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第二章
第十八話
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◇◇◇
『梓涼宮の妃が毒で倒れた。大家がお怒りだ』
『詩涵様に毒が盛られたそうだ』
なんで、なんで、どうして。
あれは毒じゃない。
似ているけれど、絶対に違う。
私が見分け間違うはずがないもの。
『今は宮で安静にしていらっしゃるが、油断できない状態だそうだ』
『大家の唯一である方にそんなことをして、妃として恥ずかしくないのだろうか』
『唯一なのか?そりゃ初耳だな』
『藍洙様が皇后になられるのかと思っていた』
『いつの情報だよ。予定はこなすが、詩涵様にしか心を許していない』
『そうなのか…お前物知りだな』
『バカなことをそそのかす妃も、実行に移す侍女も、海沄様の足手まといになる』
『切り捨てなくちゃなぁ。国のことも考えないような馬鹿がいると、こっちまで民に白い目で見られちまう』
あ、あぁ…私のせいで、私のせいで
娘娘が悪く言われている。
下賤な言葉で、娘娘が罵られている。
***
蓮翠宮には、下品な笑い声が響いていた。
もうすぐ死ぬであろう詩涵を笑って、嬉しそうに笑っている。
「あーおかしい!天罰が下るってこういうことを言うんだわ!」
いつもと違う紗綾を見て、侍女はぎょっとしている。
あからさまな悪意を目の前にして恐れていると言った方が正しいだろうか。
そこに、海沄の先触れが来て彼女は顔を輝かせた。
あの女が弱っているから私の方に来たんだわ。
やっぱり、私なのよ!!
室に憔悴しきった海沄が来る。
足元は覚束ない。
顔色も悪い。
紗綾は涙ぐんで、詩涵の身を案じている風を装った。
海沄は曖昧に笑って、紗綾を抱きしめた。
そして耳もとで囁く。
「…嘘を吐くのが下手すぎる。おかげで腹が捩れそうだよ」
「なに、を」
「お前のところの侍女、灯氾、黎が詩涵に水をかけた。侍女の代わりに水汲みに行った彼女にな」
「わ、わたしは知りません!」
「おいおい、震えるな。誰もお前が悪いなんて言ってないだろう」
「…ひっ」
「その二人を呼べ。今すぐに」
突き飛ばすように体を押すと、彼女は怯えながら二人の名を呼ぶ。
駆けてきた二人は、震えている紗綾を見て竦みあがった。
「…馬鹿か?お前ら。俺のものに手を出すなと釘を刺さなければ分からないのか?自分さえよければ、誰がどうなったっていいのか」
「た、大家」
「まぁ、しかし俺も俺さえよければいいと思う人間だからな」
その言葉に、希望を見つけたような顔をする。
それを鼻で笑う。
「俺は詩涵が幸せならいい。お前らがどうなろうと知ったことじゃない」
「た、大家…!申し訳ありませんでした!!」
「何に謝ってるんだ?許すも許さないもない、ここから消えればいい話だ」
「陛下!私は何も悪くないのです!この者たちが勝手に解釈して…」
「は?侍女の責は上の責任だろう。それも知らずに嫌がらせをするなんて、どこまで馬鹿なんだ」
「で、でも…私は――」
「詩涵は、それを弁えている。侍女に手をあげることも、非道な行いを代わりにさせるようなこともしない。いつだって侍女に頭を下げ、何一つ当たり前ではないと感謝をするような人だ」
「だからなんですか!私は悪くありません!」
「…能が無いな。だから柳家の妃は断ったんだ…。見目が良くても、器量がない。不足だらけ、性格が悪い、だらしのない着こなし、香を焚きすぎ、茶がまずい、化粧が濃い、声がうるさい、そもそも好みじゃない」
海沄は指折り数えながら、彼女に言葉をぶつける。
紗綾はふるふると小さく震え始めた。
「あぁ、あと。蓮翠宮は見目のいい妃が入れるというのは昔の妃が思い描いた空想だ。本来は、時期が過ぎてしまえば気色の悪い蓮のように、一時的に見目がいいだけで何もないことを揶揄している。能がないのは、虫唾が走るからな」
ふっ、と鼻で笑って踵を返した。
「晩翠のように褪せない美貌を持っていたとして、それが何の役に立つ?遊里でしか役に立たないだろう。――まぁ、賢すぎるのも考え物だがな」
最後の一言だけは小さく過ぎて聞こえなかったが、紗綾が打ちひしがれるには十分だった。
「灯氾、黎、付いて来い。お前たちには相応の罰が待っている」
「…はい」
二人は返事をし、海沄の後に続いて蓮翠宮を出て行った。
唇をかみしめて涙を流すまいとしている彼女に近づくのは、左足を引きずった侍女だった。
「娘娘」
「絳浜…」
しゃがんで目線を合わせた絳浜にしがみつくように、服を握りしめる。
「どうして、私が一番なはずでしょう…?」
「…一番、ではないのですよ。貴女様は、わたくしの娘娘よりも劣る」
ふっと片口をあげて、嘲るように嗤う。
一番に信頼を置いていた侍女だった。
「こう…ひん…?」
くすくすと笑う絳浜から目を逸らせない。
「私の娘娘こそ、皇后になられるお方。娘娘のために道になって頂けて嬉しく思っていますよ。紗綾様」
紗綾の目が大きく瞠られた。
その手に乗る不気味な蜘蛛が、襲い掛かってくる。
紗綾は、声を振り絞って悲鳴をあげた。
絳浜はにやりと笑って、室を出て行った。
首元にちょっとした痛みを感じた後、一瞬吐き気を催してから意識が遠のいた。
『梓涼宮の妃が毒で倒れた。大家がお怒りだ』
『詩涵様に毒が盛られたそうだ』
なんで、なんで、どうして。
あれは毒じゃない。
似ているけれど、絶対に違う。
私が見分け間違うはずがないもの。
『今は宮で安静にしていらっしゃるが、油断できない状態だそうだ』
『大家の唯一である方にそんなことをして、妃として恥ずかしくないのだろうか』
『唯一なのか?そりゃ初耳だな』
『藍洙様が皇后になられるのかと思っていた』
『いつの情報だよ。予定はこなすが、詩涵様にしか心を許していない』
『そうなのか…お前物知りだな』
『バカなことをそそのかす妃も、実行に移す侍女も、海沄様の足手まといになる』
『切り捨てなくちゃなぁ。国のことも考えないような馬鹿がいると、こっちまで民に白い目で見られちまう』
あ、あぁ…私のせいで、私のせいで
娘娘が悪く言われている。
下賤な言葉で、娘娘が罵られている。
***
蓮翠宮には、下品な笑い声が響いていた。
もうすぐ死ぬであろう詩涵を笑って、嬉しそうに笑っている。
「あーおかしい!天罰が下るってこういうことを言うんだわ!」
いつもと違う紗綾を見て、侍女はぎょっとしている。
あからさまな悪意を目の前にして恐れていると言った方が正しいだろうか。
そこに、海沄の先触れが来て彼女は顔を輝かせた。
あの女が弱っているから私の方に来たんだわ。
やっぱり、私なのよ!!
