つよくてもろい君たちへ

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秋の話②

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「大丈夫」

 その言葉は、小さなころからずっと身近にあった。
 生まれつき体の弱かった兄。すぐに死に至るような病は患っていなかったものの、何度も入退院を繰り返してはすぐに風邪をこじらせる体質だった。それを両親が疎ましく思ったことはないし、いつだって愛情を注いでいた。それでも、初めて生んだ子供がそれだけ体が弱いというのはさぞ両親にとって気が気じゃない日々だったことだろう。

 いつ子供が倒れてしまうか、入院してしまうのかわからない日々の緊張があった中、次に生まれた僕はお墨付きの健康体だった。
 当然、誤差の範囲内だと片付けられてしまう程度のものだったけれど、同年代の中では歩くのや喋りはじめるのがはやかったらしい。当時教育雑誌に傾倒しつつあった両親はそんな僕を見て安心したという。
「ああ、よかった。この子は大丈夫なんだ」


 僕が4歳になった時に、今度は双子の妹と弟が生まれた。どうしても三人きょうだいで育てたかったという両親は、生まれてきたのが性別の違う双子だということをとても喜んでいた。とはいえ、その時もまだ兄は体調の良い日の方が少ないくらいで、体の弱い兄と赤ん坊の双子に挟まれて両親は疲れ切っていた。

 そうなれば、誰が考えたって手がかからないように見えるのは僕だった。
「ごめんな、でもアキなら大丈夫だよな」
「アキはもうお兄ちゃんだし、うまくできるから大丈夫だよね?」
 3歳になって、すぐに入れられた幼稚園。兄は環境が変わるとストレスになるからと入れられなかったけれど、その分毎日幼稚園でなにがあったかを報告するのが毎日の楽しみだった。行事があるとどちらかがいつも見に来てくれて、帰り道にアイスを買ってくれるのが大好きだった。
 年長さんになって、最後のお遊戯会。一生懸命練習したダンスを見せたくて、毎日家でも練習していたけれど兄は熱を出して入院してしまった。
 子どもながらに、みんなが疲れていたのはわかっていた。

「僕、お兄ちゃんだから一人でもダンスできるよ、大丈夫だよ」
 ソファに横になったお父さんにこっそり伝えれば、二人ともほっとした顔をしたからきっとそれは正解だったのだろう。


 本当は、すこしだけ寂しかった。




 どちらも見に来てくれない子は、周りにはいなかった。
 
 お遊戯会の後で渡すはずだった家族への手紙は、持って帰る途中でカバンの中でぐしゃぐしゃになってしまった。
 だけど、僕はお兄ちゃんだった。
 妹と弟が家族の雰囲気に敏感になって、夜泣きをしたり日中もぐずってしまうし、お兄ちゃんも熱で大変なのに、僕までわがままを言ってはいけない。

「アキ、どうだった?」

 やつれた顔で、それでも優しく頭をなでてくれたから。それだけで僕はにこにこしながら言った。
「すごくたのしかった!僕、やっぱりひとりで大丈夫だよ!」
 だから、そんな悲しい顔しないで。


 僕が小学生になると、お兄ちゃんと同じ学校に行った。
 毎日、お兄ちゃんの分の手提げも持って、もうかたほうで手をつなぐ。朝は妹たちがぐずるから、毎日送り迎えするお母さんの代わりになった。


「アキくんは優しいのね」

先生に言われて僕はうれしかった。認められているような気がしてた。








 1年生の誕生日。戦隊もののデコレーションケーキをおねだりしていた。
 誕生日は、僕が主役になれる日だからずっと楽しみにしてた。でも、お兄ちゃんは風邪をこじらせて肺炎になってしまった。


「ごめんな、お兄ちゃんの病院に行ってあげないといけなくて…」

 申し訳なさそうに謝るお父さんは見たくなかった。いつだって、家族のヒーローであってほしかった。
「いいよ、僕甘いの好きじゃないもん、大丈夫だよ」
 そう言ったら、ほっとした顔してお父さんはケーキ屋さんに取り消しの電話を掛けた。
 家族みんなで泊まることはできないから、僕は見たいテレビがあると言い張って家に残った。「アキなら大丈夫だもんね」と笑顔を浮かべて頭をなでるお母さんの顔は見れなかった。

 毎日持ち歩いていたケーキ屋さんのチラシをみながら、ひとりでふりかけご飯を食べる。よく味がわからなかった。その次の年は妹と弟がダブルで流行り風邪をもらってきて、また僕はひとりだった。

 期待した分、それが悲しくて。
 でも、それ以上に両親が申し訳なさそうにするのが苦しくて。

「僕、誕生日は友達と遊びに行くからケーキとかいらない!」

 次の年からはそううそをついた。ケーキの好きな妹は、「アキお兄ちゃんの誕生日はけーきないからきらい!」とすねたけれど、ごめんね、と謝ることしかできなかった。





 学校では、定期的に全学年での交流会があった。そのときも、僕は真っ先にお兄ちゃんのところに行った。お兄ちゃんはやさしいし、どこか人に愛される人だからいつもクラスのみんなに囲まれていた。
僕は学校のみんなから、体の弱いお兄ちゃんをいつも助けてる子として見られていたから、お兄ちゃんのところにまっすぐ行かないと
「おい、おまえのにいちゃんあっちで待ってるぞ」と声をかけられた。


