女官になるはずだった妃

夜空 筒

文字の大きさ
上 下
3 / 20
第一章

第三話

しおりを挟む





 陛下が政務に戻る時間となり、お開きとなった。

 浰青れんせいさんのおすすめの書物の話と、父についての話をしたのみであったが、彼が何でも聞いてくれるような空気感を持っていたせいで、浰青さんについて熱く語り倒そうとしてしまった瞬間が幾度となくあった。
 数刻の間に交わされた会話はあまり多くは無かったけれど、妙に満たされたような気持ちだ。


「あ、娘娘」
「弦沙、戻ってきてくれたの?」
「当たり前ですよ、俺は娘娘の護衛ですから」
「室に戻ったら、皆を集めてくれる?」


 そういうと、あからさまに嫌そうな表情をしだした。


「なにその顔は」
「娘娘の話を聞くのは好きですけど、俺は文字が読めないので……」
「大丈夫よ。今日は浰青さんについて聞いてほしいだけなの」


 雅鹿殿をあとにし、輿に揺られながら梓涼宮へと急いだ。







 日が傾いてきたことを、臣下の帰宅を知らせる太鼓の音で知った。
 目の前の弦沙は、何も言わずに話を聞いていてくれた。少し離れたところで、凌梁りょうりゃんも話を聞いてくれていたらしい。
 浰青さんの話から、本の内容、自分なりの解釈までを赤裸々に語り倒してしまった。


「あれ、もうこんな時間ですか。もう少し聞いていたかった」
「娘娘の話は、聞いていて楽しいから好きです」
「おだてても何も出ないわ」


 そろそろ夕餉の時間である。厨には料理を担当する侍女たちが大忙しで駆け回っている。

 しばらく時間がかかるため私は弦沙と他愛ない話をして、支度が終わるのを待つことにした。


「そういえば、娘娘。お話し合いはどうでしたか?」
「そうね、確実に良い人だと思ったわ。話しやすいい雰囲気のある方ね」
「娘娘も大家の良さが分かりましたか?」
「ええ、誠実な人だと思ったわ。だから少し不思議に思ったの」
「何にです?」


 真っすぐで、誠実で、全身から滲み出ている善良な雰囲気。臣下に慕われる皇帝を間近で見た。
 だからこそ、不思議だった。


「なぜ皇后を決めず、誰とも褥を共にしないのか。夜の訪いは藍洙らんず様にしているわけでしょう?それでも同衾をしたことがない。必ず自分の寝殿に戻ってしまうらしいじゃない」


 誠実そうな彼からは考えられないことだと思ったのだ。
 あんなに真っすぐに人を見る彼が、一人に絞らずにいること。
 皇后に一番近いと言われる彼女とすら、閨を共にしないこと。


「藍洙様のお家は、焦っているでしょうね。訪いだけでは心許ないもの」


 彼女の侍女だって、毎夜のごとく訪れる陛下に期待を寄せているはずだ。
 皇后付きの侍女になれれば、待遇が良いと聞く。


「しがらみだらけで、気も休まらなさそうね。毎日読書に明け暮れる私とは大違いだわ」


 臣下である名家と縁付くことはいいことだが、夫婦仲がその臣下との信頼関係に響くとなると、扱いにも気疲れしそうだ。だが、そこが気にならないくらい愛されるように努力するのが、妃の仕事と言っても過言ではない。夫を支え、実家との釣り合いを取る。
 そういう気遣いが出来るまでが皇后なのではないかと思っている。


 今更ながらに、なんで私が妃になったのか甚だ疑問である。




***




 夕餉を終えた私は、室に籠って『雪尽』を読もうと几に向かっている。
 凌梁に入れてもらったお茶と、大好きな著者の本。
 私にとってこれが何よりも至福である。

 ゆったりとした時間が流れる今、遠くの方からずっと足音が響いている。気のせいでなければこちらに近づいてきている。



―――ドタドタドタ!


 バンっと勢いよく開かれた戸の先に、息を切らした侍女がいた。
 その手には書簡が握られていた。


「皇帝陛下が、梓涼宮にお渡りになります!!」


 目の前に突き出された書簡には、確かに訪いの伺いが書かれていた。


「え、どういうこと?」


 口を開けたまま固まる私を他所に、色めき立つ侍女と、ようやくかと言わんばかりの宦官と護衛たち。





 ―――私は、輿入れの日よろしく侍女に着飾られている。


 夜着にしては煌びやかな薄手の生地。
 本を持っていた手から本を放り投げられて、おしとやかに組まされた。
 結わえられた髪に金歩揺が挿され、しゃらしゃらと揺れるがどうにも邪魔くさい。


