蒼雷の艦隊

和蘭芹わこ

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プロローグ

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 サムエル・フォールは目を疑った。
 それは忘れもしない一九四二年三月二日、時刻は午前十時頃のこと。突然二○○ヤードのところに、日本の駆逐艦が現れた。
 撃ち落とされ、漂流していた英国イギリスの艦隊集団は既に疲れ果てていた。その最中に駆逐艦が現れ、パニックに陥った者の中には、自殺を促すものまでいた。
 サムエルらの方へと艦首を向ける駆逐艦。フォールは、幻なのではないかと思い、再び目を疑った。そして、銃撃を受けるのではないかという恐怖を同時に覚えた。
 と、駆逐艦からひょっこりと顔を出した小さな身体。見た目からして子供のように思えるその姿を捉えた時、サムエルはこれまでにない恐怖を覚えた。
 。銀髪のそれは、恐ろしく思えるほどの眼光を持っていた。
 サムエルは、今度こそだめだと思った。あきらめて海に沈もうと身を投げ出そうとした時。

「敵兵を、救助せよ」

 ハッキリと、その言葉を聞いた。

***

 明治三十四年一月七日、彼は山形県東置賜郡屋代村竹森で生まれた。
 上には、七歳年上の兄新一に、十歳年上の姉ちんがいる。彼は次男として誕生し、農業地主の家庭で兄姉や、祖父母に囲まれて暮らしていた。
 彼の祖父、七郎兵衛は寺子屋にて教育を受けており、その博学さは士族に負けない程だった。
 日清、日露の両戦争で海軍が勝利の決定的要因を占めたことを知り、孫の彼を何としても海軍に進めたいと思うようになった。
 この時期は旧米沢藩が、海軍へと人を次々と送っていたこともあり、七郎兵衛は一層強くなった。
 彼は、幼少の時から軍歌の「勇敢なる水兵」「上村将軍」を子守歌として祖父母に聞かされていた。
 明治二十七年に米沢で起きた事件のことを口癖のように語るのだ。
 米沢の事件。それは明治二十七年四月二十七日のこと。上杉神社前夜祭の時に、ミス・イムマンという英国の聖公会女性宣教師が何者かに投石された事件。ミス・イムマンは片目を失明する重傷を負ったのだ。
 毎日のように聞かされていた彼は既に内容を覚えてしまい、祖父母と一緒に復唱をしてケラケラと笑っていた。
「艦隊勇み帰る時、身を沈め行くリューリック、恨みは深き敵なれど、捨てなば死せん彼らなり、英雄の腸ちぎれけん、『救助』と君は叫びけり……」
 祖父母と一緒に歌う無邪気な声。
 彼は、軍隊は嫌いではなかった。かっこいいとも思っていたし、祖父が凄まじく勧めるが故に密かに興味も持っていた。
「さ、俊作や、もう眠りんさい」
「やんだ! 眠れんもん!」
 駄々を捏ねる彼に、祖父母は眠るようにと、軍歌をいつまでも聞かせていた。

 明治四十一年、彼は屋代尋常小学校に入学した。この時は、二年前に出征していた兵士が帰還してきている時だった。
 すれ違いざまに「おー俊作、元気しったった?」と、彼を知る兵士が頭をわしゃわしゃと撫で回す。
「ん! そりゃあね!!」
「んーそうかぇ、そりゃいがった。知らん間におがったなぁ」
「歳は取るもん、そだなもん当たり前だ!」
 元気に声を上げる彼に、兵士はニコニコと笑って対応していた。
 彼にとってその姿は何よりもかっこよくて、憧れの存在でもあった。
 三学年進級の明治四十三年四月十五日、家から出る前に、彼は祖父母に連れられてラジオのある部屋に案内された。広島湾で潜水訓練をしていた第六号潜水艇が、事故を起こして沈没する事態が発生していた。
 艦長を含む十五名全員が、各々の配置についたまま亡くなっていたという。
 この日小学校では、朝礼が行われていた。事故で亡くなった潜水艇艦長の佐久間勉艦長の話を、校長の佐藤貫一が全校生徒に伝えた。
「呉軍港に向けて、亡くなられた海軍の人達に向けて、最敬礼をしましょう」
 全校生徒はその声に合わせて腰を折り曲げる。彼もその中に入っていた。
 
