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あやかしマウント

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 あれから中堂様のクールダウンを待ち、お二人&爺やさんは無事帰宅された。
 帰り際の中堂様は怒ったような顔をしながらも、ずっと芦屋様の服をちょんと摘んでいたのは可愛い。

(可愛かったと言えば、爺やさんも可愛かったな)

 店を出る前に中堂様に促され、頭を下げる爺やさん。
 大好きな姫様に言われて仕方なく、渋々頭を下げてやっているのだぞ、という心の声がだだもれていた。
 あれはどう見ても飼い主に叱られてしょげるワンちゃん。

「それにしても、派手に暴れたな~」

 ドレスに大きな被害は無く、狐の毛を取れば何とかなる。
 しかし、憎き芦屋様が居た男性エリアはとんでもない事になっていた。

 衣装の参考に置いてあるトルソー数体が倒れて重なり、棚に置いてある小物は床に散乱。
 落下した写真立てや花瓶の割れた破片が散らばり、足の踏み場もない。

 クリーニングから戻ってきたばかりのタキシードは踏み付けられ、使用後のようにしわくちゃ。
 ネクタイや靴も散らかり放題で、幾つかは狐の毛とよだれで散々な状態になっていた。

 すぐに店長にお店の状況を報告。
 クリーニング部門に掛け合い、次回の予約までに間に合うか調べ直している。
 早見さんは念の為、ラックに掛けてあるドレスにほつれや汚れがないか確認中。

 私と武ノ内さんは男性エリアを前にして、どこから手を付けるべきか立ち尽くしていた。

「こんなに荒れた店を見たのは初めて」
「散らかっていますが、引っ掻いて破れた衣装が無いのは幸いですね」
「来月からは忙しくなるから。挙式に間に合わなかったら、と思うとゾッとする」

 九月~十一月になると、ブライダル業界は繁忙期に入る。
 一般的にお日柄が良いとされる大安じゃなくても、土日祝日は予約でいっぱい。
 多い時は一日に四~五組の挙式・披露宴が行われ、チャペル・衣装店はフル稼働。

「クソ狐! しっかり歯型まで付けやがって!!」
「佐波。あれからずっと大荒れで」
「あー……」

 爺やさんがくわえた草履はしっかり歯が食い込み、鋭い歯型が残されていた。
 一難去ってまた一難。今度は“倉地さん警報”が発動中。

 やれやれ、と言った様子で武ノ内さんはため息をつく。
 疲れが滲んでいるけど、その表情はどことなく優しい。生意気な弟を見守る兄のような光景に、思わず笑みがこぼれる。

「八つ当たりされても困るし、今の内に片付けておきますか」
「はい!」

 武ノ内さんが空気を軽くしてくれたおかげで、もう少しだけ頑張る気力が湧いてきた。
 気合を入れ直し、私達は片付けに取りかかる。

「相沢さん、ここに居たんですね! 相沢さん宛に電話ですよ」
「えっ?」

 早見さんに呼ばれて首を傾げる。つい先日も別のお客様から電話があったばかり。
 クレームかと身構えて電話に出ると突然シフトを聞かれ、答えた途端あっさり電話が切られる。
 わずか十秒で会話終了。

 入社して半年近く経つけど、私が担当した新婦様はお一人だけ。
 だから私宛ての電話と言われると、身内に何かあったのでは、と不安になってしまう。

「内容は分かりませんが良いニュースだと思います。声が弾んでいますし」
「良いニュース?」
「お待たせしてるので、とりあえず電話に出て下さい。考えるのはその後!」
「はいっ!」

 たま~に出るキビキビした早見さん。
 普段はあわあわしてる事の方が多いけど、根はしっかり者の頼れる先輩である。
 走り込みをする先生のように急かされ、ダッシュで事務所に駆け込んだ。

   ◆◆◆

 あれから数ヶ月後。衣装店は戦場と化していた。

「チャペルから電話! 新郎、木守きもり様のお父様がモーニング一式忘れたみたいなんで、届けてきます!」
「武ノ内くん。ついでに、ネクタイの結び方も確認しておいて貰えるかな?」
「はい」

 基本的にお父様のシャツ・胸元のポケットチーフ・カフス・手袋は、一式レンタルとなっている。
 しかし、中には以前購入した物をお持ちの方や、お値段的な問題でネットで購入される方もいる。

 そういう方には、「くれぐれも当日忘れないように」と念押しするのだけど。
 やはり緊張で前日眠れなかったのか、挙式当日に忘れて来る方が多い。

(こういうのは人間もあやかしも一緒なんだ)

 緊張で眠れないのも、うっかり忘れ物をしちゃうのも。そこには人間もあやかしも関係無い。
 特に、ヴァージンロードを一緒に歩く新婦お父様の緊張は桁違いのようだ。

 試着時は「大丈夫、大丈夫!」とこちらが心配になるくらい呑気のんきなのに、当日になると挙式の流れなんて頭から吹き飛ぶもので。
 新婦のお父様によっては、バージンロードを歩く時の歩き方の練習をし始めても。右手と右足が同時に出ている方も多い。
 お着替えに付き添う衣装スタッフがツッコむのも毎度のこと。

「佐波、チャペルから呼び出し。店よろしく」
「はぁっ!?」

 武ノ内さんは直ぐにシャツのサイズを確認して、手際よくアイロンをかける。
 チャペルから戻ってきた倉地さんと入れ替わりに武ノ内さんが駆けて行った。

「あの一つ目小僧。このクソ忙しい時にポケットチーフをいじるなっての!」
「嬉しい悲鳴とは言うけど、こうも忙しいと猫の手も借りたくなるねぇ」
「前足二本の猫より蜘蛛の方が脚いっぱいありますよ!」
「あやかしマウントしてるヒマあったら、今日の予約リストでも確認したらどうですか?」

 妙な張り合いをする早見さんに対し、倉地さんは冷ややかに言い返す。
 この忙しい時に訳の分からない理由で火花を散らすのは勘弁して欲しい。

「相沢さんはどっちの方が優秀だと思います!? 土蜘蛛ですよね?」
「そのマウント合戦、人間には高度すぎて。ちょっとよく分からないですね」

 疲れもあって死んだ魚のような目で答える。
 そもそも、喧嘩を売られた側の店長に至っては既にこの場にいない。
 いつもなら言い争いをのんびり眺めるのに、さすがに繁忙期は仕事をこなしに行ったと思いたい。

「いよいよ明日ですね」
「そうなんです! もう待ち遠しくて、ずっとワクワクしちゃって」
「しまりのない顔で接客しないで下さい。店のイメージに関わりますから」
「……はい」

 年下に注意を受けてしまった。
 私にも年上の威厳ってものがあるけど、ごもっともな指摘に言い返す言葉も無い。
 
 それでもカレンダーを見ると嬉しくて、ついニヤけてしまう。
 明日の日付に描かれた大きな花丸。
 何かと手厳しい少年だけど、それを眺めるわずかな時間だけは見逃してくれた。
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