上 下
4 / 29

4 侯爵令嬢、男装すること【10歳――あと5年】

しおりを挟む
 何を今さら、という話だけれど。
 10歳女子として異例の状況で王宮就労児となった時点で、しみじみ実感したことがある。

――うちの侯爵家、どう見ても貧しい!

 いや本当に、ここで今さら口にするまでもなく、以前から明らかなことだったんだ。
 父が死去し、叔父が暫定爵位について、約五年間。
 現侯爵閣下は、王宮内職位だけでも先代時より下がっている。おそらく手当のようなものも減額されているだろう。
 にもかかわらず。
 叔父、母、妹。先代の押さえがなくなって、三人とも散財のし放題なんだ。
 母は好き放題豪奢なドレスなどを買い込んで、他貴族の茶会や夜会に出かけたり自宅で宴を催したりを続けている。半分程度は着飾らせた妹も連れ歩いている。
 叔父は週の半分以上、夕刻から知り合いの貴族と集い、遊興に耽っているようだ。詳しくは知らないけど、マジャーンという四人で卓を囲む遊戯に熱中しているとか。大金とまではいかなくても、それなりの賭け金をやりとりしているらしい。
 以前には片っ端から女に手を出す生活だったのが、母に睨まれるようになって、ある程度金を持ち歩けるようになって、つまるところ賭け事方面に宗旨替えしたということのようだ。
 ミュリエルは性格上、さらに歯止めが利かないと思われる。とはいえこれまでは明らかな幼児で贅沢を言い出すにも限りがあったろうけど、今後ますます拍車をかけていくのではないかと危ぶまれる。あの性格で徐々に色気づき、見た目を気にし始めて自発的に着飾ることにのめり込んだら、どんな事態に到るものやら。
 ――というように、明らかに以前より家の支出は増加し続けている。
 一方で、収入を増やす算段をしている気配は見られない。
 王宮からの手当もそうだし、もっと重要な領地からの税収入について、何らかの手を打っている様子はまるでない。
 などということを考察して、うちの家計困窮は想像だけでも納得しかないのだけど。

――ここまで、酷い実態だったかあ。

 叔父と共に王宮に向けて出勤する初日、思い知らされてしまった。
 屋敷から王宮まで、徒歩でも馬車でも二十チール(分)程度の時間がかかる。
 侯爵家のような上位貴族なら、まず馬車を仕立てて側仕えと護衛をつけて移動するのが常識だ。
 それが実態としては、叔父と私、二人だけの徒歩行脚なのだった。
 これはまあ薄々以上に気がついていたのだけど、我が屋敷では家柄に比べて使用人が少ない。と言うより、父の死去以来時々刻々と減少している。つまるところ前述の支出と収入の不均衡から、そうするしかどうしようもないんだ。
 だから要するに、叔父が伴う側仕えというものが存在していない。
 また侯爵家標準としてなら、常に馬車の二~三台は所有していて当然のはずだ。しかしそれが、現実としてようやく一台を残しているだけらしい。
 そうしてその一台は茶会などに出かける母と妹が使用するので、叔父の通勤用にはならない。
 どうも、そういう事情らしい。

――大丈夫ですか、侯爵閣下?

 すぐ前を背を丸めて歩く叔父の後ろ姿に、思わず心中問いかけていた。
 季節は春先、もうかなり暖かくなってきているのだけど、叔父はすっぽり外套に全身を包んで足を運んでいる。まるで、自分の身分を示すものを人目に曝したくないかのようだ。
 一方の私も、たいした量でないものの叔父の荷物を入れた袋を持たされ、男物の文官用服の上に薄いローブを頭から被った格好だ。
 性別を誤魔化す都合があるし、家系の特徴を示す髪の色をあからさまに曝さないように、との叔父からの指示だった。
 そうした、およそ侯爵とその連れとは人に思われようもないだろう外観で、二人前後して雑踏の中を進む。
 私としてはほぼ経験がなく、慣れない人混みの中の歩行に、冷や汗の思いだった。

――おお!

