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第1部 第28話

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トウの町の中心地から外れた小さな集落に、ラドが住まう家がある。



ひっそりとしたその集落で暮らしだしたのは、ちょうど3ヵ月ほど前からである。



以前は、このトウから馬などで数日かかる、このピスタ国の中心である王都で生まれてからずっと生活してきた。



両親が王宮で通いの下働きをしており、平民にしてはそれなりの良い生活をしていた。



おまけに、両親の良いところを随所に貰い受けて出来たとされるこの顔立ちが、平民でありながらも、平民を超える程の武器となり、気付けば、社交界に君臨する婦人の人気を得ることになっていた。



毎日くだらない話や遊びに誘われて、日々暇を持て余す女の相手をするのが、ラドの仕事となりつつあった。



そんな自堕落な生活の中、ラドが出会ったのが、どうにか貴族との縁を得たいと画策しているエディだった。



エディは、当時既に、社交界では貴公子と持て囃されていたラドからみても、片田舎の出生ではあるが、この男からは洗練された紳士の姿が感じられた。



だからこそ、エディが社交界でもがく姿が憐れに見え、滑稽であった。



『平民の立場で、貴族に近づこうなんて馬鹿な奴だ。楽しく、おかしく過ごしていくのが賢い選択なのに。頭が良すぎると、それが出来ないのかもしれないなぁ?』



ラドは、エディと顔を合わす場で、いつもそう思いながら過ごしていた。



そんな風に、ラドがエディを意識しだしてから、数年。



エディが社交界では、肩身の狭い貴族としか関係を持てなくなっていた時期だったはず。



暫く、社交界で顔を合わせなかった時が重なり、再会した時に、エディが婚姻をしたと噂に聞いた。



『へえー、とうとう、片田舎の商家に頼ざらるを得ない貧乏貴族が折れたのか!』



初めは興味本位から、どこの没落貴族か、はたまた、未亡人、瑕疵のある令嬢かとエディの苦渋に満ちた顔を拝見してやるつもりだった。



しかし、ラドが目にしたのは、貴族令嬢ではなく、平民の女性だった。



しかも、その平民女性は、挨拶を交わしに訪れたラドに、興味を一つも持つ事のない素っ気ない対応であったことから、ラドは心底驚いたのだった。



自慢ではないが、この顔を見た者は男女ともに見惚れる定義がずっとあった。



まあ、中には、エディのような色々と備わるものを持つ男は例外ではあるが、当時の彼女ローサは、顔立ちは整ってはいて貴族令嬢と言われれば、そうかも?と思う様な感じはするが、それ以上、何かを持っているようには見えなかった。



なので、当初はかなり拍子抜けしたものだ、『こんな女で手を打つなんて』と。



だが、ラドは、それから顔を見るたびに、美しく磨かれていくローサに夢中となっていく。



エディの為に、エディにより、元々もつ素性の良さもあってか、美しく輝く彼女が欲しくてたまらなくなった。



勿論、当初は、この感覚に驚いたのは、ラド本人であった。



楽しく、おかしく過ごし、面倒事はゴメンだとした心情までもっていたからだ。



しかし、そんな彼の心は囚われてしまった。でも、ラドもそんな自分はらしくないと、これまで以上に、社交界を中心に彼は羽目を外し、これまでの彼自身を極めるかの如く、派手に振る舞い、自分を装って見せた。



