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第9話 王子が命じるままに、腹痛を訴える

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 王子がスウミのほうを見て、片眉を上げた。おそらくこれが合図だ。

 この場で発言するのはなかなか勇気が要るが、第一王子派としての役目は果たさなければ。スウミは俯いてカップの紅茶を見つめながら、独り言でも言うように声を出した。
「あ、あの、私、おなかの調子が悪いみたいで……」
 しんと場が静まりかえった。貴婦人たちは「こいつ、何言ってんの?」という顔でまじまじとスウミを見つめた。スウミは自然と頬が熱くなるのを感じた。

「それは大変だ、早く休んだほうがいい! すぐ部屋を用意しよう」
 王子は素早く立ち上がると、
「皆様、きょうは突然の参加をお許しいただきありがとうございました。本当に楽しいひとときを過ごせました。では失礼」
 まるで用意していたセリフを読み上げるかのようにすらすらと言い、スウミを引きずるようにして部屋を出た。

「あの、お待ちになって」
 閉めたばかりのドアが再び開いて、ほんわかした感じの令嬢が追いかけてきた。手にはパウンドケーキが乗った大皿を抱えている。
「よろしかったら、これをお持ちください。きっとご苦労されていらっしゃるのよね。ドレスも泥がついていらっしゃるし。こんなお菓子ですけれど、生活の足しになりませんかしら。こういったものを食べ慣れていないと、おなかに悪いかもしれませんけれど……」
 彼女は皿ごと強引に押しつけてくる。
「どうぞお持ちになってね。貧乏でも頑張っていれば、きっといつか良いことがありますわ」
「は、はあ」
 デルファトル家の人間だと知られたら、いつも意地悪なことばかり言われてきたから、自然と身構えるようになってしまっていたスウミだったが、無邪気な令嬢の笑顔に心がほぐれる思いだった。
 スウミは皿ごとケーキを受け取った。
「ありがとうございます。お優しくしていただいたこと、忘れません」
「うふふ、私、またあなたとお茶会がしたいですわ。だって、きょうはあまりお話しできなくて……ああ、いけない、おなかが痛いんでしたわね。私ったら思ったことは全部口から出てしまうクセがあるんですの。これ以上引き止めてはいけませんわね。どうぞお大事に!」


 右手を王子に引っぱられ、左手で焼き菓子の皿を抱え、来たときとは違う階段を上ったりおりたりして王城を歩き回り、塔の屋上に造られたミニ庭園まで来たところで王子が手を離してくれた。

 スウミは木製のベンチに皿を置くと、自分のドレスを確認した。確かに裾のあたりに泥がついていた。馬に乗ったときにでも付着したのだろうか。スウミが泥を払っている間、王子は黙って見ていた。恥ずかしいし決まりが悪い。

「さっきのお茶会って一体何だったんですか?」
 恥ずかしさを紛らわすために、そんなことを王子に尋ねた。
「あれか……」
 王子は目を閉じて、指先で眉間を揉み始めた。
「城に住む貴族たちが定期的にやっているお茶会の一つだ。ずっと誘いを受けていたが断っていた。あんなものに出ても何も収穫はないからな。だが断り続けていたらあらぬ噂を流されて面倒なことになった。病気だの、どこの貴族を嫌っているだの、根も葉もないことをな。だから顔を出す必要があった。ただ短時間で切り上げたかったからおまえを利用した」

「彼女たちは第二王子派なんですよね?」
 王子は目を開くと、にやりと笑った。

「ああ。彼女たちはイスレイのために俺を長時間拘束して体調の変化を見る機会を窺っている。あるいは過労で倒れるのを狙っているのかもしれないが。今回はおそらく徹夜でお茶会をやる予定だったはずだ」
「徹夜でお茶会……第二王子派もおかしなことを考えますね」
 王子はうんざりとした顔で頷いた。
「イスレイは何日も徹夜で飲み続けても平然としている体力馬鹿だから、弟王子のほうが王にふさわしいとアピールしたいのだろう。虚弱な男は玉座の重みに耐えられない」
 第二王子は優男に見えてタフなようだ。人は見かけによらないらしい。

「あの、もしかしてエルド王子はご病気なのですか?」
 さきほど王子自身が「彼らは体調の変化を見る機会を窺っている」と言ったが、いくら嫌がらせにしても、健康な相手にはそんなことはしないはずだ。

 王子はまじまじとスウミを見た。冷たい色の瞳にじっと見おろされて、鼓動が速まるのを感じた。街の学習所の先生から叱られる直前みたいな緊張感がある。

「さっきから思っていたが、おまえはストレートに物を言う」
「も、申しわけありません」
 話題をそらされた気がして、スウミはそれ以上追及するのをやめた。かわりに個人的に一番気になったことを聞くことにした。
「あともう一つお尋ねしたいのですけれど、私とエルド王子って恋人同士なんですか」
 無礼も承知で、これだけは確認しておきたかった。王子はむっとした顔で「そうだ。だからなんだ」と言った。
「命を救っていただいた、その恩返しの意味を考えておりました」