 やがて人出の多い商店通りを抜け、高位貴族の屋敷らしい豪奢な建物の先に、王城の威容が覗き出した。
 記憶する限り、物心ついてからこれを間近にするのは初めてだ。
 さすがに大きい、そこそこ高い石塀に囲まれて高さは三階程度、奥行きは何処まであるか分からず途中から森のような木々に呑まれている。
 正面は荘厳な門の構えだけれど、叔父の足はその脇に回った。どうも通勤者用の出入口は別にあるらしい。
 それでも小さめの入口から入った中は、王宮に相応しく豪華な絨毯の床が続いていた。
 正面に進み、階段を昇り、さらに奥へと進む。執務室が集まっているらしい棟で扉の並びをいくつか数え、叔父はその一つを開いた。
 ちなみにここまで、貴族らしい人と何人かすれ違ったけれど、鷹揚に頷く仕草だけで叔父は誰とも言葉を交わしていない。
 おそらく侯爵よりは低い身分相手で礼儀としてはそれで通るのだろうけど、親しい挨拶や世間話をする習慣はないらしい。
 室内は板の床に部分的に絨毯が敷かれ、そこそこ貴族的ではあるもののそれなりに質素で、実務的な印象を受ける。
 部屋の主用の大きな机と、隣に一回り小さな文官用らしい机。手前に応客用と思われる長椅子。他には中身が半分ほどの本棚がある程度だ。

「そこに座れ」
「はい」

 当然文官用の椅子を示され、指示に従う。
 叔父は大きな机の前に座り、積まれた筆記板を取り上げていた。

「ああ、廊下に出て右の奥に小さな給湯室があるから、この棚の道具を持っていって茶を淹れてきてくれ。自分の分も淹れていい」
「はい」

 素直に従い、本棚の隅に盆に載せられていた茶器のセットを手に取った。
 貴族令嬢としてあまりないレベルでこうした侍女仕事に慣れているので、迷いもない。
 戻ってくると、書類の区分を終えたらしく叔父は板の一山を指さした。

「まずこれを、指示の通り計算しろ」
「はい」

 受けとって席に着く。
 机の中にはペンとインク、石盤と石筆が用意されていた。
 渡された十枚ほどの筆記板に記入された数字を、縦に合計していくだけのようだ。石盤での筆算を交えて、手早く処理していく。
 預けられた分の計算は半ゲール(時間)もかからず、せいぜい二十チール少し程度で終わった。
 終わりました、と立ち上がって板の束を差し出すと、叔父はぎろりと横目で見てきた。

「本当に速いな。計算まちがいは大丈夫なのか」
「二回ずつやり直しているので、まちがいないはずです」
「ふうん」

 鼻を鳴らして、唸っている。
 叔父の机の上には同じような数字の並んだ板と、木の箱に石の球を並べた計算盤が置かれている。つまり自分でも計算処理をしていたけれど、その様子では同じ時間で一枚分も終わっていないようだ。
 少し考えて、叔父はその五枚あった板を引っ掴んだ。

「これも計算しろ」
「はい」

 その追加分も、確かめを含めて十チールほどで終わる。
 戻すと、叔父は今度は新しい種類の筆記板二束を手渡してきた。
 今まで目を通していたらしいそれは、文字ばかりが記入されている。

「こっちの束とこっちの束の内容を比べて、題目ごとに比較したものを新しい筆記板に並べて記入していくんだ」
「は、い」

 ぱっと見たところ、複数の領地の産業について比較する資料のようだ。
 いかにも中央政府で必要とされる種類のもの、と言えるのかもしれない。
 しかし。

――とても、10歳児に要求する作業じゃないなあ。

 一応中央で執務する貴族の重鎮候補として与えられている実務なのではないか、と推測するのだけど。
 さっきから叔父が見比べていた新しい板はまだ未記入で、その脇に置かれた板には、記入した文字に斜線やら何らかの記号やらが加えられている。察するに、一度上司に提出したものを不適当と突っ返されたのではないか。
 それでも自分の机に持ち帰って読んでいくと、何となくまとめる要領が見えてくる。
 三十チールと少しをかけて、私はそれをまとめ上げた。

「こんな感じで、いいでしょうか」
「ん?」

 受けとった板を、叔父は難しい顔で睨み眺めた。
 机の上にはまだ他に同じような作業をする材料らしいものが並べられていて、やはり新しい板は真っ新《さら》の状態だ。

「ふん、いいだろう。確かに『ブンカン』の加護はこうした仕事向きらしいな。こっちも同じようにやれ」
「はい」

 今処理したものの何倍かの厚みの束を、無造作に手渡してくる。
 素直に受けとって、私は自分の席に戻った。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結済み】当主代理ですが、実父に会った記憶がありません。

