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第1章 リュシドール子爵領
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このオリアーヌが八歳の時点まで、数ヶ月にわたって徐々に、姉弟の待遇は以前よりかなり劣化していた。
以前は一人ずつついていた侍女が、二人に対して一人だけになった。まだ赤ん坊の域を出ない弟に手がかかるので、当たり前のように侍女の目はそちらに向いて、オリアーヌはほとんど身の周りのことを一人でするようになっていた。
この頃から、それまで月一回通ってきていた家庭教師も来ないようになった。
部屋に運ばれてくる食事はどうも使用人と同等のもののようで、どうかするとそちらより量が少ないのではないかと思われる。
二人とも、めったに部屋から出ることが許されない。
こんな劣化が進んでいたのだが。
わずかな慰めというか、オリアーヌが厨房手伝いを始めてから、その劣化が少し緩まった実感があった。
待遇が納得いかないのは山々だが、あえて利点をいえば、自室を出られる時間が増えてその点での鬱屈が減った。
少し前まで姉弟ともに入浴の機会も減らされていたのだが、それが以前の頻度に戻った。要するに、厨房で働く者に不潔な状況を許すわけにいかない、ということだろう。
オリアーヌの身体を清める回数が増え、ついでとばかりに弟も連れていくことにしたので、まあまあ清潔が保てるようになっていた。
その他の点も含め、最低限オリアーヌが働くのに不都合な環境はないよう少しは配慮されたようだ。
侍女はほぼ通り一遍のことしかしないので、時間の許す限りランベールの成長に必要なことは見てやらなければいけない、と考える。
食事内容をチェックし、空いた時間で運動につき合う。
厨房仕事は朝食片づけの後少し空くので、その時間に弟を庭に連れ出すことにした。
「きゃあきゃあ、ねえちゃま」
「ほらランベール、ここまで駆けてきなさい」
「ひやあああーー」
跪いた姉の胸元へ、勢いよく抱きついてくる。その力が、少し増してきたか。
同年代の子どもより成長は遅く、体格も体力も劣るという医師の判断が出ていたが、それでもここのところようやくランベールの歩く足どりはしっかりしてきたようだ。
食事量も細かく見てあげるようになって、以前より改善している。オリアーヌを働かせる体力維持の都合で食生活悪化が緩和し、弟にもそれが影響しているという感覚だ。
加護の影響でオリアーヌには食材の栄養や対象に適する摂取の仕方など、ある程度判断がつくようになっている。それで気をつけてあげることができるし、最悪不足があれば厨房からちょろまかしてきて与えることもできる。
そういう事情でまったく十分とは言えないが、ランベールは何とか成長していくことができていた。
「ほらそっち、道を逸れるんじゃないよ」
「ちゃっちゃか歩かないと、夕食の支度に間に合わなくなるよ」
「はい」
この日は午後、下働きの女二人と屋敷裏の森に入っていた。
森に生える果物や茸、香辛料のようなものを採取するのが下働きの務めの一つだという。
屋敷真裏の森の奥は魔獣が近づくことが多いので、入らない。それより横手の浅い部分だけで採取をするのだそうだ。
魔獣というのは外観でふつうの獣と別分類しにくいものもいるが、体内に魔核を持つかどうかで判別される。
どういう理由で魔核を持つようになったかなどは解明されていないが、これによってふつうの獣より力が強くなる、凶暴性を持つ、などの傾向が想像されている。とにかくふつうの人間は近づかないのが賢明とされる、野生動物だ。
体格のいい二人は迷いなくずんずんと足を進めるが、杖を使っているオリアーヌはどうしても遅れてしまう。何度も険しい声をかけられながら、ようやくついていく状態だ。
それでも主家のお嬢様相手に相応しい畏敬の様子は見えないものの、女たちはこの幼女を痛めつけたり迷わせたりのつもりはないように見える。オリアーヌのお陰で厨房仕事が楽になっていることは、認識しているのだろう。
