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第三十一話 翡翠取り

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 開始の合図とともに、一斉に海に入る男たち。波に足を取られることなく、しっかりとした足取りで進む者ばかりだ。漁村育ちなのだから当然か。ほとんど差がつかないまま腰のあたりの深さまで進んだところで、男たちは立ちどまり、潜ったり泳いだりして海底を探り始めた。どうやらそのあたりに落ちているようだ。

 女たちは砂浜から声援を送る。子どもたちは早くも見物に飽きており、砂を掘って砂山をつくってみたり、波打ち際に翡翠が落ちているんじゃないかと期待して探してみたりと、思い思いに楽しんでいる。大人たちは、夜の宴の打ち合わせをしている。踊りの練習をしている者も多い。浜はいつになく賑やかだった。

 先に海から上がったのは芭連だった。
 体から水滴をしたたらせながら、私のところに真っすぐやってきた。灰色の髪が濡れて、黒髪のようになっている。何も言わず、私の手を取ると、陽気な砂浜を離れ、人影のない浜黒棗の木陰につれていった。
 木漏れ日の下で、片手を差し出す。
 大きな手のひらの真ん中に、鮮やかな緑の水滴のような丸い翡翠が乗っていた。
「一番色が濃くて、透き通っているものを選んできた。受け取ってほしい、俺の気持ちとともに」
 そんなことを言われると、かえって受け取れない。
 私が手を出さずにいると、芭連はさっきまで海水に浸かっていたとは思えないほど熱い手で私の手を取り、無理やり翡翠を握らせた。
「ば、芭連……」
「もらってくれるだけでいいから」
「でも……やっぱり私、受け取れな……」

「陽葉瑠」
 青白い顔をした辰様がやってきて、私と芭連の間に割って入った。そのせいで逆に翡翠が私の手に残されてしまう。
「私の陽葉瑠に触れるだなんて、殺してしまいたいところですが……しかし、きょうは村にとって大事なお祭りの日。さすがに血を流したくはありませんから、今回だけは見逃してあげましょう」
「……ありがとうございます」
 辰様の怒りを、芭連は淡々と受け流す。
「陽葉瑠!」
 辰様が勢いよく振り返る。
「は、はい」
「受け取ってください」
 辰様が透明の小さな石を差し出した。
「これは、氷、じゃないですよね……?」
 三角形をした透明の石は、氷のように透き通っていた。
「翡翠です。翡翠にはこういう無色透明のものもあるのです」
 受け取ると、確かに石の手触りがした。
「きれいですね」
「ええ。緑なんかより、ずっとこっちのほうが良いでしょう」
 かたい声でそう言われて、辰様はご自分の目の色を否定しているのではないかという気がした。夜魔と同じ緑の瞳を。
「そんなことないですよ、緑もきれいですし、私、緑色って好きです」
 辰様は泣きそうな顔になり、芭連がくすりと笑んだ。
 私は慌ててしまう。これでは芭連からもらった翡翠のほうが良いと言っているみたいじゃないか。
「あの、もちろん氷のような翡翠もとてもきれいだと思います! 私が言いたいのはそういうことではなくて、あの……」
 しどろもどろで言い訳していたら、芭連は背を向けた。
「辰様から翡翠をもらえてよかったな」
 そのまま玖鎖良たちのほうへと歩いていってしまった。
 私の手の中には、緑と透明、二つの翡翠が残された。

 遠ざかる背中を見つめる辰様は、複雑そうな顔をしていた。
「どうかしましたか」
「あの男、例の男より器が大きい気がします。あれよりはましというか」
 例の男とかあれとかいうのは多分留園先生のことだろう。なんでそんなに留園先生を敵視するのか。もしかして紅飛斗の血が流れていることが関係しているのだろうか。辰様は半分夜魔だから、紅飛斗が嫌いなのかな。だとしたら私のことも嫌いということになってしまうのだけれど……。
 留園先生のことはおいておくとしても、芭連は紅飛斗の血が流れていないから、辰様の心をあまり刺激しないのかもしれなかった。

