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天使……いや、悪魔?

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 スタッフルームに入り、靴や小物を収納しておく部屋に入る。
 右側が新郎の靴、中央が新婦用の靴で、左は留め袖を含む和装用の草履。

「手袋ってどこだっけ…」

 棚には大小様々な真っ白な箱が並んでいる。
 真正面に『手袋(長)サテン』『ボレロ』『ドレス(白)鞄』など油性マジックで書かれているけど、高さがあるので上の方だとよく見えない。

「ショートグローブ…ショートグローブ…」

 必死に探していると、ふと隣に人の気配がする。
 早見さんが来てくれたのかな、と何気なく顔を向けて動きが止まった。

「いつまでかかってんだ。ボケっとすんな!」

(美少女…)

 一度も染めた事の無さそうな黒髪に、ぱっちりとした目を縁取る長いまつ毛。
 細身で中性的な印象に反し、私より一回り大きな手や低めの声から察するにおそらく少年。
 天使のような綺麗な顔立ちと、苛立った荒い口調が頭の中で一致しない。

「新入りが入ったとは聞いていたけど、ずいぶんとろい人が入ったんですね。専門学校を卒業したって言ってもその程度ですか」

 足手まといだと言いたげな顔で呆れ返った。
 指摘が事実なだけに、ボディーブローのようにじわじわ効いてくる。

「はぁ……俺の顔を見つめる暇があったら、さっさと配置ぐらい覚えて貰えます?
 あんたの探し物はこれ。分かったらさっさとフロアに戻って下さい」

 いつの間に探し当てていたんだろう。グイグイ押し付けると、少年は計三箱を抱えてフロアに戻った。
 滞在時間、わずか十秒。
 その短時間に、私の一番突かれたくない部分を的確にえぐっていく。

「倉地さんだっけ? グサグサくるなぁ」

 初めて会うスタッフとは開店前に軽く自己紹介を済ませてある。
 彼は倉地くらち 佐波さわさん。
 まだ高校生ながら衣装店でアルバイトをしている。

 黙っていたのはムッとしたからじゃない。
 切れ味の鋭い言葉が突き刺さり、まだ塞がっていない傷がうずいた。
 内定取り消しをされた事が、自分で思っている以上にこたえているらしい。

「今はお店に戻らないと」

 感傷に浸ってボーッとしていたら、それこそ給料泥棒だと言われかねない。
 何とか笑顔を作り、頼まれていた品を持ってフロアに戻る。

「うわ~、綺麗な子だね! あたし、こう見えて起業家なんだけど。ここの仕事が嫌になったらうちの会社においでよ。君ならいつでも大歓迎!!」

 倉地さんはテンション高めの新婦様に話しかけられていた。
 さすがに辛辣しんらつな物言いはしないだろうけど、どうするんだろう。ちょっとした興味本位から眺めていると、倉地さんは天使のように無垢むくな笑顔を浮かべた。

「とんでもない! 皆さん優しくて働きやすいですよ。僕も早く追い付いてお役に立てれば良いのですが」

 …………僕?
 気のせいか、倉地さんの周囲にキラキラした光の粒が見える。
 ちゃんと照れくさそうにはにかむ事も忘れない。
 母性本能をくすぐる美少年の微笑みに、新婦さんはあっさり騙されていた。

 ふと目が合うとあざとい笑顔を浮かべつつ、「余計な事を言うなよ?」と視線で牽制けんせいする。
 生きている人間が一番怖いとはよく言ったものだ。
 新入社員の私に太刀打たちうち出来るスキルがあるはずもなく、見なかった事にするのが精一杯。

 怒涛どとうの勢いで時間が過ぎてゆき、閉店時間を迎えた時には燃え尽きた。
 入口の鍵を閉め、事務所内では従業員達が屍と化している。

「うぅぅ……足が痛い。腕がもげそう」

 早見さんは腕を抑えて苦しげにうめく。

 接客中はずっと立ちっぱなし。
 ドレスの重量感に加え、ドレスをハンガーラックに掛けたり、下ろしたりの繰り返しの疲労が蓄積される。
 今日だけで試着室とハンガーラックを何往復したか分からない。

「初めての週末を体験してみて、どうだった?」
疲労困憊ひろうこんぱいでクタクタです。予想以上の混み具合に、途中から記憶がなくて」

 椅子にもたれかかっていた早見さんは、身を乗り出すとよしよしと頭を撫でてくれた。
 伸ばされた腕がぷるぷる震えているのは、戦場を乗り切った勲章である。

 通常の業務に加え、チャペルから運ばれてくる着終わった衣装の後片付けも大事な仕事。
 そのまま置いておくと場所を取るので、装飾など外せる物は全て外して梱包こんぽうする。これが地味に手間がかかる。

 薔薇バラやリボンのコサージュが大量に付けられた物や、ドレスにボリュームを出す為の何重にも重なったパニエ。

 新郎のタキシードはタイにブートニア(新郎が胸元に刺す花飾り)はまだしも。
 何故かカフスが片方見当たらず、式場に確認の電話をしなくてはいけない。

 そこに両家の父親が着るモーニングや、母親の留め袖なども加わる。
 勿論もちろん、和装に必要な小道具も全て確認するわけで。生花は外し、新婦様の髪飾りやアクセサリーなど全てのパーツを元のケースに戻す。

 アルコールや食べ物の汚れが付いた箇所を分かりやすくメモして、ようやく段ボールに詰められる。

「まだ繁忙期にも入って無いのに、もう力尽きてるんですかー。もっと体力付ければ?」
「男子高校生の体力と一緒にしないでよ」

 机に伏せながらぼやく早見さんの意見に、私もうんうんと同意する。
 ぐったりする私達と違って、倉地さんはまだ少し余裕がありそう。二~三歳しか変わらないと思っていたけど、ニ歳の差って結構大きいんだな。

「お疲れ様。新作のドレス、評判良かったね」
「分かります! あのドレスは横から見たラインも綺麗ですよね!!」
「何種類かサイズ違いを用意しても良いかもしれないな」
「…疲れてるって言いながら仕事の話をするんだな」

 疲れ果てていてもドレスの話をすると瞳がキラキラ輝く早見さん。倉地さんは呆れていたけど、私は微笑ましくて笑った。

 暑苦しいのは困るけど。
 本当にこの仕事が好きで、仕事に対して意欲的な人が身近にいると良い刺激を貰える。

「外に自販機があるから好きなのを買うといいよ」
「店長。さりげなく、買いに行く役を押し付けようとしていますね?」
「軍資金を出すのは僕だからね」

 そんな風には見えないけど。やっぱり店長も疲れているらしい。
 こんな良い笑顔の店長、初めて見た。

『最初はグー、じゃんけーん』
「ああっ、ちょっと!?」

 いきなりじゃんけんを始める声に急かされ、慌てて手を出した。
 結果はチョキが二人、パーが一人。

「五人分の飲み物、よろしくね?」

 それはもう良い笑顔で、店長は私に千円札を握らせる。

「…買うのは良いですけど、五人分持って来るのは大変ですよね?」

 旅は道連れ、世は情けと言うものだし。
 一発で負けが決まったのが悔しくて、子供のようにねて抵抗してみる。

「そこにもう一人従業員がいるから、ニ人で持ってきて」
「姿が見えねぇと思ったら。気付くとふらっと居なくなってるよな」
「一番まともそうなのに意外ですよね~」
「各自の好みもその人が把握しているから。頼んだよ?」

 有無を言わせない店長の笑顔の圧力に屈し、私はトボトボと自動販売機に向かうのだった。
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