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第二章 人外の思い

繋がる記憶

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「あーあーもう、結局使わなかったじゃんかー」

 『AEK971』を持ちながら残念そうに呟くシモナに「取るだけ無駄だったー?」と僕は陽気な声を上げる。

「うーん……試作品みたいだし、性能試しがてら使いたかったんだけどなぁ……」
「しょうがねえじゃんかシモナ、あと一人だったんだろ?」
「いやそうだけどさぁー……」

 無残に転がる死体の数々を細目で見るシモナに、元の姿に戻った僕は少しだけ疑問を持った。
 あの目は、僕をいつも見る厳しい目とは、何処か違うと感じたのだ。
 何も嫌なことがあった訳でもないのに。

 僕はシモナのその目に見覚えがあった。
 どうしてだろう。嫌な記憶が流れてくる。

 目をひと瞬きすれば、そこは
 ここは何処だ? 僕はさっきまで雪の積もる河沿いにいたはずだ。

『……め! 姫! お待ちください!』

 着物を着た若い男性が僕を追いかけてきている。
 やめろ、誰のことを言ってるんだ?
 姫は僕じゃない。僕は姫なんかじゃない。

『姫! あなたにはこの国にいていただく権利があります!!』

 だから、僕は姫なんかじゃ……
 ふと、そいつと目があった。
 先程のシモナと同じような目をしている。
 ───あれは『亡骸を蔑む目』。
 僕が大嫌いな、哀れみの目───

「ガルアット?」

 不意に名前を呼ばれ、ハッと我に返る。
 辺りを見渡す。そこはもう、深々しんしんと雪が覆ういつもの景色だ。

「どうした?」
「あ、いや……なんでも、ないよ」

 慌てて僕は作り笑顔を表にした。
 僕の笑顔に疑問を持ったのか、シモナは彼に先に帰るよう言い渡し、静かな空間に数匹の鳥、そして僕とシモナだけになった。

「お前がその笑顔をする時は、大抵なにか考え事をしている時だけだ。それは私も知っている」
「……」

 シモナの女言葉は、いつになっても慣れない。
 女の子らしくとは言ったものの、その口調には少し無理をしている雰囲気も感じられる。
 というか、僕が最初に話していたのは、男言葉なシモナだったから。その印象が強くて、余計に慣れないのかもしれない。

「何かあった? もしかしたら、私にも原因があるかもしれない」
「…………目」
「うん?」
「目。さっき、シモナがあの死体に向けた、あの冷たい目。
 ……僕はあの目が嫌い。どうしてかは分からないけど、僕はあの目に見覚えがある」
「…………」

 今度は僕の代わりに、シモナが黙ってしまった。
 シモナが表す表情は優しく、穏やかな目をしている。気をつかってくれているのだろう。

「夏……かな。僕は多分、過去に日本のどこかにいて、国の中心の立場にいたんだと思う。僕を追っていた人は、僕のことを『姫』って呼んでいた。……でも、僕は呼ばれるのを拒絶していたんだ。なんでかは分からないけど」
「……なるほど」
「だから初めて会った時、日本語しか話せなかったのかもしれない。出身が日本だから?」
「……いや、それは違うと思う」
「どうして?」
「…………詳しくは、拠点に戻ってから話そう。ここだと見つかる可能性が高いからね」
「……分かった。乗る?」
「いいよ。歩いて帰ろう」

 シモナの鼻が赤い。まるでトナカイみたいだと前に言ったら、ほんの弱い力で思いっきり叩かれた。
 ……そう、だ。
 シモナは僕に何かをする時、いつも手加減をする。
 これまで本気で何かをされたことなど無かった。理由があるのか問いかけても、ただ静かな微笑みが待っているだけだ。

 ……それでも、僕は理由があると、どうしても感じてしまう。
 理由があるのは分かっている。僕は人間じゃないから、シモナの気持ちも他のメンバーの気持ちも何一つ分からないけれど、人間という存在は、理由があることを糧にして何かをすることが多い。

 僕もそれに、人間という存在にだんだんと近づいていっている。
 人の姿にこそなれないものの、人間と暮らしていけばそりゃあそうなるだろう。
 人語を話す人外なんて、『ただの化け物』なんだから。

「ガルアット、ひとつ聞いておきたいことがある」
「うん?」

 歩きながら彼女は口を開く。
 疑問が浮かぶ。
 聞いておきたいこと。なんなのだろうか。

「お前は、鬼を信じるか?」
「鬼?」
「そうだ。私はお前と過ごしてもう十年以上は経つ。これまでに何回か『心寿』の存在は話してきたが……鬼の存在自体は知っているだろう?」
「うん、知ってる。僕みたいに角が生えていて、すごい優しい顔をした人の事でしょ?」
「正確に言えば人ではない。人だけど、人じゃない、そんな言い回しが正しい」

 少々意外であった。
 まさかシモナの口から「鬼」なんて言うワードが出てくるなんて思わなかった。思ってもいなかった。
 鬼の存在は、僕も知っている。シモナに教えられた訳ではなく、僕の頭の中に知識として備わっている。
 まるで、

 ───仲良く?

