紅の惑星、白妙の衛星

しーしい

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第四話 臨時休業

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「火星にいく暇はないから、警察に引き渡すけどいい?」
 私は冷蔵庫のお茶をコップ二つに注ぐと、彼女に差しだした。
 そして、相手が胸だけのアンドロイドであることを思いだした。
「火星の反乱勢力に対抗するには、エウロパの警察は人員が少なすぎます」
 私の妥協案に、アンドロイドは不満を示す。
「しかたがない。漁業の惑星で、警察が対応する事件も少ない」
 昨日会ったコーチン巡査の顔を思いだす。エウロパの警察は、軌道エレベーター地上塔内部にあるエウロパ市のみに設置されている。彼は刑事部所属だが、部全体で常勤の職員は三十四名しかいない。
「私は火星同胞団・・・・・の追跡者によって、エウロパの氷下に投げ込まれたのですよ」
 よほど腹に据えかねていたのか、アンドロイドは語気を強める。
「火星同胞団って何?」
 名前は覚えているが、どんな組織かは知らない。
「主を殺した火星独立派民兵組織です。エウロパまで私を追跡してきました」
「なんで火星同胞団は、漁労井戸ウェルなんかに沈めたの」
 漁労井戸ウェルを扱うには、必ず漁業用の氷上車が必要だ。彼女の証言通りなら、漁師の中に火星同胞団の協力者がいたことになる。
 さらに言えば、火星同胞団はアンドロイドを破壊するだけで済んだはずだ。引き上げられる可能性が低いとは言え、エウロパの氷の下に投入すれば多数の証言者が発生する。
「私の動力を破壊して対消滅爆発を起こしたくなかったのでしょう。外太陽方面軍の本拠地ですから木星は……」
 外太陽方面軍は巨艦をそろえた太陽系統合軍の主力艦隊で、高感度のγ線観測施設を持つ。対消滅を起こしたら、停泊中の艦隊が上を下への大騒ぎになる。
「いつぐらいなの? 海に沈められたのは」
「六年前になります。戦争終結に間に合うように引き揚げていただいて感謝します」
「望んでそうしたわけじゃない。六年なら、私が漁を始めるちょっと前かな」
 私は病身の両親を養うために、十四歳で漁を始めた。漁師なら大抵入隊する、外太陽方面軍にも就官しなかった。
「お声が若いようです」
 アンドロイドの胸部は、勝手に人の年齢を推し量ろうとする。
「まだ十代だよ」
 苦々しく答えた。いかにも私の青春はほぼ失われた。
「失礼しました」
漁労井戸ウェルは放置すると、凍結して廃井戸デッドウェルになる。親が死のうが漁を休むわけにはいかない。うち漁労井戸ウェルは私が守らなきゃ」
 私は重作業の結果、肥大した筋肉を揉む。
「エウロパもまた大変です」
 外太陽系は過酷だ。それでも火星よりはましなのかも知れない。
 紅というアンドロイドは火星で主を殺され、エウロパまで逃げてきた。そして追跡する過激派によって漁労井戸ウェルに投げ込まれたのだ。
 私はアンドロイドとのお喋りを切り上げて、朝食の用意をする。
 カリスト小麦のパンと、魚肉ソーセージ・ほうれん草炒めをざっくりと調理する。合わせるのは代用牛乳と、チーズだ。
 昨晩のアルコールが頭を苦しめる中、私はパンを喉に詰め込む。
 美味しくないわけではないけれども、ひたすら義務的に食べる。食事を抜いて体温が下がれば、低体温症で簡単に死ぬ。
「警察じゃなくて外太陽方面軍ならいい? 軍につてがないけど」
 私は対面のアンドロイドに聞いた。
「軍が望ましいです」
 アンドロイドは落ちついて答えた。高級アンドロイド故だろうか、彼女の会話は妙に人間らしい。
「あと四肢の部位は警察に引き渡した」
「目も見えませんし、歩くためには四肢頭部が欲しいところです」
 再び漁労井戸ウェルに投げ込まれるのは、アンドロイドにしても避けたいだろう。
「これからエウロパ市にいく。警察に寄ってから、軍の駐屯地にいけばいい」
 昨日の出来事で疲れている。今日一日ぐらい漁を休んでも、問題ないはずだ。
