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安凉国と悲劇の公子

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「鬼王妃様!下界に行きません?」

 いつもよりも興奮気味に黎月リーユエがそう言ってきた。ここに来てから早数ヶ月。夜には霊玄リンシュエンの話し相手をし、昼間は書物や散歩をして時間を過ごす。
 最初こそ見た事の無い書物を読むのは楽しく、時間を忘れる程熱中出来たが、数ヶ月も同じ生活を続けていると飽きるものだ。
 そんな静蘭ジンランの様子を悟ってか、黎月は下界に行こうと誘って来たのだ。

「私は嬉しいけど……霊玄様に許可を貰わないといけないんじゃないの?」

「それならお任せ下さい!この黎月が鬼王様にお許しを頂きました!」

 何と黎月は予め霊玄の許可を得ていたのだ。

「でかした!」

 この睡蓮宮すいれんぐうは見るに飽きない美しい場所だが、流石に下界……人間界が恋しくなる。普段は褒めるにしても声を上げたりしたい静蘭が、この時ばかりは感情が表に出た。
 それに気を良くしたのか黎月はいつにも増して準備に張り切っていた。

「鬼王妃様、女と男、どちらにします?」

 最近は男の格好で過ごしていたが、下界の者は静蘭の事情を知らないため、兄妹ならまだマシで、夫婦と勘違いする者が出てくるだろう。兄妹なら別にいいのだが、夫婦にしては距離があるだろうし、あくまで従者と主人という立場だ。色々と気まずい。
 ならば女の格好で出歩けばいい、最初はそう思った。だが、女の姿で出歩いて万が一知人に出会したらそれこそまずい。静蘭が生きていると蘇寧スーニンが知ったら、また何をしでかすかわからない。
 どちらが安心かと聞かれると、まだ勘違いされた方が断然良いに決まっている。間違えられたら訂正すればいいだけだ。
 結局普段と同じ男の身なりをして、後宮から出る。

「下界にはどうやって?」

「縮地の術を使います。じゃないと黒花領域こっかりょういきから出るのは結構難しいので」

 後宮を出て少しした所にある大きな壁に札を取り出して貼り付けた。何やらぶつぶつと唱えると、あの時と同じく壁に別の場所が映し出されたのだ。緑が生い茂り、周辺に建物は見当たらない。

「さぁ、行きましょう」

 手を引かれて中に入ると、やはり次に目を開けたら映し出されていた場所に足を付けていた。
 よくよく考えれば陸と海で方法は違うにしろ、前に突如現れた引秋インチュウも縮地の術を使っていたんだろうか。池に飛び込んだ時は焦ったが。常人には仕組みがよく分からないものだ。
 暫く足を進めると、城下町に出た。

「ここはどの国?」
安凉国あんりょうこくです」

 安凉国と言えば中原ちゅうげんに位置する国で、周辺では三本の指に入る程栄えている最先端の国だ。
 ここは水路から運ばれてくる新鮮な魚貝類が有名な町であり、その最先端の国でも最も栄えている市場。流石に人が多く行き交い、賑やか且つ華やかだ。その様子はかつての月雨国げつうこくを思い起こさせ、静蘭の胸を少し締め付けた。
 一方隣の黎月はと言うと、いつものような元気は無く、物静かで大人しい。普段はあっちこっち行ったり口が忙しく動いているのに、この町に来てから随分と様子が変わった。

「黎月?何かあったのか?」

「……いえ、何もありません。さぁ、鬼王妃様!今日の夜はこの町で年に一度の霊公祭れいこうさいが行われるそうですよ!」

「霊公祭?」

 初めて聞く祭に静蘭は首を傾げた。何せ静蘭の母国である月雨国と、ここ安凉国は正反対の位置に存在していて距離も離れている。周辺の国々との国交はあれどもここまで離れていると中々交流や文化も届かない。

「もう千年くらい前の話で伝説らしいんですけど、この国が安凉という国になる前は永晴国えいせいこくという国があったそうです。」

 黎月が言うにはその伝説はこういう話らしい。その永晴国は当時一番の栄華を極めていたとか。その国には霊公子リンこうしこうしというとても優秀な文官がいたそうだ。霊公子は永晴皇室の外戚の嫡男であり、家柄は勿論良く、科挙では僅か十六歳という若さで状元の座を手にする程の秀才で、その上眉目秀麗。文官でありながら剣技の才を発揮したりと、まさに十全十美じゅうぜんじゅうびの男であった。