 辰様は髪をかき上げた。長い黒髪が水分を含んでかなり重そうだ。
「辰様、はやく体を拭いて着替えてください。風邪をひいてしまいます」
 すると、辰様は面白そうに口元をゆるめた。
「前にもそんなことを言われましたね。でも、神なので風邪はひきませんから大丈夫ですよ」
「でも……そのわりには、辰様の顔色が悪いです」
「これは海水に浸かったせいでしょう。すぐ回復しますから平気です」
 はっとした。そうだった、夜魔は水、特に海水を苦手とするのだ。辰様は半分夜魔なのだから、海水で体が弱るのも当然だった。どうして思い至らなかったんだろう。わかっていれば止めたのに。
 以前したのと同じように、私は腰の湯巻きをほどいて、それで辰様を包むように体を拭いていった。
 辰様は目を細めた。
「陽葉瑠にこうされていると、なんだか懐かしいような、幸せな気持ちがします」
「はい……」
「ああ、陽葉瑠を抱きたい。一つになりたい」
「し、辰様」
 驚いて手を止めて見上げると、自嘲するように息を吐いた。
「いけませんね、私は何を言っているのでしょう。こんなことでは……。情けないです」
 着替えてきます、そう小さく呟いて、辰様は子葉の建物に入っていった。


 ひとりになった私は、浜黒棗の下に座り、二つの翡翠を眺めた。木漏れ日を受けてきらめく緑と透明の石。どちらも綺麗だ。多分石の価値が高いのは緑色のほうなのだろう。けれど、自然と目が引きつけられるのは氷みたいな翡翠のほう。海水に弱い体なのに辰様がとってきてくれた翡翠のほうだ。

 しばらくの間、二つを見比べていたら、
「目を離すと、すぐこれです」と、背後から辰様が声を掛けてきた。もう着替えが済んだようだ。
 細身の直垂姿の辰様の腕が伸びて、緑の翡翠を取り上げた。
「私と大男を比べていたのでしょう?」
「大男……きっと芭連のことだと思うのですが、石を見ていただけで、辰様と比べていたわけではありません」
 長く深い溜息を吐かれた。翡翠を凝視する。憎い敵を見るような目つきだ。
「陽葉瑠は緑のほうが良かったのでしたね……」
「あっ、それは誤解です。私が緑が好きだと言ったのは、瞳の色のことです」
「……そういうことなら緑が好きでも、別にいいです……」
 引っ込みがつかないのか、頑張ってしかめっ面を維持しようとしている。でも嬉しそうだ。私も嬉しくなる。
「辰さ……痛っ」
 そのとき頭に何かが当たった。結構硬い感触だった。
「陽葉瑠? 今のは一体……」
 何かが当たったところを辰様がさすってくれた。
 足下に、牡蠣の貝殻が落ちていた。丸いほうの殻じゃなくて、平らな方の殻だ。殻の周囲は薄い刃のよう。実際蒸し牡蠣づくりで身をむくとき、殻で手を切ることはよくある。幸い怪我はしなかったが、もし当たり所が悪ければ皮膚が切れていただろう。もし顔に当たっていたら顔の皮膚を切っていたかもしれない……。

 一体誰がこんな悪意あるものを投げつけたのだろう。あたりを見回すと、一人の女性が目に入った。
 砂浜と陸地の境のあたりに立つ、黒い小袖の女性。腕を組み、こっちを睨んで立っている。
 風名だ。
 私と目が合うと、さらにきつい目つきになって睨んできた。

「あれは風名……まさか……」
 辰様は強く息を吸い込んだかと思うと、風名さんに向かって一気に駆け出した。それを見て、彼女はにっこりと微笑み、片手を上げた。まるで辰様が光の雨を降らせるときのように。

「風名、やめてください!」
 駆けながら叫ぶ。

 風名さんはもう一度私を睨んでから、手を振り下ろした。
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