BBやっこ
恋愛
貴族の家に生まれたからには、その責務を全うしなければならない。そう子供心に誓ったセリュートは、実の父が戻らない中“当主代理”として仕事をしていた。6歳にやれることなど微々たるものだったが、会ったことのない実父より、家の者を護りたいという気持ちで仕事に臨む。せめて、当主が戻るまで。 そうして何年も誤魔化して過ごしたが、自分の成長に変化をせざるおえなくなっていく。 1〜5 赤子から幼少 6、7 成長し、貴族の義務としての結婚を意識。 8〜10 貴族の子息として認識され 11〜14 真実がバレるのは時間の問題。 あとがき 強かに成長し、セリとしての生活を望むも セリュートであることも捨てられない。 当主不在のままでは、家は断絶。使用人たちもバラバラになる。 当主を探して欲しいと『竜の翼』に依頼を出したいが? 穏やかで、好意を向けられる冒険者たちとの生活。 セリとして生きられる道はあるのか? <注意>幼い頃から話が始まるので、10歳ごろまで愛情を求めない感じで。 恋愛要素は11〜の登場人物からの予定です。 「もう貴族の子息としていらないみたいだ」疲れ切った子供が、ある冒険者と出会うまで。 ※『番と言われましたが…』のセリュート、ロード他『竜の翼』が後半で出てきます。 平行世界として読んでいただけると良いかもと思い、不遇なセリュートの成長を書いていきます。 『[R18] オレ達と番の女は、巣篭もりで愛欲に溺れる。』短編完結済み 『番と言われましたが、冒険者として精進してます。』 完結済み 『[R18]運命の相手とベッドの上で体を重ねる』 完結 『俺たちと番の女のハネムーン[R18]』 ぼちぼち投稿中

私が作るお守りは偽物らしいです。なので、他の国に行きます。お守りの効力はなくなりますが、大丈夫ですよね

猿喰 森繁
ファンタジー
私の家は、代々お守りを作っている。 元々、神様に仕えていたご先祖が、神様との橋渡し役としてのお守り。 後利益も効力も他のお守りとは、段違いだと、わざわざ長い時間をかけて買いに来てくれるお客様もいるくらいである。 なのに、どっから湧いてきたのか変なおっさんが、私のお守りは、パクリの上に、にせものだと被害届を出しやがり、私のお店はつぶれてしまった。 ムカつくので、他の国に行きます。 お守りの効力はなくなりますが、私のお守りは偽物らしいので、別にいいですよね? ※本来、お守りは「売る」「買う」とは、言いませんが、そこも含めてファンタジーとして、読んでください。 ※3/11完結しました。 エールありがとうございます!

大好きな母と縁を切りました。

むう子
ファンタジー
7歳までは家族円満愛情たっぷりの幸せな家庭で育ったナーシャ。 領地争いで父が戦死。 それを聞いたお母様は寝込み支えてくれたカルノス・シャンドラに親子共々心を開き再婚。 けれど妹が生まれて義父からの虐待を受けることに。 毎日母を想い部屋に閉じこもるナーシャに2年後の政略結婚が決定した。 けれどこの婚約はとても酷いものだった。 そんな時、ナーシャの生まれる前に亡くなった父方のおばあさまと契約していた精霊と出会う。 そこで今までずっと近くに居てくれたメイドの裏切りを知り……

魔力無し判定の令嬢は冒険者を目指します!

まるねこ
ファンタジー
エフセエ侯爵家に産まれたばかりのマーロアは神殿で魔力判定を行い、魔力なしと判定されてしまう。 貴族は皆魔力を持っているのが当たり前のこの世の中。 侯爵は貴族社会では生き難いと考え、領地の端にある小さな村へマーロアを送る事を決めたのだった。 乳母兼侍女のビオレタの息子ファルスと共に成長していく。 ある日、ファルスと私は村の畑で魔獣に遭遇する。 魔獣と目が合い、攻撃されかけた時、マーロアの身体から光の玉が飛び出した。 もしかして……。 魔獣を倒すので人によってはグロと感じるかもしれません。 Copyright©︎2022-まるねこ

【完結】陛下、花園のために私と離縁なさるのですね?

