女官になるはずだった妃

夜空 筒

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第二章

第十五話

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◇◇◇






詩涵しーはんの傍は心地がいい。
目を覚まして隣を見れば、あどけない顔をしたままで眠る彼女がいる。


海沄はいゆんの朝は早い。
国一番だという自負がある。
しかし、最近はちょっと早すぎるんじゃないかと思っている。
詩涵ともう少し長く眠っていたい。
あわよくば、起きようとしない自分を起こしてほしい。

朝議、無くすか…?と真剣に考えている。
毎日早朝から俺の顔を見て仕事に行くのは、臣下もつらいだろう。

でも、それだけじゃないから朝議を無くせない。



「詩涵」
「…はぃ…」


寝起きで掠れた声を聞くのが好きだ。
しぱしぱと目を懸命に瞬かせるのも、愛らしい。


「俺は朝議の用意があるから、もう行く」
「…んーたいへんですねぇ…」


眠そうだな。
これが可愛くて、毎朝わざわざ起こしているのだが。
必ず口を滑らせるときがあるから。


「朝餉はちゃんと食べるんだぞ」
「海沄様も、いっしょに」
「俺は朝議がある」
「んー…やだ…」


これが聞きたいがために本来より少し早く起きている。
詩涵の意識が覚醒する前のちょっとしたやり取り。
覚えているのは自分だけだろうが、それがまたいい。


「時間が空いたらな」
「…へへ」


…いや、今日も今日とて可愛すぎるな


寝台から下りると、小さな手が伸びてくる。


「…がんばって、ください」


が俺に届く前に、褥に落ちる。
すうすうと眠り始める。


「…今日はおしかったな…」


明日の朝への志を新たに、詩涵の閨を後にする。


庭に出ると羲和ぎおが迎えに来ており、すでに弦沙げんざもいた。


「…弦沙、行きがてら報告を」
「はい。昨日、見回りに行きましたところ…一緒にいた璉琳れんりんを狙い、刀子とうすが投げられました」
「怪我は」
「ありません。璉琳は耳が良いので、投げられた方向にすぐさま娘娘の薬玉を投げ返しました」
「…詩涵は薬を…作れるのか?」
「詩涵様の母である秋己様は薬師でございますので、簡単な薬…風邪薬や咳止め、痛み止めくらいは作れると嵐雲様よりお聞きしました」
「…秋己様の薬よりもさらに苦くて臭いですが…よく効きます」
「…ふむ…臭いのする薬玉か…衣に付けば水洗いしたくらいで臭いは取れまいな」
「ええ。俺はぶつかった時についてしまって…娘娘の石鹸を借りて落としたことがあります」


足が止まり、弦沙を振り返った。
いきなりこちらを見た海沄にびく、と肩を揺らす。


「…詩涵の石鹸を、借りたのか」
「あ。えっと…未使用です」


なんだ未使用か。
ならばいいんだ。新品なら。


「……それにしても、そんなに強い臭いのする薬を作る詩涵からは、香の匂いしかしないぞ」
「はい。書物に臭いが移るのも、自分の室に臭いが残るのもお嫌いですから、裏手の小屋で薬碾を使ってお作りになります。風通しが良いからと、まあ風向きのせいで侍女に文句を言われますが…」
「それは…普段の衫裙に香を焚きしめてまくっている、ということか?」
「いえ、薬作りの際にしか着用されない衫裙があります。加えて沐浴がある日に限ってお作りになられるので、大家に会う際には臭いがないのです。それに娘娘は香を焚きしめすぎると嫌がりますので」
「そうか。薬の材料は、薬丞寮からか?」
「はい。滅多に作ることはありませんが、仕えている護衛宦官には痛み止めや傷薬を必ず持たせてくれます。最近は物騒なので、臭いが強いものをわざわざ作ってくださいました。服用するのではなく、身を守る用にと」
「璉琳はそれを投げたのか」
「ええ。昨日、手についた臭いが水では取れず…俺が貰った石鹸を貸しました」
「詩涵から貰ったのか?」
「娘娘が、石鹸を作ったからあげると…そんな簡単に手に入らないのにくださいました」
「…下賜品でも無ければ、石鹸なんぞ持っていないだろうからな…良い証拠だ」



また一個、紗綾しゃりんを追い込む証拠を見つけられる。
逃げ道を作っているつもりだろうが、これ以上好き勝手にはさせない。
自分の行いが自分の首を絞めていることに、気付かない。
愚かで、能の無い妃は、必要ない。


これは詩涵が皇后という座から逃げる道も、断る理由も無くすことにつながる。

用意は周到に、使えるものは何でも使うのが俺のやり方。
盤面を整えるのは、得意だから。


あぁ、楽しくなってきた。
少しは蓮翠宮に行ってやってもいいな。
どんなボロを出すか、どこまで取り繕えるか。
詩涵との将来の為に、泣き喜んで踏み台になってくれるだろうなぁ。


