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エピローグ 運命に抗う少女

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初夏の静謐の空気の中で一日が始まる、私が一番好きな瞬間だ。

私が生まれたデレクセン家の朝は早い。毎朝日の出と共に父が兄と従士達と剣術訓練をするからだ。

従士頭のエバンの図太い掛け声に合わせて素振りから始まる。

あまりに良く響くエバンの声はファーレル村の人々から〈デレクセン様の朝時計〉と呼ばれている。

ファーレル村は父がアーロンガルド帝国から拝領した領地で、周囲に豊かな自然と長閑な農地が広がる帝国領でもかなり辺境に位置しているので田舎といっても差し支えない。

「一、二、一、二……」

ただひたすらエバンの声に合わせ、無心で剣を上から下に振り下ろす、これは何百回も。何千回だって続く。

「こらっ、しっかりせんか!」従士が疲れて剣速が鈍ると、途端にエバンと父から容赦のない罵声が飛ぶ。

これには胆が据わっていないと最初は驚いた。だけど鍛え上げられたデレクセン家の従士はへこたれない。

模造刀を握る掌は汗でベトベトになる。油断すると汗で滑ってしまうので注意が必要だ。始めたばかりの時はよく刀を取り落としてバレたが、今の私はそんなヘマはしない。

型を意識する素振りの後は、休憩も取らず直ぐに実践形式での試合になる。

疲労してからこそ真の実力が分かる、父が常日頃よく言っていることだ。

戦場では万全な状態で戦うことはない、魔族大戦で従軍騎士として実戦を数多く経験している父にとっては当然の心構えなのだ。

父と兄との試合が始まった。従士達も真剣な表情で見詰めている。

父ダンガレルは2m《メセタ》の長身で、私からは見上げる程の大男だ。しかも幅広で強靭な筋肉で覆われている。

重量のあるフルプレートアーマを身に付け戦場で自由自在に闊歩するためには必要なのだ。

しかも父は帝国の元近衛騎士団団長で、〈猛牛〉、〈猛将〉と異名を持つ帝国一と名高い剣術の使い手だ。

一昨年春に帝国内で起こった政変により、大恩ある皇太子派に所属していた父は、皇位継承争いに敗れた皇太子の廃嫡が決まった後で、王位についた第二皇子派によって僅かな所領ファーレルを与えられ左遷されたのだ。平民上がりの父が騎士爵とは言え貴族に叙任されたのは、帝国では異例なことだったようだ。

父もその辺の事情は私には話さないので良く分からないが、個人的にはファーレンに来て良かったと思っている。母ミレーヌの療養には空気も綺麗で澄んでいるし、村人達の人柄も朗らかで人情味に溢れていた。

とにかく父は40歳を過ぎたばかりで、騎士は生涯現役だと、腐ることなく国の有事に備えて腕を磨き続けている。刃を落とした訓練用の模造刀を手にしている姿は気迫に溢れ、はっきり言って恐ろしい。

相対する兄ライアンの方は、母ミレーヌの血筋ハイエルフの特徴を受け継ぎ、長身で細身で白銀の髪も相俟って、妹から見てもお伽噺に登場する貴公子のようだ。私の方は母から受け継いだのは長命であることと魔法の才能だけで、残念ながら容姿のついては父の影響をもろに被っている。兄ライアンと私の間には姉ミリアがいるが、姉も母の容姿をそのまま受け継いだような美少女なのに、これには少し納得がいかない。一時あの温厚な母に真顔で怒られるまで、私は母と血が繋がっていないと真剣に思っていた。

「はあっ!」全く隙のない父に意を決して兄ライアンが間合いを詰め、最上段から斬り下ろす。

「フンッ」父は兄の斬撃を最小限の体捌きで見切り、横薙ぎに刀を振るい兄の右腕を強打する。

「ぐふっ」兄は衝撃で3m《メセタ》程、水平に飛んで行く。兄付きの若い従士が数人慌てて駆け寄っていくが、「……大丈夫だ、心配ない」と兄は片手で剣で身体を支えつつ再び父と対峙する。

