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第二章 キアの裏切り

第四節 帰還

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 「つうっ、なんで、なんで左手ばかり負傷するのよ」

 魔王の黄水晶の剣と、ハイムの霜槍リス・シーランによって二度も斬られ左腕がひどく痛い。
 キアと魔王の戦いを見届けるためには時間が惜しいが、手当てをしないと失血死するかも知れない。

 血にまみれた籠手を外すと、黄水晶の剣による鋭く細い傷と、霜槍リス・シーランによるみみず腫れになった凍傷が露わになった。
 手を失う覚悟で霜槍リス・シーランを籠手で受けたが、埋め込まれている燭水晶の切片は鋼の剣には効果があるようだ。
 監獄内の井戸で傷を洗うと、あふれ出る血を押さえながら包帯を巻く。
 
 さやの無い剣は持ち運ぶ事が危険なので、使いこなせないがハイムのシーランを拝借した。

 「ふうん、良く出来てるわね」

 つばの留め金を押し込むと、槍の柄の部分が刀身内に呑み込まれて剣に変形する。
 実は人間魔族共に最初の武器はシーランだ。魔法に使われる古い語りにもそれが現れており、剣を示すセシーランは、短いシーランを意味する。
 最初の武器は神から与えられたものだが、魔族はシーランを神聖視するあまり、長い研鑽の後複製を作る事に成功した。人間には及ばない技術だ。

 監獄の外に出ると、壁際にあまりにも大量の人間の死体が積まれていた。
 おそらく亜人房には生きの良いものだけを運んで、あとは燃やして処分する予定だったのだろう。

 「ヘリオトスにこの分の骨のない墓が出来るのね」

 魔界侵攻作戦の前線総指揮官として、私にはこれだけの人死の責任がある。

 魔王城が存在する小山の登り口に足をかけ、力尽きた人間を亜人房に運んだであろう血塗れの階段を登る。
 魔王城に城壁らしきものは無い、階段を登り切った先がそのまま大広間の建物だ。

 通用門から大広間の中に入ると、アンテ城にある物と寸分違わない聖剣の台座が陽光に照らされていた。
 台座は大広間の中心にあり、アンテ城の物と違って柵で囲われていない。
 ガラス質で黒色の台座は、わずかに光を透過して大広間の床に虹色の影を作っている。

 聖剣の台座は世界の始まりから存在しており、アンテ城も魔王城もその上に建てられたに過ぎない。

 キアはアンテ城の台座から聖剣を抜いて勇者となった。
 そして、どちらの台座に聖剣を収めるかで世界の運命を決める。

 もしこちらの台座に聖剣を収めた場合には世界の滅びが確定する。
 魔王を殺し、聖剣をアンテ城の台座に戻せば人間界の永続が確定する。

 「終わったらキアに謝らなきゃ。もうすぐ結婚するキアから幸せを奪い、重責を背負わせてしまった」

 キア・ピアシントはハプタ王に仕える下級貴族の娘で、私に仕える王女付き給仕班長だった。
 不幸にも二つの月の二重蝕の夜、勇者を探すための儀式で聖剣の刀身に映ったのはキアだったのだ。

 キアと魔王が戦っているであろう謁見の間には、大広間から左の院を通って中の院まで行かなくてはならない。
 ハイムが言ったことが正しいのなら、私を使者として帰すためにアンテ城への転送座基台てんそうざきだいが一基は残されているはずだ。
 魔界の花がわずかに咲く渡り廊下を走って中の院に飛び込むと、魔王城正面ホールにつながる廊下にそれが残されていた。

 「壊れてた方が良かったのにな」

 一基の転送座基台が廊下に置かれ、兄ピーラリオの指南役をしていた三名の魔法使いの遺体がその脇に置かれている。

 転送座基台てんそうざきだいは転送座を長時間安定して形成するための魔法器具で、長い棒状をしている。
 侵攻時正面階段に設置したそれを、わざわざ内部の場所に移動してあった。

 私は転送座基台てんそうざきだいのある場所から謁見の間の方向に、吹き抜けの大廊下を進む。
 大廊下の左右は魔族の衛士が固めていたが、私がそこを歩いても何も干渉されなかった。

 謁見の間の直前で交差した長槍が目の前に差し出され、それ以上進むことは出来なかった。
 円形の謁見の間を魔族の戦士が完全に取り囲み、剣を胸の前に捧げている。

 一枚ガラスを通して太陽が明るく照らす中、二人は戦っていたがキアは聖剣と兜を取り落とし、魔王もまた黄水晶の剣と兜を失い両者は組み合っている。
 世界の始まりから存在し神に祝福されている魔王を、水晶剣以外で害する方法はない。


 私達の負けだ。


 魔王を排除するための魔界侵攻は罠にかけられて、キアと私以外全滅したのだ。
 我々人間は、人間界の永続と世界の滅びに関して、完全にキアの意志に委ねるしか方法が無くなった。

 私は人間同盟参謀会議と王族会議に報告するため、キアを見捨ててアンテ城に帰らなければならない。
 すすり泣きながら転送座基台てんそうざきだいの場所に戻ると、魔力を注入してアンテ城につながる転送座を形成する。
 基台の上に黒い楕円状の転送座が、空間を波立たせ広がっていく。

 私は謁見の間の方向を振りかえる。キアと魔王はもしかして抱き合っているのだろうか、いやそんなはずは無い。
 おそらく感傷が私を弱気にさせているのだ、敗北とは言えキアを信じるべきだろう。


 「キア、必ず助けに来るから、魔王に屈しないでね!」


 転送座が発する甲高い音が鳴り響く中、私は涙声でキアに向けて叫び転送座に走り込んだ。
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