 しかしある日、永晴国が戦の真っ只中の時期に霊公子が隣国である葉晶国ようしょうこくに情報を売ったと噂が流れ始めた。勿論根も葉もない噂で、最初はきっと霊公子の才を妬んだ者が嫌がらせに流した噂だろうと重役達は気に止める事は無かった。だがその噂はあまりにも広く伝わり過ぎ、とうとう民間にまで広まってしまったのだ。こうなると面目のためにも一度調査をする必要がある。
 しかしいざ調査を進めてみると、確固たる証拠が出てきたのだ。霊公子の部屋から密書と思われる物が幾つか出て来た他、生憎にも亡き霊公子の母はまさに葉晶国出身であり、今まで明らかになっていなかった葉晶国との繋がりが多数出てきたのだ。当然裁判に掛けられ、霊公子は容疑を否定したものの証拠が証拠なため投獄された。それどころか異例にも皇后は国主に離縁を告げられ、財産と土地を全て取り上げられ、一族は廃門となってしまったのだ。その事を受け入れ難かった皇后は霊公子の父と一緒に入水し死亡。彼の親族で唯一生き残った四つ下の妹は生憎にも母の実家を頼りに葉晶国に亡命した。
 その後の事は文献で記されていないため明らかにはなっていないのだが、当時これ程の罪を犯したとなれば本人は処刑されるに決まっている。
 しかしその事件の僅か一年後、あんなに栄えていた永晴国は滅んでしまったのだ。冷害による飢饉での被害に暴動、新種の流行病。国の内乱が重なりに重なって、その罪を押し付けられた皇族・重役達は無惨にも民間人達の一揆により、全員殺されてしまった。
 その後、永晴国だった土地に今の安凉国が建国された。
 しかし建国から数百年……今より六百年前に、かつて霊公子が内通者だと証拠付けられた密書が偽造されていた事が明らかになったのだ。一体誰の仕業なのか、何の目的だったのかは分からないが、今までの彼の筆跡とは僅かに異なっていた事、霊公子が使用していたとされる花押かおうが偽造されたのだと判明した事により確信させられたのだ。
 それにより永晴国が滅んだのは霊公子の祟りだの何だのと言われるようになり、以降彼を鎮めるための祭である霊公祭が開かれるようになった。

「へぇ、黎月は随分詳しいみたいだね」

「ははっ、天趣城てんしゅじょうの書庫に霊公祭について書かれている書物があって。気になってたので来てみたかったんですよね」

 しかし霊公子は不憫だと静蘭は思った。そんな語り継がれる程の才があったのなら、神仙として飛昇ひしょうする才覚もあっただろうに。文神として飛昇するのも時間の問題だっただろう。
 本人がそれを望んでいたのかは分からないが、本人も飛昇を目指していたのであれば尚更可哀想で仕方が無い。誰かの策略に嵌められ、冤罪で処刑されたとなれば、確かに祟りたくもなる。
 
 *
 
 夜になると町は一層賑わった。どうやら通りでは霊公子の追悼劇が行われるらしい。劇の出演者なのか、時々着飾った女や武装をした男の姿を見る。

「劇、どうします?ちょうどこの通りを通るみたいですよ」

「ちょっと見てから移動しよう。人混みはあまり好きじゃない」

 先程通ってきた道には天帝・明皇大帝ミンホアンたいていを祀っている明皇廟ミンホアンびょうがあったはずだ。この国も相変わらず祈願に来る者は絶えず、先程もたくさんの人で賑わっていたが、劇が始まれば皆そちらへ流れるだろう。広い廟内には数十、いや数百にも及びそうな長明灯で照らされており、絶景だった。

 しばらくすると鐘の音が鳴り、どうやら劇が始まったようだ。ついつい見入ってしまい、結局終盤まで見てしまったのだが、静蘭の頭にはあまりピンと来なかった。劇自体は悪くないのだが何だかあまり腑に落ちないというか、静蘭が想像していた霊公子と少し違ったようだ。
 黎月の話を聞いてから霊公子は重役達の信頼も得ていたようだし、素朴で真面目で慎ましい性格なのかと思っていた。しかし劇の中の霊公子は眉目秀麗・十全十美という設定こそはそのままだが、両横に女を侍らせ高笑いをしているではないか。

「もういい、明皇廟まで行こう」

 人混みを抜け出し、今度は全くと言っていい程人が居なくなった道を歩く。
 すると先程は人通りが多すぎたからか気が付かなかったが、明皇廟の少し手前にもう一つ廟があった。気になって足を踏み入れてみると、流石に明皇廟程の規模では無いが、普通の廟や道観よりかは敷地も広く華やかだ。供物もかなりの数を供えられており、人々から信仰されているのがわかる。

「ここは誰の廟だ?」
「えーっと……」

 近付いてみると立札には「霊公廟れいこうびょう」と書いてある。名前からして恐らく霊公子を祀っているのだろう。

「ここでは霊公子は神と同等の扱いを受けているのか?」

「そうみたいですね」

 皆祟を恐れているからこうして祭まで開いて鎮めているのかと思っていたが、どうやらそれだけじゃないらしい。霊公廟の中にある石碑を見る限り、科挙の合格祈願としても信者が訪れているらしい。もっとも、彼は神仙では無い為訪れる人々の事を信者と呼ぶのかは分からないが。
 次の瞬間、誰もいなかった霊公廟に誰かが足を踏み入れる音がした。
 咄嗟に後ろを振り向くと、そこには一人の若い男がいた。しかし様子がおかしく、何かに怯えているのか、または誰かに見つかるのを恐れているかのように周りに目を泳がせている。
 静蘭と黎月の姿を認識した男は一度足を止めたものの意を決したかのようにこちらに近づいてきた。それと同時に黎月が静蘭より前に出て応戦体制になる。

「黎月、一般人だ。大丈夫だから」
「でも……」

 静蘭に促されて黎月は攻撃態勢をやめる。男は何も気にする事無く、静蘭達の目の前で立ち止まった。
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