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第一章
第一話
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朝早くから太鼓の音が鳴り響く。
きっとお父様は登城している頃だろう。
仙家の当主であるお父様は、秘書省監である。
ようは、宮城にある文徳楼と呼ばれる図書寮の長官である。
書物が大好きなお父様には天職といっても過言ではない。
そんな書物の虫である父を持つ私も、またしかり。
現に、私は文徳楼で書物を読み漁っている最中だ。
さすがは宮廷、市井にはない書物がたくさんある。
お目に掛かれない代物までもがずらりと並んでいる。
「やっぱり、妃になってからの利点ってこれくらいよね」
巻物を手に取って、紐をゆっくり解く。
題名は『蓮華帖』。市井には出されなかった怪奇小説だ。
この著者が書く小説のほとんどが廃書扱いであるため、ここでしか読むことが出来ないのである。
市井の貸本屋で、一度だけ彼の本が出たことがある。
題名は『梅桃の苑』。これは女性に人気が出た作品で、男女三人のドロ沼三角関係の話である。
餅餌屋を営む女人と、雇われの青年、宮廷に仕える武官が織りなす恋愛小説だ。
私が彼の読者になるきっかけとなった本でもある。
「どうしてこんなに面白いのに、廃書なのかしら」
書評を書いてもらえなかった本は、ここ文徳楼預かりとなり、市井に出されることは無い。
彼の場合、描写がリアルすぎることに問題があるのかもしれない。気味の悪い現象に、よく分からない妖怪や幽鬼。恐怖に怯え、血に染まり、愛憎が交差して絡み合う。人間らしさというか、誰もが持つ意地汚さを前面に出し過ぎた感じが堪らない。
それゆえに、読み手を選ぶこととなり、書評を書いて貰えないのではないかと思う。
「あぁ…こんなのもあるじゃない」
彼の作品が収まっている棚には、他にも作品が並んでいた。
お父様に聞いていた通り、『梅桃の苑』には後編があったようだ。
さらに登場人物が増え、男色もあり濡れ場もありみたいな…刺激強めの後編。
輿入れをしてから早三月経つが、私は未だに夫であり現皇帝の彼の顔を見ていない。
女官として入る気満々だった私を侍女たちが着飾り、輿に揺られて着いた後宮。
本当なら皇帝と顔合わせがあるはずなのだが、彼は忙しいから後宮に勝手に入ってくれ、と軽い感じのお言葉だけをくれた。
誰とも褥を共にしない皇帝の一番のお気に入りは、劰家の長女である藍洙様だそう。訪いの絶えない彼女は、出るとこが出て、引っ込むとこは引っ込んでいる佳人だ。
早く皇后にしてしまえばいいのに。
そうすれば、私だって彼に会わないようにとか気を遣って文徳楼に早朝から来なくて済むのだから。
「…何冊か借りていこう。そろそろ凌梁がうるさそうだわ」
巻物と、紐で綴じられた本を数冊借りることに決めた。
「林玄さん、これ借りていきますね」
「では、書き留めますので少しだけお待ちを」
父の部下で、秘書侍郎の林玄さんは綺麗な顔をした文学青年だ。
「詩涵様、また彼の本ですね。蓮華帖なんて、一人で眠れなくなってしまうかもしれませんよ」
「怖いものには興味を惹かれますから、眠れないほど怖いなら大歓迎です」
「ふふ、さすがは嵐雲様の娘といったところでしょうか」
はい、と書き終えた彼が本を渡してくれる。
これから、部屋に籠って一気に読むつもりだ。
「では、林玄さん。また」
◇◇◇
高揚した気分で後宮に帰ると、凌梁は案の定鬼の顔をして待っていた。
しかし、私の手元にある本を見て呆れたように笑い、厨にお茶を煮出しに行ってくれた。
私はさっそく室に戻って、本を開く。
はらり、と舞って落ちたのは薄紅色の紙だった。
長方形をしているそれはおそらく栞と思われる。
『桜花』と紅色の文字があることから、最近市井で流行している紙屋のものだと分かった。
「綺麗ねぇ…」
私も愛用している栞で、読書家の間では前から有名だったものだ。私は、薄緑の紙で葉を模って作ってもらったものを使っている。
「けど、読んでる途中だったのかしら……何項か分からないわ」
パラ、と開きすぎたせいで落ちてしまったので、この人がどこまで読んでいたのか全く分からない。