 彼が訪いの時間を書き付けて、書簡にしてわざわざ届けたということは藍洙様以外のもとへ訪うのは本当に初めてのことのようである。

 栞の一件はあの話の場で終わったと思っていたのだけれど奇妙な縁というのは続くものなのかもしれない。


「娘娘、やっとですね」
「きっと大家も娘娘の美しさに気付かれたのですよ!」
「褥を共にしないと言われておりますが、娘娘ならば!」


 私の宮は陛下の訪いで、てんやわんやである。
 普段は断ったら聞いてくれるはずの侍女も、化粧をばっちり施してくれた。

 凌梁は嬉しそうだし、弦沙も張り切ってしまって手が付けられない。



 準備が整ったらしく侍女に促されるまま、彼の出迎えをしようと椅子から立ち上がる。

 なにやら先に出て行った侍女たちが騒がしい。
 

 ちらり顔を覗かせると、そこにはすでに羲和様だけを連れた陛下の姿。


 え?なんで?まだ出迎えに出てもいないのに、どうしているの?
 目を瞠ったままでいると、陛下がこちらに気付いて歩いてくる。


 え、え、と混乱状態に陥った私は―――




「待ってくれ、話があるんだ」




―――陛下の制止も聞かずに、踵を返して逃げ出していた。


しおりを挟む
感想 34

あなたにおすすめの小説

平凡なる側室は陛下の愛は求めていない

かぐや
恋愛
小国の王女と帝国の主上との結婚式は恙なく終わり、王女は側室として後宮に住まうことになった。 そこで帝は言う。「俺に愛を求めるな」と。 だが側室は自他共に認める平凡で、はなからそんなものは求めていない。 側室が求めているのは、自由と安然のみであった。 そんな側室が周囲を巻き込んで自分の自由を求め、その過程でうっかり陛下にも溺愛されるお話。

上辺だけの王太子妃はもうたくさん!

ネコ
恋愛
侯爵令嬢ヴァネッサは、王太子から「外聞のためだけに隣にいろ」と言われ続け、婚約者でありながらただの体面担当にされる。周囲は別の令嬢との密会を知りつつ口を噤むばかり。そんな扱いに愛想を尽かしたヴァネッサは「それなら私も好きにさせていただきます」と王宮を去る。意外にも国王は彼女の価値を知っていて……?

離縁してくださいと言ったら、大騒ぎになったのですが?

ネコ
恋愛
子爵令嬢レイラは北の領主グレアムと政略結婚をするも、彼が愛しているのは幼い頃から世話してきた従姉妹らしい。夫婦生活らしい交流すらなく、仕事と家事を押し付けられるばかり。ある日、従姉妹とグレアムの微妙な関係を目撃し、全てを諦める。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

成人したのであなたから卒業させていただきます。

ぽんぽこ狸
恋愛
 フィオナはデビュタント用に仕立てた可愛いドレスを婚約者であるメルヴィンに見せた。  すると彼は、とても怒った顔をしてフィオナのドレスを引き裂いた。  メルヴィンは自由に仕立てていいとは言ったが、それは流行にのっとった範囲でなのだから、こんなドレスは着させられないという事を言う。  しかしフィオナから見れば若い令嬢たちは皆愛らしい色合いのドレスに身を包んでいるし、彼の言葉に正当性を感じない。  それでも子供なのだから言う事を聞けと年上の彼に言われてしまうとこれ以上文句も言えない、そんな鬱屈とした気持ちを抱えていた。  そんな中、ある日、王宮でのお茶会で変わり者の王子に出会い、その素直な言葉に、フィオナの価値観はがらりと変わっていくのだった。  変わり者の王子と大人になりたい主人公のお話です。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

白い結婚がいたたまれないので離縁を申し出たのですが……。

蓮実 アラタ
恋愛
その日、ティアラは夫に告げた。 「旦那様、私と離縁してくださいませんか?」 王命により政略結婚をしたティアラとオルドフ。 形だけの夫婦となった二人は互いに交わることはなかった。 お飾りの妻でいることに疲れてしまったティアラは、この関係を終わらせることを決意し、夫に離縁を申し出た。 しかしオルドフは、それを絶対に了承しないと言い出して……。 純情拗らせ夫と比較的クール妻のすれ違い純愛物語……のはず。 ※小説家になろう様にも掲載しています。

継母の心得 〜 番外編 〜

トール
恋愛
継母の心得の番外編のみを投稿しています。 【本編第一部完結済、2023/10/1〜第二部スタート☆書籍化 2024/11/22ノベル5巻、コミックス1巻同時刊行予定】

処理中です...