「この茸はスープにすると美味しいんだよ」
「こっちの茸は毒があるから触っちゃダメだよ。触った指を舐めただけで、コロリだからね」
説明の上、手分けして食材になるものを採取する。
食べられないと説明されたものについても、何とか口に入れられないか別の使い方はないかなど考え、オリアーヌは観察してみた。
「この緑色のアヒイの実は、もの凄く辛い香辛料だよ。お嬢様みたいな子どもは受け付けないだろうけど、旦那様が好きなんで欠かせないのさ」
「いっぱいあるけど、それだけしか採らないの?」
「何しろ旦那様と料理長しか口にしないからねえ、量はいらないのさ。アヒイは放っといてもいくらでも増えるから、たくさん採ってもなくなる心配はないんだけどね」
「採ったものを乾かして粉にしたら保存は利くけどさ、それにしたってそんな大量にあっても仕方ないものだからねえ」
「ふうん」
もう少し進むとこれ以上は無理という限界点になるそうだが、その手前付近にはそこそこ高い木に数種類の果実が実っていた。
かなり硬いが甘味は強いというヤマリンゴの木を見て、二人は溜息をついている。
「ヤマリンゴは上に生《な》っているものほど甘味が強いんだけど、手が届かないものねえ」
「あたしらのこの図体じゃ、木登りもできないしさあ。お嬢様もその脚じゃあ無理よねえ」
「登らなくても、採れるかな」
頷いて、オリアーヌは高い木を見上げた。
次の瞬間、かなり高い枝にあった実が落下を始めていた。二つ、三つ、続けざまに。
「わあ!」
「凄い!」
慌てて駆け寄って、二人は前掛けを手で広げてそれを受け止めていた。立て続けに十個以上落ちてきたものを、すべて過《あやま》たず布の上に収める。
「凄い凄い」
「そうかあ、お嬢様の加護が使えるんだね」
「ヤマリンゴは食材だからね。切り落とすことができるみたい」
「こりゃ助かったよ」
「それ二個、もらっていいかな」
「いいよお。あたしたちもこれがたくさん採れたときは、役得だから一個もらうことにしてるのさ」
「うん」
さらに数種類の果実を採取して、三人は帰途についた。
比較的こちらは安全な地域だが、怖い獣や魔獣が絶対出ないとも限らない。とりわけこの辺の森で最も警戒すべき狼魔獣は夜行性なので、日暮れが近づくと行動範囲を広げる恐れがある。
そういう説明を受けて、帰る足を急がせる。
聞きながら辺りに耳を澄ませて、オリアーヌは新たなことに気がついた。
何となくだが、獣たちの接近の気配が感じとれる。
もっと小さい頃父に連れられて山を歩いたときにそんな感覚はなかったので、変化があったのか。とすると、これも加護のせいではないかという気がする。植物類でも食用になるものの存在は分かるようなので、獣についても広い意味での食材と認識しているのかもしれない。
最初に加護を確認したとき鼠を斬ることができなかったのだから、その辺はどうなっているのか怪しい気もするのだが。
食用になるか怪しいものでも何とかならないものか、想像を深めてみることにする。
そんなことを考えながら、屋敷のすぐ裏に着く。魔獣の出没があり得る森に面しているのでこの辺は高く頑丈な塀が続いている。迂回して、三人は裏戸から中に入った。
この森行きは仕事の一環なので、採取物は原則すべて料理長に提出する。さっきも話題に上がった果実の一~二個は目を瞑《つむ》ってもらえる慣例だ。
夕食準備まで少し間が空くので、オリアーヌは弟の部屋を訪ねて一緒にリンゴを囓《かじ》った。正確には、乳離れしたばかりの子どもに丸囓りは無理なので、小さく切ることになった。
ランベールに一個丸ごと食べるのは多いので侍女にも分け与えると、機嫌よく皮剥き切り分けをしてくれた。
「おいしいね、あまいね」
「そうだねえ。果物《くだもの》は甘いよねえ」
姉の膝に座って、満面の笑みを浮かべている。
考えてみるとランベールは乳しか飲めない時期から徐々に食生活悪化が進んできたので、生まれてから菓子のようなものは口にしたことがない。ありふれた果物がたまに与えられるという程度のはずだ。