くはは、と笑いだす海沄に、二人はまた始まったと言わんばかりの表情を浮かべている。






***






梓涼宮に帰ってきた一人の侍女はびっしょりと濡れていた。
侍女に配布される涼やかな色をした衫も裙も、すっかり水を吸って重そうだ。
ぽたり、ぽたりと水が滴る髪。

なぜか結わえられていない。
長い髪を前に垂らしているせいで、知らない人が見れば誰かも分からない。


「ねえ…絨娘じゅうじょう?大丈夫?」


絨娘と呼ばれた水汲みの侍女が顔をあげる。
声をかけた侍女の黄玞ぎふの目がこれでもかと見開かれる。


「…にゃ、娘娘!?な、え!?」
「あはは~びっくりさせちゃった?絨娘が風邪で臥せったから、勝手に借りちゃった」
「か、風邪ですか!?そんな感じはしませんでしたけど…」
「――娘娘!なんで私の服を取って…ってええ!?娘娘!?なにやってるんですか!!」


本人が登場して、詩涵は黄玞からじっと目で責められる。


「…この格好をすると、なかなか私だって認識できないのねぇ…容赦なくぶっかけられたわ」
「……大家が知ったらなんと仰られるか…」
「あら、これは反撃の為の作戦の一つよ。やられてばかりじゃ、癪だからね。海沄様に許可も頂いたわ。真っ当な方法での防衛ならいいよって」
「…なにも水を被らなくてもよいじゃありませんか!お風邪を召されたらどうするんですか?春になったとはいえ風はまだ冷たいのですよ!早くお召し物を着替えになってください」
「ご、ごめんなさい…」
「というか…んふふ。娘娘、大家のことをお名前で呼んでらっしゃいますね!」
「あ…えっと…ちょっと着替えてこようかな!ほら、寒いし!」


ニマニマと笑みを浮かべた絨娘は、色恋に興味がある年頃。
耳聡いわね…若さって怖いわ…




詩涵は、夜着を着て髪が乾くのを待った。
凌梁に、璉琳、黄玞、絨娘の四人に叱られた。
無茶をしないでほしい、急にいなくならないでほしい、型破りすぎる、大家を名前呼びされるのは娘娘だけですよ!

最後だけ違うな。
あれ?お説教を食らっていたと記憶しているのだけども。
まぁ、最近落ち込んでいた絨娘が元気で嬉しいからいいけれど。



髪が乾いても、今日は出かけないので髪を下ろしたまま室に閉じこもる。
朝餉の準備が私のせいで遅れてしまったらしい。
お腹がすいたので反省します。
もうしません。たぶん。

麻の袋に入った干し棗を間食代わりに食べる。


海沄様に報告が行ってしまうそうです。
でも、あえて寝起きの感じを出して、髪を下ろしたまま水汲みに行って正解だった。
顔が見えないないから、容赦なくぶっかけられたし。
それでもこっちは相手の顔が見えるし。

と、言い訳をしてみる。
怒られちゃうかな…笑ってくれた方がいいのだけど。
型破りだな、とか言ってくれる方が嬉しいんですけれど。

ん?嬉しいの?
なんで?
分からない。


「…いやいや、嬉しくはないでしょ」


嬉しくはない。
でも、仕方ないなって笑ってくれるのは嬉しい。


「…可愛いは正義だからね」


眉が下がって、困ったみたいに笑う美形の顔は可愛いもの。

だからか、だから嬉しいのか!
そうだそうだ!


詩涵は、微妙にズレた答えを無理に正解にした。






***






海沄は、羲和からの報告に思わず椅子から立ち上がって転びそうになった。

大きな音を立てて、足を強打した彼に羲和は呆れたように笑う。


「…いった…」
「自分の足の長さを忘れるの、いい加減やめてくれ」
「うるさいぞ」


砕けた話し方をするのは二人の時だけだ。
この二人は乳母兄弟である。
側妃である母を持つ海沄と、その侍女で一番に信頼を置かれていた母を持つ羲和。


「なんで、詩涵が水を被ったんだ」
「海沄様に許可を貰った。これは反撃の作戦の一つだそうだよ」
「…俺のせいか」
「まぁ、十中八九は」
「八でありたい」
「いや九だな。皇帝からの許可はそれだけ重い」
「…詩涵なら、真っ当に反撃する。大丈夫だ」
「……心配で会いに行かれたいのは分かりますけど、まだ無理ですよ」
「嫌味な言い方だな。わざわざ、畏まりやがって」
「貴方様次第ですからね。いつ会いに行けるのかは」


報告を終え、さっさと出ていく羲和。
海沄は頭を切り替え、書類を捌いていく。


羲和であれば、予定の調整も上手くやってくれる。
だがあまり負荷をかけない為にも、仕事を早く終わらせて調整しやすくしてやらねば。


意気込んだ海沄は、ものすごい速さで目を通していった。
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