どうみても右腕と肋骨は折れているだろうが、デレクセン家の訓練ではごく普通のことだ。〈即死〉でない限りは母が治癒魔法で何とかしてくれるからである。だからと言って直ぐに治療は行われない、実戦では直ぐに治療行為がされることはほとんどないし、痛いからと言って敵が手を抜いてくれる訳などないからである。

それを充分承知しているからこそ兄は父に怯まず向かって行くのだ。

「ハアアアーッ!」兄は利き腕を損傷しているので、左手で剣を低く構えて〈突き〉を繰り出す。私は兄ライアンの父譲りの潔さは嫌いではないが、踏み込みの速度が不足しているようだ。

「その意気や善し、ライアンだがまだまだ甘い」父は兄の剣を下から絡めとるように刀の柄を回転し弾き飛ばしてから、ピタリと兄の首筋に模造刀を寸止めする。

「父上、ありがとうございました…」兄はバッタリと崩れ落ちる。意識を失っているようだ。従士が駆け寄り兄を板に乗せて、母のいる屋敷に運んで行く。

「これきしのことで気を失うとは情けない」口調の割には父の機嫌が良さそうだ。兄の成長が嬉しいのだろう。ほんの僅かだが頬が緩んでいる。

父が今日初めて見せた感情の揺らぎだ。ここを見逃すことなんて有り得ない。

「〈強化〉〈加速〉〈障壁〉」私は自分に付与効果を施し、父の死角から〈水属性〉の魔力弾を放つ。

「ヌッ!?」父は私の殺気に気付いたのか、咄嗟に防御姿勢をとった。父の体と周囲に大量の水が残った。

流石に頑丈でびくともしない。だがこれは囮でありある準備だった。

「父上、隙あり!」〈縮地〉で一気に間合いを詰め、魔力弾から正反対の方向から斬り上げる。

ギーン! 完全に殺ったと思ったのに、刀で防御された。私は素早く離脱する。

「チィー!エル、また隠れてこっそり訓練を覗いておったのか、このじゃじゃ馬娘め!」

父は顔を紅潮させて激怒する。まあこれもいつものことだ。エバンズを筆頭に従士達もやれやれと首を横に振り、何とも言えない表情になる。これについても毎朝のことなので半ば呆れられている。

「訓練中であれば何時でもかかってこいと仰ったのは父上です。兄上が上達した嬉しさのあまり隙を見せた父上がいけないのです。お約束通り父上から一本を取り私の望みを叶えさせて頂きますから、お覚悟下さい」

私は話ながら魔力を溜めていく、父の高い防御力を打ち破るには生半可な攻撃は通用しない。

「ええい黙らんか、よく回る舌め!」図星を衝かれた父はかなり苛立っている。

感情を揺さぶるのは対人戦では常套手段であり、卑怯ではない。父に勝つためなら何だってやる。

「剣術に魔法を絡めるなど、卑怯ではないか!」父が怒号するが知ったことではない。

アーロンガルド帝国では騎士と魔法士は昔から反目していて、剣術と魔法を同時に使用する者など皆無だった。

「卑怯で結構。父上、今日こそ私の望みを聞き入れて頂きます〈雷鳴剣《サンダーブレイク》!〉」

私は魔法で創った剣を地面に突き刺した。地面を割るように進む迅雷が父を捉えた。水は雷を通し易くする。父の鎧に付着した水滴と周囲にある水溜まりに、雷が収束されていった。

「ぐうぅー!」 父は騎士の矜持を発揮し、無様な悲鳴こそ上げなかったが、麻痺して暫くは動けないはずだ。

「「お舘様!」」従士達が慌てて父に駆け寄って行く。焦げ付いた鎧を数人係りで脱がせている。


「私の勝ちですね父上」私は片膝をついて荒い息をする父に近寄って微笑んだ。

「……見事だったエル、勝手に何処にでも行くが良い」これは事実上父の敗北宣言だった。

「ありがとうございました」父に一礼して訓練場を立ち去る。


5歳から父に挑みつつけること5年、ついにその時が訪れた。

私の望みがかなう時、それは父のような〈騎士〉になることだ。

騎士になるために、帝都にある騎士学校に行く、それが第一歩になる。

あの御方に生涯忠義を尽くし守るために、私は何としても騎士にならねばならないのだから。
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