両親が健在の頃は菓子をもらった経験のあるオリアーヌに、何とも弟に申し訳ないという気が溢れてきた。
焼き菓子などは当分無理だろうが、こうした果実ならできるだけ採取してきてやりたい、と思う。
以前は一人ずつついていた侍女が、二人に対して一人だけになった。まだ赤ん坊の域を出ない弟に手がかかるので、当たり前のように侍女の目はそちらに向いて、オリアーヌはほとんど身の周りのことを一人でするようになっていた。
この頃から、それまで月一回通ってきていた家庭教師も来ないようになった。
部屋に運ばれてくる食事はどうも使用人と同等のもののようで、どうかするとそちらより量が少ないのではないかと思われる。
二人とも、めったに部屋から出ることが許されない。
こんな劣化が進んでいたのだが。
わずかな慰めというか、オリアーヌが厨房手伝いを始めてから、その劣化が少し緩まった実感があった。
待遇が納得いかないのは山々だが、あえて利点をいえば、自室を出られる時間が増えてその点での鬱屈が減った。
少し前まで姉弟ともに入浴の機会も減らされていたのだが、それが以前の頻度に戻った。要するに、厨房で働く者に不潔な状況を許すわけにいかない、ということだろう。
オリアーヌの身体を清める回数が増え、ついでとばかりに弟も連れていくことにしたので、まあまあ清潔が保てるようになっていた。
その他の点も含め、最低限オリアーヌが働くのに不都合な環境はないよう少しは配慮されたようだ。
侍女はほぼ通り一遍のことしかしないので、時間の許す限りランベールの成長に必要なことは見てやらなければいけない、と考える。
食事内容をチェックし、空いた時間で運動につき合う。
厨房仕事は朝食片づけの後少し空くので、その時間に弟を庭に連れ出すことにした。
「きゃあきゃあ、ねえちゃま」
「ほらランベール、ここまで駆けてきなさい」
「ひやあああーー」
跪いた姉の胸元へ、勢いよく抱きついてくる。その力が、少し増してきたか。
同年代の子どもより成長は遅く、体格も体力も劣るという医師の判断が出ていたが、それでもここのところようやくランベールの歩く足どりはしっかりしてきたようだ。
食事量も細かく見てあげるようになって、以前より改善している。オリアーヌを働かせる体力維持の都合で食生活悪化が緩和し、弟にもそれが影響しているという感覚だ。
加護の影響でオリアーヌには食材の栄養や対象に適する摂取の仕方など、ある程度判断がつくようになっている。それで気をつけてあげることができるし、最悪不足があれば厨房からちょろまかしてきて与えることもできる。
そういう事情でまったく十分とは言えないが、ランベールは何とか成長していくことができていた。
「ほらそっち、道を逸れるんじゃないよ」
「ちゃっちゃか歩かないと、夕食の支度に間に合わなくなるよ」
「はい」
この日は午後、下働きの女二人と屋敷裏の森に入っていた。
森に生える果物や茸、香辛料のようなものを採取するのが下働きの務めの一つだという。
屋敷真裏の森の奥は魔獣が近づくことが多いので、入らない。それより横手の浅い部分だけで採取をするのだそうだ。
魔獣というのは外観でふつうの獣と別分類しにくいものもいるが、体内に魔核を持つかどうかで判別される。
どういう理由で魔核を持つようになったかなどは解明されていないが、これによってふつうの獣より力が強くなる、凶暴性を持つ、などの傾向が想像されている。とにかくふつうの人間は近づかないのが賢明とされる、野生動物だ。
体格のいい二人は迷いなくずんずんと足を進めるが、杖を使っているオリアーヌはどうしても遅れてしまう。何度も険しい声をかけられながら、ようやくついていく状態だ。
それでも主家のお嬢様相手に相応しい畏敬の様子は見えないものの、女たちはこの幼女を痛めつけたり迷わせたりのつもりはないように見える。オリアーヌのお陰で厨房仕事が楽になっていることは、認識しているのだろう。
「この茸はスープにすると美味しいんだよ」
「こっちの茸は毒があるから触っちゃダメだよ。触った指を舐めただけで、コロリだからね」
説明の上、手分けして食材になるものを採取する。