 ある時、たまたま、ペアをつくりましょう、といわれたことがあった。
 その時、クラスの女の子にペアになろう、と声をかけられた。僕がずっと気になっていた子だったから、すごくうれしくてうなずいて。お兄ちゃんのことはクラスの人たちもいるし大丈夫だろうと思ってそのこと交流会をすごした。20分後、いきなり担任の先生に呼ばれた僕は保健室に連れていかれた。

 そこには、ひざこぞうから血を流して泣いているお兄ちゃんの姿があった。運動の得意でないお兄ちゃんは、クラスの子とペアを組んでうまくいかずに転んでしまったのだと言われた。
 それから、お兄ちゃんはお母さんが迎えに来て早退するとも。
 お兄ちゃんとペアを組んだ子は、「相手のことを考えてあげなさい」と強く叱られたようで涙目で僕をにらんだ。

「おまえが兄ちゃんと組んでればよかったのに!」


 そういわれたとき、ガンと頭を殴られた気分だった。だって、僕だって好きな子と組んだっていいじゃないかと思ってたのに。先生は僕を叱ったりはしなかったけど、「お兄ちゃんは体が弱いから、アキくんももう少ししっかり見てあげてね」といわれた。




「うちの子がけがをしたって…!」

 慌てて飛び込んできたお母さんは、血が付いた服を見て動揺したように僕の方を振り返った。
「アキ、どうしてお兄ちゃんけがしたの?」
「え…」
「アキ、私アキならお兄ちゃんを任せて大丈夫だって思ってたのに…」
 その時に心の中に渦巻いた感情はよくわからない。ただ、僕はお兄ちゃんをみていることをみんなが求めているのだということだけが頭の中にしみこんでいった。

「ごめん…なさい」
 小さくつぶやいたけど、お母さんはそれ以上僕の方を見ることはなかった。
 どうしようもなく泣きたくて、でも僕は泣いてはだめだとおもってすっとうつむいた。そっと保健室の先生が頭をなでてくれて、今にもわけのわからない気持ちに支配されそうだった。

 家に帰ってから、僕は両親に1時間諭された。
「なぁ、アキ頼むから…」
 はぁ、とため息交じりに眉間にしわを寄せたお父さんは、ひどく疲れた顔をしていた。
「もうこんなことないわよね、アキ」
「アキお兄ちゃんがはじめお兄ちゃんにけがさせたの?」
「はじめお兄ちゃんいたそうだった・・・」
 まるで罪人になったような気持ちで、僕は小さく答えた。
「大丈夫…つぎからはお兄ちゃんのことちゃんとみるから…」
「そうそう、おまえはやっぱりいい子だよ」
 優しい笑顔でお父さんに言われても、僕は前みたいにうれしい気持ちにはなれなかった。

うん、ちゃんとお兄ちゃんの面倒みなくちゃ。

僕はいいこで、一人でうまくやれる子だから… 


 中学生になると、状況は少し変わった。学校の方針があって、全員が部活に入ったからだ。カナヅチの兄さんから切り離されたプールは僕の居場所になった。

歓声も視線も水中からだと遠く聞こえる。

 25メートルを何度も折り返しながら僕はどこへでも行けるような気持になった。1年生の誕生日の時、僕はクラスの女の子に告白されて付き合い始めた。たいてい、彼女と帰るときは部活のない日なので、兄さんも入れて3人でだったけれど、学校から帰るのはすごく楽しかった。

「あのね、ごめん、私…」


 でも、それからひと月もかからなかったと思う。
「ああ、うん大丈夫だよ」
 露骨にほっとした顔をして、彼女は兄さんの手を取った。みんな、兄さんを「庇護欲をそそられる」と表現した。他の友達と一緒に帰っていても、友達が気にするのは兄さんの方。上級生と一緒になって帰るということに、友達が緊張したり気になるのは当たり前のことだと思っていたけれど、それ以上に兄さんは人と距離を詰めるのが得意だった。最初は真ん中に入って歩いていた僕は、だんだんと一方後ろからその様子を眺めるだけになっていた。

 だからといって、兄さんを憎んだりしてきたわけではない。
 兄さんは素直だ。僕にやさしい。
 兄さんのことは嫌いじゃない。
 やさしくて、素直で、明るい兄さんがみんなに好かれるのは当然だとささやく僕がいる。



「アキはこれくらい大丈夫だもんね」
「アキって頼りになるよな~、大体なんでも任せて大丈夫だろ」
 だんだんと、クラスのみんなからも言われるようになったその言葉。
 なんて答えたらいいのかわからないから、僕はにこにこ笑って「うん、大丈夫」と答えることしかできなかった。
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