凌梁がお盆に乗っかっている茶器を几に置いて、栞をまじまじと見ている私に声をかけた。
「娘娘、お茶が入りました。何をしてるんです?」
私はこれ幸いとばかりに、笑顔で頼みごとをする。
「凌梁、悪いのだけど…この栞を林玄さんに渡してきてくれないかしら」
「今の時間なら娘娘の御父上がいらっしゃるのでは?」
遠回しに自分で行けと断られ、しぶしぶ腰を上げる。
お茶が冷めちゃうなぁ、と呟いてみる。
「お茶なら入れなおして待ってます。本は、我慢してください」
「…はーい。いってきまぁす」
侍女には逆らえない。
凌梁が私の一個上で、宮廷から宛がわれた付き合い三か月の侍女だとしても。
早朝なら一人でいいけれど、今の時間帯は朝議を済ませた人がたくさんいるから、護衛を連れて行かねばならない。
室を出て、侍女と護衛宦官が住んでいる方向に声をかける。
「弦沙ー、いたら返事してー」
少し声を張って、護衛である彼を呼ぶ。
「娘娘、なにか御用ですか?」
戸を開けて顔を覗かせた彼は、なんだか少し嬉しそうである。
「この栞を文徳楼に返しに行きたいの。お父様がいるから少し挨拶もするけど、この後平気?」
「娘娘が室から出るのであれば、職務を全うできます。いつも暇なので」
「引きこもってばかりの主人で申し訳ないわね」
行事など以外で自分の宮から出ることをしないため、護衛とは名ばかりの宦官が何名かおり、厨に手伝いに行ったり雑用を引き受けてくれたりしている。
「弦沙、迷子にならないでね」
「娘娘よりも長く後宮にいるのですから、平気です」
「私から離れないように」
「……はい」
玉砂利を踏みしめる音が二つ分。
後宮にある私の宮、梓涼宮からほど近い文徳楼に向かっている。
文徳楼が近い宮を宛がわれたことが幸いだ。
そして、皇帝の寝殿から一番遠いのも嬉しい。
後ろを付いて来ている弦沙に話しかけながら、人が増えた文徳楼にお邪魔する。
「弦沙、お父様は見える?」
「…ええ、書物を読んでおられるようです」
「林玄さんは?」
「あー、几の方にいらっしゃいます」
私よりも背の高い弦沙に中の様子を見てもらう。
「そう、じゃあ行きましょう」
―――これが、私の今後を変えることになるとは思わなかった。
きっとお父様は登城している頃だろう。
仙家の当主であるお父様は、秘書省監である。
ようは、宮城にある文徳楼と呼ばれる図書寮の長官である。
書物が大好きなお父様には天職といっても過言ではない。
そんな書物の虫である父を持つ私も、またしかり。
現に、私は文徳楼で書物を読み漁っている最中だ。
さすがは宮廷、市井にはない書物がたくさんある。
お目に掛かれない代物までもがずらりと並んでいる。
「やっぱり、妃になってからの利点ってこれくらいよね」
巻物を手に取って、紐をゆっくり解く。
題名は『蓮華帖』。市井には出されなかった怪奇小説だ。
この著者が書く小説のほとんどが廃書扱いであるため、ここでしか読むことが出来ないのである。
市井の貸本屋で、一度だけ彼の本が出たことがある。
題名は『梅桃の苑』。これは女性に人気が出た作品で、男女三人のドロ沼三角関係の話である。
餅餌屋を営む女人と、雇われの青年、宮廷に仕える武官が織りなす恋愛小説だ。
私が彼の読者になるきっかけとなった本でもある。
「どうしてこんなに面白いのに、廃書なのかしら」
書評を書いてもらえなかった本は、ここ文徳楼預かりとなり、市井に出されることは無い。
彼の場合、描写がリアルすぎることに問題があるのかもしれない。気味の悪い現象に、よく分からない妖怪や幽鬼。恐怖に怯え、血に染まり、愛憎が交差して絡み合う。人間らしさというか、誰もが持つ意地汚さを前面に出し過ぎた感じが堪らない。
それゆえに、読み手を選ぶこととなり、書評を書いて貰えないのではないかと思う。
「あぁ…こんなのもあるじゃない」
彼の作品が収まっている棚には、他にも作品が並んでいた。
お父様に聞いていた通り、『梅桃の苑』には後編があったようだ。
さらに登場人物が増え、男色もあり濡れ場もありみたいな…刺激強めの後編。
輿入れをしてから早三月経つが、私は未だに夫であり現皇帝の彼の顔を見ていない。
