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第六話 暴動
しおりを挟む「伏せろ、レア」
巡査が床を這いながら、手の平を上下に動かした。若年で漁を始め、軍に入隊しなかった私は、茫然自失して立ちすくんだ。
「レア、失礼します」
中腰で周囲を警戒していた紅が、見かねて私を押し倒した。
紅に抱かれて床に激突した刹那、窓の外で閃光が満ち、鼓膜を震わす爆発音が署内に響いた。
建物全体が鳴動し、天井パネルからほこりが降る。窓はことごとく砕け、床に散らばった。
「ちくしょう。暴徒め、始めから警察署を狙ってきた」
コーチン巡査が、腰の自動拳銃を抜きながら毒づいた。
「四十六ミリグレイのγ線を検出。おそらく対消滅グレネードです」
紅は口を閉じ、胸部のスピーカーから声を出した。
私の宇宙服も短時間被曝を検出して、甲高い不協和音で太陽フレア警告を響かせる。
対消滅グレネードは威力絶大だが、使用者を巻き込む自爆上等の手作り兵器だ。テロリストの武器だが、火星戦争においては劣勢を覆すためオリンポス同盟軍が多用したらしい。
「対消滅グレネードだと。正気か火星の難民は」
コーチン巡査の上司らしき警官が、伏せながら拳銃のグリップで床を殴る。
「警視、あの爆発だと正面玄関は全滅です。暴徒が署内になだれ込んできます」
巡査は大きく口を開けて叫ぶが、爆発で難聴を起こした耳にはささやき声のように聞こえる。
「わかっている。武器庫からライフルを出せ。なんとしても警察署を死守しろ」
警視は立ちあがると、胸にぶら下げた物理鍵で武器ロッカーを開けた。
刑事部を含む三階の要員に、武器弾薬の配布が行われ始めた。
「レア、銃器所持許可は持っていますよね。武装しておいた方が良いでしょう」
コーチン巡査は、無骨なアサルトライフルを差し出す。
「従軍経験がない」
「お守りです。彼らの狙いはアンドロイドかも知れません」
考えたくもないが、可能性はある。
紅をエウロパの海に沈めたのは、そんな勢力なのだ。今度こそ破壊されるかもしれない。
彼女の人格が人工知能の上に実装されていることは理解してる。それでも、そんな運命はあまりにも不憫だった。
私は膝立ちで弾倉を装着すると、震えながら槓桿を握り薬室内に初弾を装填する。
「ごめん、紅。私、きっとツイてない」
私は目を逸らして、理由もなく謝罪した。
「レアは悪いことばかり気にするから、不運だと思い込むのです」
「多分、分かってるけど」
「漁労井戸を維持するために、頑張ってきたのでしょう。成果は出たじゃないですか」
銃把を握る私の手に、紅は手を重ねた。
説明できない気持ちが沸き起こり、私は当惑する。
コーチン巡査は中腰で窓に近付くと、ひときわ目立つ有線電話の受話器をあげた。靴がガラスを踏みしめる不快な音が床を走る。
「もしもし、警察のコーチン巡査です。バーミンガム中尉ですか。警察署が暴徒に襲撃されています。状況が厳しいので掩護して貰えませんか」
極めてめずらしい有線電話は、軍との直通回線だろう。巡査は長く伸ばせない受話器コードに引っ張られて立ちあがる。
「ありがとうございます。えっ、ルコントさん?」
窓際のコーチン巡査には不幸なことに、駐屯地の方角で対消滅グレネードが炸裂した。閃光はエウロパ市を満たし、地響きは警察署まで伝わった。
「都市中心部からγ線と衝撃波を検知しました」
紅はこの状況でも全く動じない。
コーチン巡査は光球と衝撃波に倒れ、受話器を取り落とした。
「くそっ、目と耳が……。レア、電話を拾ってくれませんか。軍の治安担当官がお話ししたいそうです」
コーチン巡査はガラスが散らばる床に転がって、悲鳴をあげる。走り寄った紅が、彼を助け起こした。
私は中腰で走ると、古めかしい受話器を拾う。
「はい、レア・ルコントです」
私も爆発で耳が不調なので、声の限り受話器に叫ぶ。
「ルコントさんですね、エウロパ市駐屯隊副隊長のバーミンガム中尉です。そのまま落ち着いて聞いてください」
電話の向こうは、警察署と同じように騒然としている。
「はい」
「暴徒の一部は統制を保っていて、おそらくアンドロイドの確保を狙っています。警察署が対消滅グレネードで潰滅していないのが傍証です」
駐屯地の状態について言及はないものの、当然襲撃されているのだろう。
「紅を守らないと」
なぜそんなことを言ったのか……警察や軍に引きわたせば、それでおしまいなはずだった。
「そうです。それでお願いしたいことがあります。アンドロイドを連れて、エウロパの氷原に逃げてください。暴徒の主体、火星からの難民は氷原の地理に明るくありません」
「無理です。私だけでは」
「ジェットエグゾス一機がもうすぐ警察に着地します。搭乗者のロシュ軍曹がルコントさんの掩護をします。いずれ強襲降下母艦も到着します」
「は、はい」
