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全ては愛する人の為

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 それにしても――声はするのに依然として倉地さんの姿が見えない。
 こちらからは死角で全く見えないけど、男性側のエリアは散々な状況になっているらしい。

「お待ち下さい! そちらは女性用の」
「ぐわっ!?」

 次の瞬間、近くの柱に爺やさんの体が磁石のように引き寄せられる。そのまま見えない何かに括り付けられ、身動きが取れなくなった。

「うぅぅ……よだれで手がベトベト」

(これはマズい。倉地さんが見たら発狂するんじゃないかな)

 つい最近、全ての靴を拭いたばかりだというのに。
 どこを触ってもベタベタするのも不快だし、自分の指先に付着したよだれを見下ろしてげんなりする。
 ただでさえマズい状況なのに。草履には狐の歯型がくっきり残っていて、胃の辺りがキリキリ痛む。

「貴様、何をする!」
「今回は何をしでかしたのか。ちゃんと説明して頂けますよね?」

 グレーのタキシードでにこやかに笑う芦屋様。
 パンフレット用の撮影会から抜け出してきたように、何を着ても絵になる人だ。
 それでいて爽やかな笑顔の奥で、沸騰寸前の感情を何とか抑え込んでいるのが見て取れる。

 修羅場から少し離れた場所で、そっとこちらを覗きこむ武ノ内さん。
 バックヤードから出てきた所で、店内に流れる微妙な空気に困惑しているらしい。

「これ、どういう状況?」
「爺や! 何をしておるのじゃ」
「全ての元凶はこやつで御座います!」

 爺やさんは芦屋様を足蹴にしようとするも、一匹と一人の間にはそこそこ距離がある。
 不可視のロープで柱に括り付けられている上に、人よりも短い獣の脚ではどう頑張っても届かない。

「肉球ぷにぷに……かわいい…」

 隣りに立つ早見さんは、爺やさんがジタバタと脚を動かす度に恍惚とした表情を浮かべていた。

(あれ、可愛いかな?)

 音声オフなら癒しになるかもしれないけど。中身、爺やさんだし。
 戸惑うような視線を爺やさんに向ける中堂様。その向こう側にようやく倉地さんが遅れて登場する。

 右手でネクタイを緩めながら、左腕には沢山のネクタイやシルクのタイを掛けている。
 状況が分からないけど、倉地さんは疲労困憊ひろうこんぱいと言った様子で壁にもたれかかった。
 疲れていても麗しい美少年フェイスは崩れないどころか、アンニュイさが加わって妙な艶っぽさを演出している。

「センブリ茶の次は盗人騒ぎですか」
「盗んだのでは無いわ! 貴様を懲らしめてやろうと隠そうとしただけで」
「あの狐、衣装をめちゃくちゃにしやがって。煮る…焼く…ぐ…」
「佐波。気持ちは分かるが、お客様の前だからな?」

 当事者の新郎新婦と違って倉地さんは外野なのに。何やかんやあって最も被害を受けたせいか、この場にいる誰よりもブチギレていた。
 正面からは怒りを押し殺して笑う芦屋様。
 左側では新郎様以上に怒気をまき散らし、仁王立ちの倉地さんが睨む。

「センブリ茶とは何の事じゃ?」
「前に会合の際、僕のお茶がセンブリ茶にすり替えられていたんですよ。犯人に目星は付いていたので、全部飲み干してやりましたけど」
「何と。あやつ、味覚音痴であったか」
「えっ!?」
「何じゃ?」
「いえっ、何も!?」

 おそらくセンブリ茶事件の時は、新郎様の近くに新婦様がいらっしゃったのだろう。
 だから吹き出すわけにもいかず、平気なフリをして飲みきったのに。肝心の姫君はそれに気付かず味覚音痴ときたか。

「全ては貴様のせいであろう! 人間の分際で姫様と祝儀を交わそうとするだけでも許せぬと言うのに……大切な姫様を悩ませおって!」
「どういう意味です?」
「……っ! 待たぬか、それは…」

 何故だか中堂様が狼狽うろたえ始め、慌てて間に入ろうとするも、真剣な表情の芦屋様に手で制止されてしまった。

「いつも凛としていた姫様の表情が曇り、ポケーッと思考にふけっておられる!」

 ……恋煩いかな。

「最近ではまともに食事を召し上がらない事も多く、自らの二の腕を摘み、悩ましげに溜め息をつく回数も増えた!」
「爺やっ!?」

 ダイエットかぁ。

 少しでも綺麗な姿を見せたい一心で、無理なダイエットをする花嫁様は多い。モデルさんみたいにスラッとした方でも体型が気になるんだ。
 雲の上のような存在だった中堂様が、少しだけ身近に思えた瞬間である。

 思わぬ秘密を暴露され、生まれたての小鹿のようにプルプル震える中堂様。
 やがて耐えきれなくなり、真っ赤に染まる顔を両手で覆い隠す。

「多少二の腕が太くても、その分お胸があるなら良いじゃないですか」
「とんだ茶番だな」
「これ……店長に何て説明したら良いんだろう」

 早見さんはぶーぶーと唇を尖らせ、倉地さんは冷ややかな眼差しで腕を組む。
 私情挟みまくりの二人と違って、武ノ内さんだけが生真面目に悩んでいた。

(多分、叔父さんは居ても居なくても同じだと思いますよ)

 トラブルを愉しむどころか、「そっちの方が面白そうだから」という理由で、更にトラブルを加速させるようなあやかしである。

「それも全て祝儀が苦痛だからであろう!」
『………………』

 芦屋様はショックで言葉を失い、中堂様は秘密をバラされた恥ずかしさから立ち直れずにいる。
 気まずい沈黙が流れ、もどかしさといたたまれなさから、反射的に「あのっ!」と割って入る。

「違うんです! それは誤解で、ちゃんとお話を聞いて下さい。そしたら爺やさんもきっと」
「人間如きが話しかけるな!」
「……っ!」

 剥き出しの歯に低い唸り声。それを自分に向けられると、生物としての本能的な恐怖に声が出なかった。
 さっきの悔しげな唸り声は爺やさんなりに配慮していたらしい。
 ポンと肩に置かれる手にビクッとなると、早見さんが「しー」っと唇の前で人差し指を立てた。

「僕との結婚は、苦痛だったんですか?」
「姫様。こやつは見ての通り、あやかしを始末する機会を窺っていたのです。今すぐ旦那様にお目通りして、こんな祝儀など破談に」
「いい加減にせぬか!」

 それまで身悶えていた中堂様が声を荒げる。それと同時に、真っ白な髪と同色の狐耳がピョコンッと生える。
 そう言えば、疲れた時以外に感情が不安定だと本来の姿に戻るんだっけ。

「おぬしが捕縛されたのは店の者に迷惑をかけたからじゃ! それに、例え父上に何を言われようと破談になどさせぬわ!」
「……どうして?」
「そんなの、真朱と結婚したいからに決まっておるであろう!」

 憤然とする中堂様の告白に店内は静まり返る。
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