食べられないと説明されたものについても、何とか口に入れられないか別の使い方はないかなど考え、オリアーヌは観察してみた。
「この緑色のアヒイの実は、もの凄く辛い香辛料だよ。お嬢様みたいな子どもは受け付けないだろうけど、旦那様が好きなんで欠かせないのさ」
「いっぱいあるけど、それだけしか採らないの?」
「何しろ旦那様と料理長しか口にしないからねえ、量はいらないのさ。アヒイは放っといてもいくらでも増えるから、たくさん採ってもなくなる心配はないんだけどね」
「採ったものを乾かして粉にしたら保存は利くけどさ、それにしたってそんな大量にあっても仕方ないものだからねえ」
「ふうん」
もう少し進むとこれ以上は無理という限界点になるそうだが、その手前付近にはそこそこ高い木に数種類の果実が実っていた。
かなり硬いが甘味は強いというヤマリンゴの木を見て、二人は溜息をついている。
「ヤマリンゴは上に生《な》っているものほど甘味が強いんだけど、手が届かないものねえ」
「あたしらのこの図体じゃ、木登りもできないしさあ。お嬢様もその脚じゃあ無理よねえ」
「登らなくても、採れるかな」
頷いて、オリアーヌは高い木を見上げた。
次の瞬間、かなり高い枝にあった実が落下を始めていた。二つ、三つ、続けざまに。
「わあ!」
「凄い!」
慌てて駆け寄って、二人は前掛けを手で広げてそれを受け止めていた。立て続けに十個以上落ちてきたものを、すべて過《あやま》たず布の上に収める。
「凄い凄い」
「そうかあ、お嬢様の加護が使えるんだね」
「ヤマリンゴは食材だからね。切り落とすことができるみたい」
「こりゃ助かったよ」
「それ二個、もらっていいかな」
「いいよお。あたしたちもこれがたくさん採れたときは、役得だから一個もらうことにしてるのさ」
「うん」
さらに数種類の果実を採取して、三人は帰途についた。
比較的こちらは安全な地域だが、怖い獣や魔獣が絶対出ないとも限らない。とりわけこの辺の森で最も警戒すべき狼魔獣は夜行性なので、日暮れが近づくと行動範囲を広げる恐れがある。
そういう説明を受けて、帰る足を急がせる。
聞きながら辺りに耳を澄ませて、オリアーヌは新たなことに気がついた。
何となくだが、獣たちの接近の気配が感じとれる。
もっと小さい頃父に連れられて山を歩いたときにそんな感覚はなかったので、変化があったのか。とすると、これも加護のせいではないかという気がする。植物類でも食用になるものの存在は分かるようなので、獣についても広い意味での食材と認識しているのかもしれない。
最初に加護を確認したとき鼠を斬ることができなかったのだから、その辺はどうなっているのか怪しい気もするのだが。
食用になるか怪しいものでも何とかならないものか、想像を深めてみることにする。
そんなことを考えながら、屋敷のすぐ裏に着く。魔獣の出没があり得る森に面しているのでこの辺は高く頑丈な塀が続いている。迂回して、三人は裏戸から中に入った。
この森行きは仕事の一環なので、採取物は原則すべて料理長に提出する。さっきも話題に上がった果実の一~二個は目を瞑《つむ》ってもらえる慣例だ。
夕食準備まで少し間が空くので、オリアーヌは弟の部屋を訪ねて一緒にリンゴを囓《かじ》った。正確には、乳離れしたばかりの子どもに丸囓りは無理なので、小さく切ることになった。
ランベールに一個丸ごと食べるのは多いので侍女にも分け与えると、機嫌よく皮剥き切り分けをしてくれた。
「おいしいね、あまいね」
「そうだねえ。果物《くだもの》は甘いよねえ」
姉の膝に座って、満面の笑みを浮かべている。
考えてみるとランベールは乳しか飲めない時期から徐々に食生活悪化が進んできたので、生まれてから菓子のようなものは口にしたことがない。ありふれた果物がたまに与えられるという程度のはずだ。
両親が健在の頃は菓子をもらった経験のあるオリアーヌに、何とも弟に申し訳ないという気が溢れてきた。
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