「では、ご武運を……」
中尉の後ろで大きな音がして、そのまま電話は切れてしまった。駐屯地の方角で煙があがり、今日何度目かの太陽フレア警告が鳴った。
「で、電話」
その場で振り返ると、片膝をつくコーチン巡査に助けを求めた。
「すまない、よく聞こえない」
コーチン巡査は耳を押さえて、ふらふらと立ちあがった。仕方がないので、そのまま受話器を戻す。
私は武器ロッカーの前で膝立ちになると、ありったけの弾倉をトートバッグに詰め込んだ。
しばらくして、熱交換ジェットエンジンの甲高いタービン音が響き渡った。
「おい、軍から増援が来たぞ。ジェットエグゾスが来たんだ」
二階だろうか、警官が歓喜の声をあげる。
ジェットエグゾスは軍の装備品の一つで、全高三メートル、一人乗りの多脚飛行砲台だ。実物は知らないが、ビデオニュースで見たことがある。
エンジンの音が収まると、白い軍用宇宙服を着たアフリカ系軍人が階段を降りてきた。
「駐屯隊のロシュ軍曹であります。レア・ルコントさんとアンドロイドはどこですか?」
助けは来たのだ。私を呼ぶ声に、ほっと胸をなで下ろす。
「はい、私がレア・ルコント。彼女がアンドロイドの紅」
私は右手をあげると、名乗った。
「動いているのか、アンドロイドが?」
「わっ、私が組み立てたから」
「まあ、良い。かえって好都合だ」
「軍曹、我々警察に協力できることは?」
事務机を倒してバリケードを築いていた警視は、軍曹と敬礼を交わす。
「はっ、警視閣下。ジェットエグゾスは、自律モードにして屋上に設置しました。私の任務は、アンドロイドを氷原に逃がすことです。ルコントさんの氷上車で裏門を突破しますので、掩護をお願いします」
軍曹一人だけだろうか。いやそれだけでも恵まれている。彼は駐屯地を差し置いて、私たちに味方するのだ。外太陽方面軍の艦隊が動き出すまでは、軍も手一杯だ。
「聞いたか。署内の民間人を脱出させる。非常口から裏門にいくぞ」
「おう! 火星人に負けるな」
警官は声をかけ合って士気を高めると、次々と非常階段を駆け下りていった。
まだ爆発の影響が治らないコーチン巡査が一人部内に残された。
「コーチン巡査」
私は彼に手を伸ばす。
「いってください、レア。少し聞こえるようになりました。大丈夫、こんな所で死にはしません」
彼は椅子にもたれかかると、脱出を促した。
「ご無事で、レア」
「はい」
私はライフルを右手に警官について行き、紅は弾倉が入ったトートバッグを肩にかけた。殿はロシュ軍曹が務める。
「アンドロイド、待て。裸だと目立つ」
ロシュ軍曹が紅を呼び止めた。
「氷上車に着替えが」
この際、サイズ違いに拘っていられない。
ロシュ軍曹は私の提案を却下すると、自分のボディーアーマーを紅に着せた。
「対消滅炉なんだろう、氷の下で六年も機能するなんて。爆発したら都市がやばい」
「その通りです」
対消滅炉は対消滅グレネードと比べると、反物質の量が段違いに多い。
暴徒の銃弾で甲高い悲鳴をあげる非常階段を、警官・ロシュ軍曹・私たちが駆け下った。
「射撃二級以上は階段から撃ち下ろせ」
警視は二階の踊り場で自らライフルを構えると、部下に陣形を指示する。
暴徒は警察の裏門に殺到していたが、守衛たちの水平射撃に撃ち負けて突破していなかった。
警官の掩護射撃の中、私たちとロシュ軍曹は氷上車にたどり着く。
「あ、守衛さんに鍵を預けたままだ」
私はいまさら大事なことを思い出して狼狽える。
「問題ない、緊急コードで開ける」
軍曹は予想していたようで、涼しい顔であしらう。
「え、開くの?」
「救助するとき困るだろ」
彼はたくさんあるポケットの一つから、大きめの物理鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。本物の物理鍵より数倍時間がかかったが、扉は開いた。
軍曹は運転室には乗らず、荷台に登るステップに手をかける。
「軍人さん、そこは被曝する」
私はロシュ軍曹の宇宙服を引っ張って止める。
「都市の中だけだ。アンドロイド、袋の弾倉をくれ」
紅はトートバッグをロシュ軍曹に渡した。
「じゃあ、運転は私?」
「無線は通じるな。そうだ、人を轢きそうになっても絶対アクセルを緩めるなよ。合図したら出発しろ」
荷台に上った軍曹は、ライフルの銃口を氷上車の後ろに向けた。
私は運転席に座ると、氷上車の運転モードを手動にする。コンソールを開くと、安全装置の類いを片っ端から切っていく。
邪魔なライフルは、助手席の紅に渡した。
「紅は銃を撃てる?」
「私は軍用アンドロイドの部品で組み上げられていますが、倫理基準は民間です。人間を殺すことは出来ません」
「だよね」
軍曹と私で、紅を守るしかない。
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