 私はパン焼き器のセットがまだなのを思いだして、焼成容器に小麦粉と水を流し込んだ。まともなパン屋はエウロパ市にしかない。頻繁にパンを買ってくるわけにはいかないから、米食の家を除けばこの機械は漁師の間で普及している。
 パン焼き器の焼き上がり時間を設定しながら、スレート携帯端末で警察に電話をした。
「ラ・ポール・デ・メヌエ漁協のレア・ルコントです。漁労井戸ウェルから見つかったアンドロイドの件について、コーチン巡査と話をしたいのですが」
「お待ちください、別の電話に対応中です」
 刑事部に転送されたあと、同僚が引き継ぎ、そのまま待たされた。
「レア、どうしました? こちらからも伝えることが……」
 三分ほど待たされて、巡査が出た。
「コーチンさん……あ」
 エウロパの通信網は軍用通信に間借りしている。ちょっとしたタイムラグがあるのだが、タイミングを間違えて巡査が話し終わる前に口を挟んでしまった。
「アンドロイドの胸部ユニットを発見しました。合わせて軍に引き渡したいから、これからエウロパ市の警察署に寄ります」
 電話向こうのコーチン巡査が色めき立つ。巡査が対応していた別の電話は、軍からの電話だったのだろう。
「良かったです。実は先程、エウロパ市の駐屯地から、レアさんと交渉したいと、申し出がありました」
「何ですか?」
「警察署で詳しく話します」
「はい」
 私はスレート携帯端末を左手に持ち直すと、通話終了ボタンを押そうとする。
「杞憂かも知れませんが気をつけて来てください。火星の戦争が終わったことはご存じですよね。エウロパ市は結構火星からの難民が多いのです」
「何が起きるのです」
「暴動を警戒してます」
 巡査の不穏な言葉とともに、電話は切れた。
 私は朝食の残りを口に押し込むと、食器を食洗機に押し込んだ。
「いくよ。アンドロイド」
 胸部ユニットを両手で抱え、エアロック前室に入るとそれを置いた。
 その後、壁にかけてある宇宙服に足を通す。
「身長百五十五センチぐらいでしょうか?」
 宇宙服を着おえると、アンドロイドは私の身長を正確に計測した。
「なんで分かるの」
「気密ファスナーのコマ数で分かります」
 耳もないのに、このアンドロイドは音に敏感だ。
「随分高性能だ。非与圧状態でのコミュニケーションはどうする?」
「胸部に無線トランシーバーが内蔵されています」
 どれだけ、オプション山盛りの高級アンドロイドなのだろう。周波数とコーデックを合わせると、エアロック外側の扉を開いた。
「ガレージは、エウロパの大気と同じ」
「かまいませんよ。アンドロイドですから」
 ヘッドセットから聞こえるアンドロイドの声は、高音が割れず艶やかだった。
 頭部を接続すれば、人工声帯で喋るはずだ。こんなに綺麗な声色なら、本来の声を聞いてみたい。
 紅の胸部ユニットをトートバッグに入れ、エアロックを出ると、六個ある鍵のうち一個だけを施錠した。駐めてある氷上車まで重いトートバクを運び、狭い扉から乗り込む。
「そういえば、名乗ってない。私はレア・ルコント。貴女を紅と呼ぶけど、いい?」
「はい、紅と呼んでください」
 彼女の声に、明るさが混じる。
「どういう意味?」
「鮮明な赤の日本語表現です。火星の色に、ちなんでつけたと聞いています」
「ならば、この星は白い星かな」
 残念ながら、ありきたりな表現しか出てこなかった。
白妙しろたえの星なんてどうでしょう」
「格好いい」
 氷上車のコンソールの表示を、外部カメラに切り替えると、ガレージドアを開く。
 外はまさしく白妙しろたえの世界だ。
「ふふ」
「出発しよう」
 目的地をエウロパ市に指定すると、自動運転をオンにした。
「お願いします」
「エウロパの海は大変だった?」
 与圧が〇.八気圧に達すると、ヘルメットのバイサーを開け、紅の受難について問うた。
「真っ暗で心地よくはありませんでした。私にはわずかに浮力があり、対消滅炉の廃熱もあるため途中から氷に閉じ込められていました。昨日氷の亀裂によって解放され、海流のまにまに漂い、網にかかりました」
「偶然だ」

 そうして、私は巻き込まれた。
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