
それでも歳三は傘をさして無理矢理薫を引っ張って屋敷を飛び出した。
川に着く頃には、雨は激しさを増し川のかさはいつもより増している。
歳三は薫の忠告も聞かず服を脱いでやがて褌一丁になり、川の方を向いた。
「歳三、危ないからやめて!」
歳三の手を取って飛び込むのをやめさせようとした時だった。
歳三が無理矢理飛び込もうと乱暴に薫の手を振り払った時、薫を川原に突き落としてしまったのである。
無論、歳三はそんなつもりはなかったのだが、
薫が手を振り払われた時足元の大きな石に足を取られバランスを崩してしまったのだ。
普段であればなんともない川の流れも雨のせいで普段よりも速く、
薫がもがくように泳いでも泳いでも川岸に近づけない。
むしろ、遠ざかるばかりだった。
「薫、薫!」
「だめ!飛び込んじゃ!!」
歳三は飛び込もうと膝を曲げたが絶叫混じりに薫がそう言うとそれ以上動くことはなかった。
どんどん遠くなっていく歳三の姿に安堵すると、薫はそのまま濁流に飲み込まれ川の中から姿を現すことはなかった。
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