「淀野先生」
 朝礼の直後、彼は担任の淀野儀平の元に向かっていた。
「工藤、どうした?」
「平民でも、海軍士官になれますか」
 彼はいたって真面目であった。同時に、海軍人に強い憧れもあった。
「あぁ、なれるさ。そんなら、米沢興譲館中学へいってみやえ。あそこは海軍士官を多く送り出しとるぞ」
 淀野は笑っていた。元気よく返事をして教室へ戻る彼を、淀野は静かに見つめていた。

 帰宅した彼は、夕食の時に家族に向かって言った。
「おらおっけぐなったら、海軍士官兵になっつぉ!」
 隣にいた祖父は、喜色満面で「米沢州に負げねよに、まっと勉強しろよ!!」と、彼の頭を撫でくりまわしながら言った。
 年号が変わり、大正四年三月に、彼は小学校を卒業した。三年間勉強したこともあって、志望校である米沢興譲館中学にも合格して、晴れて中学生となった。
 しかし彼はかなり控えめな性格で、人と関わることをあまり必要としない人間でもあった。
 中学の同期に親友の近藤道雄がいたが、後の支那事変で乗機が墜落して戦死を遂げている。
 この時の兵学校進学希望のの進路指導を担当していたのは、我妻又次郎という人物。我妻は、進路指導の時の工藤の思いを聞き、何としても兵学校へと送ろうと決意した。
「うーん……」
 中学の盛夏時、襟元を緩めた彼が我妻に「服装を乱すな、そんなことで海軍士官になれるのか」と叱られた日の下校時のこと。
「ボクが屋代の出身だから、先生はボクに対して厳しいのかなぁ」
 珍しく標準語で弱音を吐いた彼に、級友の一人が「いやそれは違うぞ工藤」とすかさず反論。
「俺たちから見て、お前かえって可愛がられてるように見えるぞ!?」
「はぁ? 嘘だーそんなこと!」
「ほんとだって! 他の奴らにも聞いてみろよ!」
 半分冗談かと思ったその言葉を、彼は「まぁ……うん」と、曖昧な返事をして会話を終わらせた。

***

 大正七年三月十六日。
 時刻は昼頃、彼は病院にいた。彼の父が、前から体調の良くなかった祖父七郎兵衛を気にかけて彼に連絡して、授業を欠席して祖父のいる病室に来ていたのだ。
「じっちゃ、大丈夫?」
 七郎兵衛の隣に小さな彼が座り、寝ている祖父に声をかける。
「じっちゃ……」
「俊作」
 七郎兵衛が口を開く。首をかしげた俊作に向けて、噛み締めるように七郎兵衛は言った。
「俊作、おめぇのすんなねごとは、勉強して、兵学校さ入って立派な士官になっごどだべ。そうすっごとが、じっちゃの一番の孝行だごで。この大事な時に学校休んで家さ帰ってくるばが、えんめちぇ。俺のごどなどたまげっごとねえがら、さっさと帰ってよっくど勉強しょよ。なぉ、俊作」
 彼はこの時、兵学校への合格を目指して猛勉強をしていた時期。
 言われるがまま帰り、時はすぎて三月十八日。
 時間にして夕刻時。家に帰ってきた彼に向かって、父が慌てて駆け寄ってくる。
「俊作!! 親父が死んだ!!」
「え……」
 それは祖父、七郎兵衛が病気で亡くなった事の報告だった。亡くなった時、彼は学校で授業を受けている最中で、臨終には立ち会えなかった。
「……そか」
 彼はそう一言だけ言って、鞄を部屋に置いて家を出る。
 家にあった納屋に隠れて、一人で泣いていた。

 そうして中学を五年間通い、彼は兵学校に合格。
 四年生の時に一度入試に落ち、五年生でようやく合格した。
 そんな彼の物語は、兵学校を卒業する直前まで遡る……。
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