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第二章 キアの裏切り

第六節 イルトラ

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 王族会議は夕方にアン・ソアキムの館で行われたが、父王の体調不良で中断となった。
 私が報告した魔界侵攻作戦の結果は、父王の心臓には荷が重すぎたようだ。
 悲痛な顔で聞いていた父王は途中から顔が青くなり、急遽医師が呼ばれた。

 私達は館を仕切る稚児達に追い出される様に、扉の外に出る。
 兄弟姉妹は多かったが、今では兄で王太子のピーラリオ、私、王位継承を放棄したヒシオしか残っていない。

 「でもね、父上、まだ悪い事は残ってるの。キアが世界の滅びを選択すれば、人間界は破滅よ」

 「父上にとっては、今も昔も悪夢のままだ」

 ピーラリオは返事を返す。
 亜人の反乱の際、父上は曾祖父王が魔界に拉致される現場に立ち会わせていた。何を見たのかは知らないが数年は荒廃した生活を送った。
 キアが勇者に選ばれた時点で、父王を説き伏せてピーラリオを摂政に立てるべきだったのかも知れない。

 「月が昇ってきたな」
 ピーラリオが手袋をはめながら呟く。

 月を見るのは気が重たかったが、天秤を押し上げるように顎をのばして東西の空を見上げた。
 「キア……」

 「リシャーリス、何もかも背負い過ぎるな。一人であろうと撤退出来たのは幸いだ」

 「全てをキアに託してね」

 「キアがそう選ぶというのなら、その時は仕方が無い」

 「……私は」

 ピーラリオはキアが自分の妻になるかも知れない女性だから、その信頼を維持出来るのだろうか。
 ミレニアの学生時代から孤高であった私は、その感覚が良く分からない。

 ピーラリオと分かれてアンテ城の要塞部から、私の執務室がある参謀部の練兵場まで急な階段を下る。
 参謀会議は、明日夕方に私を含めた数十名規模の救出部隊を派遣する決定をした。

 魔王がキアを捕縛していた場合、世界を滅ぼすための説得にどれぐらいの時間をかけるだろうか。
 結論を急がないとしても、聡明なキアは何が真実で何が嘘かすぐに理解するに違いない。
 もしかすると、アンテ城内での密会でキアはその知識の多くを魔王と共有しているかも知れない。

 「……今からでもいいから私が魔界に行ってキアを助けられないかな、わがままか」

 私一人で魔界に行ったとしても捕縛されるだけに終わる可能性が高い。そして父王と人間同盟に対する明確な背信行為になる。
 それでも、たった数十名の救出部隊とさほど差があるようには思えなかった。

 今から魔界に行くにせよ、行かないにせよ、何かものを食べ少し休憩を取らないと疲れ切った体はもう動かない。
 執務室に戻るために練兵場の広大な庭を横切る。朝に精鋭ばかり千名並んだこの中庭も、今は人影が少ない。

 庭の中程まで来ると、王女付き給仕班長、実質私専属給仕のイルトラが待っていた。

 「無事ご帰陣のほどを見て安心しました、殿下。食事の希望はございますか?」

 「イルトラ、飽食は望まないわ。ただ早くお腹を満たしたい」 

 「肉団子のシチューでしょうか。厨房にヘリオトス牛の新牛がございます」

 「早くしてよ」

 イルトラはいきなり走り始めると、練兵場に併設されている共同の厨房に走り込む。
 さすがにそれでも間に合わないはずなのに、執務室に戻ると食事が用意されているのは、回答が先読みされ誘導されているからだ。

 実際に程なくイルトラは、ヘリオトス牛の肉団子シチュー、羊の焼肉、焼きタマネギ、白パンを供した。
 私は夢中で食事を口に運び続けた。色々な気持ちが巡って来るので、私は涙が止まらなかったが、それでも顎を止める事無くひたすら食べた。

 食後、頼みもしないのに用意されていたデザートワインを注いでもらい、そのロゼを透かしながら飲む。

 「イルトラ、このワインはまるで赤い月の色ね」

 キアが人間を裏切り世界の滅びを確定させれば、ローズマダーの赤い月は今の何倍にも大きくなり人間界に破滅をもたらすだろう。
 いや、月の色も変わるに違いない。月に光をもたらしている操月輪が魔方陣と同様の性質ならより鮮やかな色に変化するだろう。

 「ロゼのワインとは似ても付かない辰砂しんしゃの色の飲み物、まるで魔族の血じゃ無い……」
 臓物肉とその部下を殺した時の、鮮やかな色の返り血を思い出した。

 「キア……?」
 それは何か悪い予感に思えた。

 「イルトラ、悪いけど別のワインに変えてくれる? そうテカがあれば」
 指揮官として羽目を外している自覚はある。酒精強化ワインを半瓶も飲んだのだ。もう切り上げるべきだ。

 「殿下、お休みになってください。何日眠っていらっしゃらないのですか?」

 「三日かな……まさかイルトラ!」

 ああ、そうだ思い出した……イルトラはたまにこういう事をする。
 私は睡眠を誘うチンキによって、興奮と痛みを無理矢理やすらぎと癒しに沈静された。
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