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第18話 可哀想コレクション

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「ねえ、あなた、手が荒れてるんじゃない?」
 奥様はスウミの手を取り、指先を撫でた。
「えっと、まあ、はい……」
 スウミはなんとも答えようがなく、曖昧に笑って受け流した。雑巾をしぼったり薬剤に触れたり何かと手は酷使しているから、清掃の仕事をするのなら荒れるのはしかたがないと思っている。
「貴族令嬢なのに可哀想……」
 美貌をゆがめて奥様は微笑んだ。背筋が寒くなるような暗い影を感じさせる笑みだった。スウミをじっと見つめる瞳の奥に昏い炎が揺れている、まるで獲物を狙う獣のような……。スウミはやや強引に手を引き抜いて、数歩下がった。

「あの! 清掃についてお話があるとのことでしたが」
「ああ、それなら嘘よ」
「……え」
 さらっとそんなことを言われてスウミは固まってしまった。
「う……嘘……? え、嘘なんですか!」
「そう。嘘なの。仕事なんか頼む気はないわ」
 彼女はくすくすと笑った。
「私ね、可哀想で可愛いあなたがどうしても欲しかったの。うちに来てほしくて嘘の手紙を出しちゃったわ。あなたを私のコレクションに加えてあげる」
「は? ええ? な、なんですか、それ……! 仕事の話だと嘘をついて呼びつけるなんてあんまりです。私、帰らせてもらいます」

 がっかりな気持ちと腹立たしい気持ち、そしてわけのわからないことを言う奥様の不気味な視線から逃れたい気持ちに背中を押されて、スウミはすぐさま部屋を出ようとした。しかし、使用人が素早くスウミの背後にまわって羽交い締めにしてきた。

「ちょっと! 何するんですか!」
「ごめんね、あなたはもうおうちに帰れないし、この屋敷から出ることもできないの。ふふ、可哀想ね。でも大丈夫よ、私がずっと可愛がってあげるから。私とおそろいのピアスを貴女にもつけてあげるわ。そうそう、耳に穴をあけるのも私がやってあげる。痛みが和らぐように、その日はたくさん素敵なお酒を飲ませて、気持ちよくしてあげる。ああ楽しみ! きっとあなたも喜んでくれるはずよ……」

 女がうっとりと口元をほころばせて黒髪をかき上げると、耳元のピアスがきらりと光った。どこかで同じものを見たような気がしたけれど、思い出せないまま、スウミは地下へと連れていかれ、鉄格子のはまった小部屋に閉じ込められてしまった。





(なんで一般家庭に地下牢があるんだろう……)

 スウミは鉄格子を掴んで、ため息をついた。地下牢だなんて普通じゃない。幼い頃からいろんな屋敷に清掃に行ってきたけれど、地下牢のある家なんて一軒もなかった。歴史あるデルファトル家の屋敷にだって牢なんてない。

(この家は異常だ。奥様も言うことが変だし)

 スウミはつるつるの鉄格子を揺さぶってみた。びくともしない。鉄格子は頑丈で、どこにも錆びたところも欠けもない。庭や屋敷内も清掃が行き届いていたが、地下牢まで完璧に手入れされているなんてさすがだ。思わず感心しかけて、スウミは頭を振った。

(今、何時だろう。閉じ込められてから半日ぐらい経ったと思うけれど……)

 やることがなくてあたりを見回す。この地下牢には窓がなく、あるのは目の前の鉄格子と粗末なベッド、あと簡易トイレぐらいのものだった。

(ああ、もう。どうしてこんなことに)

 自分自身の心配もあるが、それ以上に時間を無駄なことに使っているのが悔しかった。仕事の話があるだなんて甘い嘘に乗ってしまった自分の浅はかさを恨んだ。もっと警戒すべきだったんだ。だが今さら後悔しても遅い。今は脱出する方法を考えなければ。

 壁を叩いてまわり、どこかにひび割れでもないものかと探っていたときのことだった。こつこつと石の階段を誰かがおりてくる音がした。
 とっさに手を止めて、息を潜める。あの女主人、アリージャが来たのかと身構えたが……。