だけど、囚われた心は疼き、満たされない気持ちは沈みだす。



どうしても、彼女を見たい、そんな気持ちが渇望し、気付けば、この辺鄙な町まで来ていたのだった。



ラドが、アッシュの事務所から自宅へ戻ると、真っ暗な室内に静かだが人の息遣いを感じる。



それにも驚きはしないで、ラドはいつもの様に、手慣れた手つきでオイルランプへ火を灯す。



その火に照らされて現れた顔に、ラドは大きく舌打ちをかます。



「不法侵入は良くないだろう」



オイルランプを元にあった所に戻しながら、その男に悪態をついた。



「不法侵入って言うが、ここは、うちの所有物件だぞ。いつも住みやすいようにしているのも、全部、ハロルド商会のおかげでしょうが」



そう告げて、ニヤリと微笑んできたのは、ハロルド商会 会頭エディの腹心の部下カルロだった。



「何の用だ。こちらは慣れない秘書で疲れてるんだ。用が無いなら帰れ」



如何にも疲れた顔を浮かべ、ラドが自室のソファーに足を投げ出して、横になる。



カルロは、ラドの向かいのソファーに座り込み、ラドに視線を黙って送っていた。



「ほんとに、用がないなら帰れよ」



目を瞑りながら、ラドはカルロに再び、うっとおしそうに告げる。



カルロは、そんなラドにため息を吐いてから



「お前、くだらない遊びをしただろう?」



と、先程とは比べられない程低い声でラドに話しかけた。



しかし、ラドは目も開けずに「さあ、何の話かな?」と恍けて見せた。



その姿を見ながら、カルロが言葉を続けていく。



「エディを追い込んで楽しいか?」



そのカルロの言葉に、今度は、ラドはクスクスと笑いだした。



「くくくっ・・あぁ、おかしい。エディは死にかけて来ているのか?それはそれは、嬉しい話だねぇ?」



美しい顔には輝くように瞳が見開いていた。



「死ぬか。いい加減にしないと、お前が死ぬ思いをするぞ」



冷めた口調でカルロが返したので、ラドも同じように薄い笑いで返す。



「どんな風になるんだろうか?それも楽しみだなぁ」



ラドがそう言いながら、長い足を組み替える。



「ラド、お前も解ってるんだろう?無駄なことをしているってのは?あんな・・エディたち夫婦を傷つけること」



カルロが、先程とは違い、諭すような物言いで話をし出すが、ラドは拗ねた子どもの様にフンと鼻を鳴らしてカルロを睨み付ける。



「無駄なこと?!彼女が行き場を失ってることは事実だ。離縁の話も、俺だけが原因ではない」



「確かに、元はエディの父であるジェームスさんの失言もある。だが、あの人は、身内に少々、宛てが外れたと不満を言っていたくらいだった。だが、その言葉を耳にしたお前が、噂をバラまいたんだろが!お前が来てから、この噂がトウの町で浸透した。そこに来て、ロビンの失態で上塗りだ!」



カルロは、苦虫を噛みつぶしたように、唇を結ぶ。



「俺の知った事じゃないな!知るか!噂が出るような関係が悪い、それだけだ!」



ラドもカルロをギロリと睨みつけると、「用がないなら、ほんと、もう出て行けよ!」と最後は怒鳴りつけた。



その様子を見ながら、カルロが上着の内にあるポケットに手を差し込み、一枚の封筒を抜き取る。



「仕事だ」



差し出された手紙をじろりと眺めてから、ラドは手を伸ばす。



「俺、もう仕事はしているんですが?、ダブルワークさせる気かよ」



と言いつつ、手紙を広げる。



「なんだよ、これ。フーン、俺に色事をしろってか?」



そこには、エディからの指示書があり、ある男の女性関係を探ぐるように書かれていた。



「こんなのは、赤毛の仕事でしょうが。それに、俺は、アッシュの雇われであり、エディの雇われではないはずだけどなぁ」



バカバカしいと指示書を放り投げて、仕事の放棄を口にするラド。



そんなラドにカルロは声を掛ける。



「お前の雇い主はアッシュだ。でも、そのアッシュの後ろ盾は、うちのハロルド商会だということ忘れてないよな?」といい、



「与えられた仕事はキチンとしろよ。エディは仕事のできる奴には最大の褒美をくれるぞ!」



そんな風に、カルロがそそのかす。



「褒美は、彼女じゃないと嫌だ!」



それに対して、尚も食い下がるラドに、カルロは、「お前も大概な馬鹿だな・・」と呆れた。



「そんな夢は捨てて、指示通りにやれよ。わかったな?」



カルロは、すっとソファーから立ち上がり、最後に、もう一度、ラドを睨みつけてから、彼の家を後にしたのだった。



「クソ!、エディのやつ、全然堪えてないじゃねえーかよ!」



ラドは、先程、投げた指示書を掴みぐしゃりと握りつぶしてから、再び、目を瞑り視界を遮ったのだった
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