 第一王子派になれと言われたときから、ろくでもない目に遭うのだろうなと覚悟はしていた。だが、まさかもてあそばれているということにされるとは思っていなかった。
 嫁入り前の令嬢が王子に遊ばれているだなんて噂になったら、スウミには縁談が来なくなってしまう。もっともデルファトル家の愛人の子に縁談なんて来るわけがないから余計な心配ではあるが、だからといって、ふしだらだと噂を立てられていいわけがない。

「まともな貴族令嬢なら、もてあそばれているなんていう汚れ役は受け入れないでしょう。借りがあって断れない立場の私がまんまと利用されてしまったというわけですね」
 あえて棘のある言い方をしたスウミだったが、エルド王子は目を細めて低く笑っただけだった。
「なるほど。きちんと物事を理解しているようだ」
「お褒めにあずかり恐縮です! でも、なんでもてあそばれている設定なんですか。腹痛係をやるなら友だちでも良かったのではないですか?」
 王子は鼻で笑った。
「デルファトル家の訳あり令嬢と第一王子が突然友人になったなどと、第二王子派が信じるものか。普通の恋人という設定でも疑われるだろう。本当に親しい関係なのかどうかは、簡単に見抜かれてしまうものだからな。一つ疑われれば、全てを疑って見られるものだ。それは避けたい」

 じゃあ、もてあそぶ設定なら疑われないのかというと、確かに疑われないかもしれない気もして、スウミは眉間にしわを寄せた。モンスターに殺されかけた令嬢は、命を救ってもらった王子に一目惚れして、遊びでもいいからおそばにおいてくださいと押しかけてきた。そういう噂話が今後流れていくことだろう。

「俺につくと誓約したはずだ。ならば俺の役に立て。恋人でも愛人でもなんでもやれ」
 愛人という言葉に思わずかっとなりかけたが、手を握りしめてぐっとこらえた。
「不満か」
「……いいえ」

 スウミの立場でそれ以外になんと言えるだろう。王子の言っていることはあまりにひどい。その上、愛人だなんて! スウミが一番嫌いな言葉を王子は口にした。しかし、ここで王子に逆らってお家取りつぶしなんてことになったら、借金返済どころではなくなり、借金取りの愛人になることが確定してしまう。相手は国家権力だ。デルファトル家には王家に逆らえるだけの権力はない。我慢するしかないのだ。

「不満なら不満だと言え」
「……不満はありません。王子が命じるなら私はどんな恥辱も受け入れましょう」
「恥辱だと!? 俺だっておまえを恋人にするなど、嘘でなければとても耐えられない」
 スウミが無言で王子をにらむと、王子も冷たい目で見下ろしてきた。
「私、仕事がありますので、そろそろデルファンに戻ってもよろしいでしょうか」
「だめに決まっているだろう。俺の用事はまだ済んでいない」
「そうですか、じゃあさっさと済ませてください」
「ああ、そうさせてもらう!」

 王子はスウミから皿を取り上げると、近くにいた兵士に自室へ届けるように言いつけてから再び歩き出した。ただでさえ歩くスピードの速い王子が、さらに大股になっているものだから、スウミは小走りにならなければならなかった。

 そうして、あっちこっちで行われている貴族の集いに「久しぶりに参加した王子」のお供としてスウミは顔を出し、王子と貴族の腹の探り合いを眺め、王子の合図によって腹痛を訴えることになった。

 貴族たちは「お元気そうで安心しました」と嫌味を言い、王子は「もちろん元気ですから心配いらないと弟にお伝えください」と言い返し、そういうのを見ていたら本当におなかが痛いような気になったりもした。



 全ての集いへの参加が終わったことを王子が告げたとき、既に日は落ちていた。
 やっと家に帰れるとスウミがほっとしたのも束の間、兵士が駈け寄ってきた。

「エルド王子、王がお呼びです」
「謁見の間か、それとも王の私室のほうか」
「謁見の間でお待ちです」
 王子が頷くと、兵士は一礼してから走っていった。どうやら王子はこれから公務のようだ。

「では、私はこれで失礼し……」
「ついてこい」
 スウミは王子を二度見した。
「えっ? なぜです。王様の前でも私は腹痛になるのですか」
「なるかもしれないし、ならないかもしれない。わからないからついてこい」

 再び迷宮みたいな王城をくねくねと進み、1階の謁見の間までスウミは連れてこられてしまった。
 中に入ると、部屋の奥のほうを向いて立っていた人々が一斉にエルド王子を振り返った。彼らの身なりから察するに王城住まいの王族と貴族たちだろう。

 がらんとした何もない部屋の奥に、白い椅子が一つだけ置かれていた。椅子の背後には海鳥の刺繍の旗が掲げられている。石英製だという噂の、聞いただけでもお尻が冷えそうな石の椅子が我が国の玉座であり、ここに座っているいかめしい顔をした初老の男性こそ、我らが国王陛下に違いない。
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