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第2章 ミニョレー伯爵領

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 間一髪、と見えた。
 アルムの小さな身体が地面に倒れ、横へと転がり出ていた。
 そちらを目で追って、見物人にはすぐに理解できなかった。
 アルムのいた場所に、龍の足が落ちる。それは、いい。
 問題は。
 龍の巨体がその足を離れ、倒れていくのだ。
 牢屋棟の建物に向けて。

「え?」
「え?」
「何い?」

 バキバキバキ、と轟音を立てて建築物を破壊し、龍は横転した。
 そのまま痛みにのたうつ恰好で、地面を転がり回る。
 転がり転がって、頭部が中庭の方に向いた。
 立ち上がったアルムが、またひょこひょことその首付近に近づいた。
 次の瞬間。
 龍の首から噴水のように血が噴き上がった。
 ごろりと、頭部が胴体と離れていた。

「何だとお!」
「え、何?」
「何が起こった?」

 伯爵の絶叫に続き、フラヴィとジョスランも悲鳴のような声を上げていた。
 何が起こったか、とジョスランは目の前の光景を見直していた。
 龍の片足はそのまま、足首で切断されて落ちた地面に残っている。
 片足を失った龍が牢屋棟に向けて転倒し、痛みにのたうち転がった。
 そこへアルムが近づくと。
 龍の首が切断された、ということらしい。
 つまり――。

「小母ちゃんが、龍を切断した?」
「そういうこと、らしい」

 若夫婦は、改めて顔を見合わせた。
 その間に、アルムはさらにひょこひょこ移動していた。
 龍から目が離せない誰もが気づかないうちに、本館からの出口近くへ。
 つまり、伯爵の立つバルコニーのすぐ斜め下だ。

「伯爵閣下、話をしようじゃないか。下りておいで」
「な、何を――」
「強制的に、下りてもらうよ」

 言い渡したかと思うと。次の瞬間、バルコニーに貴族の姿は消えていた。

「わあああーーー!」
「何だーーー!」

 隣にいた小男と大量の板屑と共に、真下の地面に転落したのだ。
 立っていた、バルコニーの床が抜けたらしい。
 その騒ぎの間に、グウェナエルが足速にアルムの傍に寄っていた。護衛よろしく、すぐ横に立つ。
 頷き合って、ジョスランとフラヴィもその傍に駆け寄っていた。

「小母ちゃん!」
「何だ、小母ちゃん何をやった?」

 答えず、アルムは地面に転がった貴族に目を据えている。
 三階からの転落だが、命に別状はないらしい。さすがに足を挫く程度はしたか、伯爵は膝と腰を押さえ呻いていた。

「き、貴様――何をした」
「言ったろう。話し合いのために、近くに来てもらったよ」
「何を――何故こんな――貴様、床を切断した? 龍もか? 何故そんなことができる」
「あたしの加護だからねえ」
「馬鹿なことを言うな!」

 声が裏返るほどに、伯爵は絶叫した。
 噂に聞くように加護の研究者として、人一倍信じがたいということかもしれない。

「貴様の加護は『調理』だろう! 食材しか切断できないはずだ!」
「その通りだよ」
「龍も床板も、食材ではないだろう!」
「まあその義理はないんだけどね。この後の交渉をしやすくするために、説明してあげようか」
「何故、食材でないものが切れる!」
「食材なら何でも切れる、食材でないものは切れない、それがあたしの加護の真実さ。神様から授かった能力だからね、切れるものは刃物の切れ味みたいなことと関係なくとにかく切れる。切れないものは、切れない。ただ、逆に訊きたいんだけどね」
「何だと」
「切れる切れない、食材であるない、それは誰が何処で決めると思う?」
「何?」
「食材であるかないかなんて、境界は曖昧だろうさ。人によっても食べられるか食べられないかが違う。それがどっちか、誰が決めると思う?」
「…………」
「それもこの加護は、そのままでは食べられないものでも切断し調理して食べられるようにするのが目的だ。言い換えれば、これから切断するなり砕くなりして調理して食べられるものなら、切断できるという理屈になる」
「…………」
「その食べるということが、口に入れて腹に収めるという意味なら、たいていのものは当てはまるよ。土だって石だって木だって汚物だって、細かくすれば口に入れることはできる。毒物だって後のことを考えなければ口に入れられる。動物植物魔獣なんかは、言うまでもない」
「…………」
「別に屁理屈をこねているわけでも、頓珍漢な宗教問答よろしく煙に巻こうとしているんでもないよ。事実としてあたしが試して、切断できるものとできないものがある。だとしたらその違いは、誰が何処で決めているんだろう」
「…………」
「誰がどう考えても、答えは一つだろうさ。決めているのは、その能力を使う本人の気持ちだ。つまりあたしが食材と思えるものは切れる、思えないものは切れない。他に可能性があるなら、教えてもらいたいくらいだね」
「そ、んな……」
「それで事実、初めて試したときに生きている動物は切れなかったんだけど、これは食材だと信じ込む訓練をしたら切れるようになったよ。それ以来ずっと、あたしは世の中のさまざまなものを食材と思い込む訓練を続けているのさ。だから今となっては、まずどんなものでも切断することが可能になっている」
「そんな……何故……」
「ただこれは、誰にも秘密にしてきたけどね。以前は子爵閣下に知られたら、大喜びで領軍の仕事に入れられそうだったし。子爵家を出た後はあんたに知られたら、こうして簡単に領主邸に入れてもらえないだろうと思ったからね。知っていたらあんた絶対、厳重に領都の門と領主邸の門を閉じて、警戒していただろうさ。そうなったら面倒なんでね」
「な……」
「さすがに魔の森を抜けるときは、何回か魔獣相手に使わなきゃならなかったけどね。そのときも信用できない連れにバレないように、気を遣ったよ」
「そ……」
「少し話しすぎてしまったね。大事なのは、あたしが何でも切断できるというのをあんたに納得してもらうことだけさ。今のあんたとの距離なら、いつでも一瞬で切断できる。いいかい、動くんじゃないよ。もしあんたが今武器を持っていたとしても、どんな武器よりもあたしの方が速い」

 もう声を発せず、伯爵は震えるばかりになっていた。
 目の前の女から目を離せず、手足を震わし、思わずのようにじりじりと後退《あとずさ》る。

「動くなと言ったよ!」

 いきなり一喝が飛び。
 伯爵の豪奢なズボン、左脚の付け根部分が切断された。見事に布だけが切れ、肌には傷一つないようだ。
 ずるり布が滑り落ち。

「ひい!」

 貴族が、情けない悲鳴を上げた。
 思わず自分も身をすくめ、ジョスランは同情を禁じ得ない思いになった。男として、あそこにいきなり刃物を当てられる恐怖は共感しかない。

「信じていただけたかね、閣下」
「は、ひ……」
「じゃあ、要求を聞いてもらおうか」
「要、求?」
「分かっているだろう? あたしの弟を返してもらう」

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