室に憔悴しきった海沄が来る。
足元は覚束ない。
顔色も悪い。
紗綾は涙ぐんで、詩涵の身を案じている風を装った。
海沄は曖昧に笑って、紗綾を抱きしめた。
そして耳もとで囁く。
「…嘘を吐くのが下手すぎる。おかげで腹が捩れそうだよ」
「なに、を」
「お前のところの侍女、灯氾、黎が詩涵に水をかけた。侍女の代わりに水汲みに行った彼女にな」
「わ、わたしは知りません!」
「おいおい、震えるな。誰もお前が悪いなんて言ってないだろう」
「…ひっ」
「その二人を呼べ。今すぐに」
突き飛ばすように体を押すと、彼女は怯えながら二人の名を呼ぶ。
駆けてきた二人は、震えている紗綾を見て竦みあがった。
「…馬鹿か?お前ら。俺のものに手を出すなと釘を刺さなければ分からないのか?自分さえよければ、誰がどうなったっていいのか」
「た、大家」
「まぁ、しかし俺も俺さえよければいいと思う人間だからな」
その言葉に、希望を見つけたような顔をする。
それを鼻で笑う。
「俺は詩涵が幸せならいい。お前らがどうなろうと知ったことじゃない」
「た、大家…!申し訳ありませんでした!!」
「何に謝ってるんだ?許すも許さないもない、ここから消えればいい話だ」
「陛下!私は何も悪くないのです!この者たちが勝手に解釈して…」
「は?侍女の責は上の責任だろう。それも知らずに嫌がらせをするなんて、どこまで馬鹿なんだ」
「で、でも…私は――」
「詩涵は、それを弁えている。侍女に手をあげることも、非道な行いを代わりにさせるようなこともしない。いつだって侍女に頭を下げ、何一つ当たり前ではないと感謝をするような人だ」
「だからなんですか!私は悪くありません!」
「…能が無いな。だから柳家の妃は断ったんだ…。見目が良くても、器量がない。不足だらけ、性格が悪い、だらしのない着こなし、香を焚きすぎ、茶がまずい、化粧が濃い、声がうるさい、そもそも好みじゃない」
海沄は指折り数えながら、彼女に言葉をぶつける。
紗綾はふるふると小さく震え始めた。
「あぁ、あと。蓮翠宮は見目のいい妃が入れるというのは昔の妃が思い描いた空想だ。本来は、時期が過ぎてしまえば気色の悪い蓮のように、一時的に見目がいいだけで何もないことを揶揄している。能がないのは、虫唾が走るからな」
ふっ、と鼻で笑って踵を返した。
「晩翠のように褪せない美貌を持っていたとして、それが何の役に立つ?遊里でしか役に立たないだろう。――まぁ、賢すぎるのも考え物だがな」
最後の一言だけは小さく過ぎて聞こえなかったが、紗綾が打ちひしがれるには十分だった。
「灯氾、黎、付いて来い。お前たちには相応の罰が待っている」
「…はい」
二人は返事をし、海沄の後に続いて蓮翠宮を出て行った。
唇をかみしめて涙を流すまいとしている彼女に近づくのは、左足を引きずった侍女だった。
「娘娘」
「絳浜…」
しゃがんで目線を合わせた絳浜にしがみつくように、服を握りしめる。
「どうして、私が一番なはずでしょう…?」
「…一番、ではないのですよ。貴女様は、わたくしの娘娘よりも劣る」
ふっと片口をあげて、嘲るように嗤う。
一番に信頼を置いていた侍女だった。
「こう…ひん…?」
くすくすと笑う絳浜から目を逸らせない。
「私の娘娘こそ、皇后になられるお方。娘娘のために道になって頂けて嬉しく思っていますよ。紗綾様」
紗綾の目が大きく瞠られた。
その手に乗る不気味な蜘蛛が、襲い掛かってくる。
紗綾は、声を振り絞って悲鳴をあげた。
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