 先程の記憶を思い出してみた。
 森の中、着物を着た若い男性。
 …………の、そのおでこ。
 確かに、その男性のおでこには「角」があったはずだ。
 酷く立派な、二本の角。
 思い出すことは簡単であった。情報さえ揃えば、後は辿るだけだったのだから。
 鬼に関する記憶があるのなら、のではないか?

「……どうやら、心当たりがあるようだな」

 シモナにそう言われ、頷くしか手段がなかった。

「……心寿の記憶について、最近思い出したことがあってな。それが鬼に関することだったんだ」
「どゆこと?」
「会っていたんだよ」
「は?」
「心寿は、鬼に会っていたんだよ」
「会ってた?」

 言われたことを復唱してしまう。
 思考が追いつかない。シモナの前世が、鬼に会っていた?

「それ、どゆこと? タイムスリップでもしなきゃそんなこと出来ないでしょ」
「いやしたんだよ。タイムスリップ」
「ぱええ?」

 鬼といえば、四鬼が有名だろう。
 金鬼きんき水鬼すいき風鬼ふうき隠形鬼おんぎょうきの四人の鬼が、藤原千方ふじわらのちかたという人物に仕え、朝廷に反乱を起こしたという伝説は、流石の僕でも知っている。

「……四鬼の人達と会ったの?」
「いいや違う。そもそも四鬼は生息していた地域が違うはずだ。京都と三重で近いけど」
「でも時代は同じだよね」
「あぁ……まぁ、うん。四鬼の伝説は平安時代ってだけで、詳しい年代とかはまだ分かってないけどな……」
「え、あれって平安時代初期なんじゃないの?」
「は? なんでお前がそんなこと知ってんだ?」
「えあれ、なんでだろ?」

 長い首を十五度ほど傾ける。
 あ、違うんだ。
 じゃあ、シモナはどこの鬼と会ったんだろう。前鬼? 後鬼? いや、後鬼は隠形鬼と会っているはず。

 ……って、あれ? 後鬼と隠形鬼は、本来出会うはずなんて無いんだけど……なんで知ってるんだろう?

「……まぁいいや。で、誰だったの?」
「茨木童子、酒呑童子」
「茨木……って、あの平安の? 沢山の仲間を引き連れていて、酒呑童子はその上に君臨していたけど、結局は源四天王に殺されて、鬼の一族は滅ぼされたんだっけ。その茨木童子と、酒呑童子のこと?」
「そうそう。なんで知ってるんだ?」
「うーんなんでだろ?」
「どういうことだそれ」
「ガルアットの頭の中には、日本の鬼の一族についての情報が沢山あるのだよー」
「どういうことだそれ? まさか鬼の一族だったとか言わないよな?」

 シモナの言う通りなのかもしれない。
 あくまで推測だけど、僕はきっと鬼の一族として過ごしていて、何らかの原因があって記憶を無くして、このフィンランドに来て……

 …………来て、何がしたかったんだろうか?

『何らかの原因』の中に、もし逃げている事態が起こっていたとすれば、もっと寒くない所だってあったはずだ。
 でも、どうしてフィンランドに? 僕の地理感覚は優れている。わざわざここに来る必要なんてあったのだろうか。

「……分かんない」
「……? ……まぁ、いいや。帰っておやつにしようか」
「んむ!」

 きゅ、と足付近を掴まれる。

「ほえ?」
「…………」

 彼女の仕業のようだ。黒いネックウォーマーで口元を隠して、歩きながら顔色を伺うように、恥ずかしそうにこちらを見つめてきている。

「…………私も寂しがり屋なんだよ。ダメか?」
「……ううん、知ってるもん。だから、別に気にならないよ」

 僕は笑ってみせた。
 申し訳なさそうにネックウォーマー越しで彼女が微笑んだのが見えた。
 それと同時に、掴まれる手の力も強くなったのを、僕は身体で感じていた。
 三月の寒い冬は、もうすぐ終わりを迎える。

 シモナは「日本よりもだいぶ遅い春だ。これじゃあ立春でもなんでもないじゃないか」と、春が来る度に笑い混じりにぼやいていた。

 だんだんと雪がとけて、そうすれば地面の見える春がやってくる。

 確かに立春ですら無いかもしれない。
 それでも、僕はこういう春も悪くないと思った。

 いつまでもシモナが僕に、寒そうに引っ付いて眠ってくれるだけで、僕は幸せだったのだから。
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