女官として入る気満々だった私を侍女たちが着飾り、輿に揺られて着いた後宮。
本当なら皇帝と顔合わせがあるはずなのだが、彼は忙しいから後宮に勝手に入ってくれ、と軽い感じのお言葉だけをくれた。
誰とも褥を共にしない皇帝の一番のお気に入りは、劰家の長女である藍洙様だそう。訪いの絶えない彼女は、出るとこが出て、引っ込むとこは引っ込んでいる佳人だ。
早く皇后にしてしまえばいいのに。
そうすれば、私だって彼に会わないようにとか気を遣って文徳楼に早朝から来なくて済むのだから。
「…何冊か借りていこう。そろそろ凌梁がうるさそうだわ」
巻物と、紐で綴じられた本を数冊借りることに決めた。
「林玄さん、これ借りていきますね」
「では、書き留めますので少しだけお待ちを」
父の部下で、秘書侍郎の林玄さんは綺麗な顔をした文学青年だ。
「詩涵様、また彼の本ですね。蓮華帖なんて、一人で眠れなくなってしまうかもしれませんよ」
「怖いものには興味を惹かれますから、眠れないほど怖いなら大歓迎です」
「ふふ、さすがは嵐雲様の娘といったところでしょうか」
はい、と書き終えた彼が本を渡してくれる。
これから、部屋に籠って一気に読むつもりだ。
「では、林玄さん。また」
◇◇◇
高揚した気分で後宮に帰ると、凌梁は案の定鬼の顔をして待っていた。
しかし、私の手元にある本を見て呆れたように笑い、厨にお茶を煮出しに行ってくれた。
私はさっそく室に戻って、本を開く。
はらり、と舞って落ちたのは薄紅色の紙だった。
長方形をしているそれはおそらく栞と思われる。
『桜花』と紅色の文字があることから、最近市井で流行している紙屋のものだと分かった。
「綺麗ねぇ…」
私も愛用している栞で、読書家の間では前から有名だったものだ。私は、薄緑の紙で葉を模って作ってもらったものを使っている。
「けど、読んでる途中だったのかしら……何項か分からないわ」
パラ、と開きすぎたせいで落ちてしまったので、この人がどこまで読んでいたのか全く分からない。
凌梁がお盆に乗っかっている茶器を几に置いて、栞をまじまじと見ている私に声をかけた。
「娘娘、お茶が入りました。何をしてるんです?」
私はこれ幸いとばかりに、笑顔で頼みごとをする。
「凌梁、悪いのだけど…この栞を林玄さんに渡してきてくれないかしら」
「今の時間なら娘娘の御父上がいらっしゃるのでは?」
遠回しに自分で行けと断られ、しぶしぶ腰を上げる。
お茶が冷めちゃうなぁ、と呟いてみる。
「お茶なら入れなおして待ってます。本は、我慢してください」
「…はーい。いってきまぁす」
侍女には逆らえない。
凌梁が私の一個上で、宮廷から宛がわれた付き合い三か月の侍女だとしても。
早朝なら一人でいいけれど、今の時間帯は朝議を済ませた人がたくさんいるから、護衛を連れて行かねばならない。
室を出て、侍女と護衛宦官が住んでいる方向に声をかける。
「弦沙ー、いたら返事してー」
少し声を張って、護衛である彼を呼ぶ。
「娘娘、なにか御用ですか?」
戸を開けて顔を覗かせた彼は、なんだか少し嬉しそうである。
「この栞を文徳楼に返しに行きたいの。お父様がいるから少し挨拶もするけど、この後平気?」
「娘娘が室から出るのであれば、職務を全うできます。いつも暇なので」
「引きこもってばかりの主人で申し訳ないわね」
行事など以外で自分の宮から出ることをしないため、護衛とは名ばかりの宦官が何名かおり、厨に手伝いに行ったり雑用を引き受けてくれたりしている。
「弦沙、迷子にならないでね」
「娘娘よりも長く後宮にいるのですから、平気です」
「私から離れないように」
「……はい」
玉砂利を踏みしめる音が二つ分。
後宮にある私の宮、梓涼宮からほど近い文徳楼に向かっている。
文徳楼が近い宮を宛がわれたことが幸いだ。
そして、皇帝の寝殿から一番遠いのも嬉しい。
後ろを付いて来ている弦沙に話しかけながら、人が増えた文徳楼にお邪魔する。
「弦沙、お父様は見える?」
「…ええ、書物を読んでおられるようです」
「林玄さんは?」
「あー、几の方にいらっしゃいます」
私よりも背の高い弦沙に中の様子を見てもらう。
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