ファンタジー
ルスダン王国の王、ギルバートは今日も執務を妻である王妃に押し付け後宮へと足繁く通う。ご自慢の後宮には3人の側室がいてギルバートは美しくて愛らしい彼女たちにのめり込んでいった。 世継ぎとなる子供たちも生まれ、あとは彼女たちと後宮でのんびり過ごそう。だがある日うるさい妻は後宮を取り壊すと言い出した。ならばいっそ、お前がいなくなれば……。 ざまぁ必須、微ファンタジーです。

【完結】妖精を十年間放置していた為SSSランクになっていて、何でもあり状態で助かります

すみ 小桜(sumitan)
ファンタジー
 《ファンタジー小説大賞エントリー作品》五歳の時に両親を失い施設に預けられたスラゼは、十五歳の時に王国騎士団の魔導士によって、見えていた妖精の声が聞こえる様になった。  なんと十年間放置していたせいでSSSランクになった名をラスと言う妖精だった!  冒険者になったスラゼは、施設で一緒だった仲間レンカとサツナと共に冒険者協会で借りたミニリアカーを引いて旅立つ。  ラスは、リアカーやスラゼのナイフにも加護を与え、軽くしたりのこぎりとして使えるようにしてくれた。そこでスラゼは、得意なDIYでリアカーの改造、テーブルやイス、入れ物などを作って冒険を快適に変えていく。  そして何故か三人は、可愛いモモンガ風モンスターの加護まで貰うのだった。

全てを奪われ追放されたけど、実は地獄のようだった家から逃げられてほっとしている。もう絶対に戻らないからよろしく!

蒼衣翼
ファンタジー
俺は誰もが羨む地位を持ち、美男美女揃いの家族に囲まれて生活をしている。 家や家族目当てに近づく奴や、妬んで陰口を叩く奴は数しれず、友人という名のハイエナ共に付きまとわれる生活だ。 何よりも、外からは最高に見える家庭環境も、俺からすれば地獄のようなもの。 やるべきこと、やってはならないことを細かく決められ、家族のなかで一人平凡顔の俺は、みんなから疎ましがられていた。 そんなある日、家にやって来た一人の少年が、鮮やかな手並みで俺の地位を奪い、とうとう俺を家から放逐させてしまう。 やった! 準備をしつつも諦めていた自由な人生が始まる! 俺はもう戻らないから、後は頼んだぞ!

追放された聖女の悠々自適な側室ライフ

白雪の雫
ファンタジー
「聖女ともあろう者が、嫉妬に狂って我が愛しのジュリエッタを虐めるとは!貴様の所業は畜生以外の何者でもない!お前との婚約を破棄した上で国外追放とする!!」 平民でありながらゴーストやレイスだけではなくリッチを一瞬で倒したり、どんな重傷も完治してしまうマルガレーテは、幼い頃に両親と引き離され聖女として教会に引き取られていた。 そんな彼女の魔力に目を付けた女教皇と国王夫妻はマルガレーテを国に縛り付ける為、王太子であるレオナルドの婚約者に据えて、「お妃教育をこなせ」「愚民どもより我等の病を治療しろ」「瘴気を祓え」「不死王を倒せ」という風にマルガレーテをこき使っていた。 そんなある日、レオナルドは居並ぶ貴族達の前で公爵令嬢のジュリエッタ(バスト100cm以上の爆乳・KかLカップ)を妃に迎え、マルガレーテに国外追放という死刑に等しい宣言をしてしまう。 「王太子殿下の仰せに従います」 (やっと・・・アホ共から解放される。私がやっていた事が若作りのヒステリー婆・・・ではなく女教皇と何の力もない修道女共に出来る訳ないのにね~。まぁ、この国がどうなってしまっても私には関係ないからどうでもいいや) 表面は淑女の仮面を被ってレオナルドの宣言を受け入れたマルガレーテは、さっさと国を出て行く。 今までの鬱憤を晴らすかのように、着の身着のままの旅をしているマルガレーテは、故郷である幻惑の樹海へと戻っている途中で【宮女狩り】というものに遭遇してしまい、大国の後宮へと入れられてしまった。 マルガレーテが悠々自適な側室ライフを楽しんでいる頃 聖女がいなくなった王国と教会は滅亡への道を辿っていた。

処理中です...