「おいおい、なんであっさり捕まってるんだよ、情けねえな」
 あらわれたのは借金取りの男だった。派手な服を着た、大きな体をした危険そうな男。

「ど、どうしてあなたがここに」
「どうしてって、自宅だしな」

「えっ? あなたの自宅? こんな豪邸が?」
「ああ? 俺が豪邸に住んだらいけないって?」

「いけなくはないけど……借金取りってそんなに儲かるものなんだ……」
「なんだよ、そりゃ。言っておくけど、儲かってるのは借金取りの俺じゃなくて、金貸しのアリージャ、つまり妻のほうだ。俺はアリージャの小間使いみたいなもんだからな」
 男はぶつくさ言いながらポケットから銀色の鍵を取り出して、牢屋の錠前に差し込んだ。滑らかに回転させると、軽い金属音とともに鍵が開いた。

「出ろ」
 あごをしゃくって促す男を、スウミはじっと見つめた。
「どういうつもり?」
 自分をどこに連れていって何をしようというのか。
「はあ? せっかく逃がしてやろうっていうのに、ここにいたいのか?」
「逃がす? 私を? なぜ」
「まあ、同じ境遇だしな」
 男は口元を歪めて短く笑った。
「俺もアリージャの可哀想コレクションの一つってことさ」
 そのとき、男の耳につけられたピアスが、アリージャの白い珠がついたピアスと同じものだと気づいた。



 男――ゼオは足音を立てずに素早く階段をのぼった。スウミもつま先立ちであとを追う。
 使用人の目を盗んで屋敷内を進み、厨房の勝手口から庭に出ることができた。外はたくさんのかがり火が焚かれており、まぶしいぐらいだった。

「俺はもともと酒場を経営してたんだ」
 庭を歩きながらゼオは話してくれた。

「だが、火事を起こしてしまってな。近所の店や民家まで燃えた。怪我人も出た。それで弁償という話になって、全部まとめて3億ギルだ。とても払えねえ。それをアリージャに肩代わりしてもらうのと引きかえに飼われるようになったってわけだ。3億ギル返せば離婚できる約束になっているが、まあ一生無理だろうな」
「3億ギルって……」
 途方もない額に言葉をなくしてしまう。それに3億ギルで夫を買うようなことをしたアリージャも理解不能だった。この屋敷内にあるものは全てが常識の外にあるようだ。

「俺はあんたと違って現実が見えているから、この境遇を受け入れることにした。アリージャに頼まれた仕事をこなせば多少の小遣いはもらえるし、待遇はそう悪くもない」
 ゼオは足をとめて、池を見つめた。かがり火を映した水面近くを、黒っぽい大きな魚が泳ぎ、光でできた鏡面を砕いた。
「そうだな、そう悪くもない……」
 まるで自分に言い聞かせるように、同じ言葉を繰り返す。
「でも、あんたは嫌なんだろ? 愛人として飼われるのは。俺としてはあんたが愛人仲間になってくれたら、いい暇つぶしになりそうだけどな」
 愛人仲間。つまりゼオの愛人になるわけではないということなのか。

「結局、私を愛人にしようとしているのは誰なの。ゼオ? それとも奥様?」
 ゼオは太い腕を組んだ。
「最初に言い出したのはアリージャだが、俺もまんざらでもない」
「ちょっとやめてよ」
 ゼオは喉の奥で笑った。挑発するようなことばかり言うが、その奥に優しさを隠していることを知ってしまったから腹は立たなかった。

 庭を突っ切り、スウミが外に出ると、ゼオは門扉をしめて、鉄格子越しにスウミを指さした。
「何が何でも2000万ギル稼げよ。期限は1年だ。いいな、絶対にやりとげろ」
 スウミは頷いた。
「助けてくれてありがとう。私、絶対に返済してみせるから!」
 ゼオは口の端をにっと上げて笑った。とても愉快そうな笑みだった。
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