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第二十六話 魂の中に潜むもの
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眩しい光を見た気がした。懐かしい声とともに。
目を開けると、視界が辰様の顔でいっぱいになった。心配そうに覗き込んでいる。頬が濡れているのは、涙だろうか。
私は辰様に抱きしめられているようだ。いや、正確には膝の上に横抱きにされていた。
しっかりとした腕が背中に回されている感触がする。
もう一方の手は、首がのけぞらないよう支えてくれていた。
「辰様……」
「ああ、陽葉瑠、間に合って良かった」
涙が顔にぽたぽたと落ちてくる。
「……光の雨で私を救ってくださったのですね……」
深く考えるより先に手が動いて、涙を拭いてさしあげようとした。そこで初めて辰様の顔色が悪いことに気づいた。頬は血の気をなくし、呼吸も荒い。目には力がなく、今にも倒れそうだ。
「辰様……?」
顔を胸元にぐっと強く押しつけられて、頭を支えてくれていた手が離れた。その手を握り込むようにして後ろに隠す。きっと指先が震えているのを気づかせまいとしているのだろう。
以前、光の雨を降らせたときもそうだった。一度目は平然としていたのに、二度目は手が震えていた。ただ、そこまでぐあいが悪そうには見えなかった。
そして三度目の今、あきらかに消耗している。回を重ねるごとに悪化している。
疲れただけだと辰様は説明していた。でも、嘘だったのかもしれない。神様が喜びごとを運んで疲れるだなんて、そんなの聞いたことがない。
「光の雨は、夜魔だけでなく辰様にも当たってしまう……。もしかして、それがお辛いのですか」
辰様の呼吸がとまった。体をかたくして、何も言わない。かすかな震えは消耗のせいか、それとも動揺のせいだろうか。
そのとき、体がぐらりと揺れた。後ろに傾き、そのまま二人地面に倒れ込む。悪い予感がして、慌てて身を起こして辰様の様子をうかがう。すでに意識がない。
「辰様!」
揺さぶっても意識は戻らない。
「え、これは……?」
辰様の髪が急に短くなっていた。以前は腰まであったのに、今は肩先ぐらいしかない。
「どうして……」
いつの間に切ったのだろうかと思って、ふと違和感を覚えた。地面に生える草が変なのだ。そのあたりを触ってみて、辰様の髪の感触がした。髪を切ったのではなく、髪の半分ぐらいが透けてしまっているのだ。
はっとしてよく見てみると、指先も消えかかっている。
「そんな!」
どうしよう、このままでは辰様が夜魔みたいに消えてしまう……。おなかの奥がぎゅっと痛くなる。怖い。この人が消えてしまうことが、怖くてたまらない。足下が消えて真っ逆さまに闇へと落ちるような恐怖で気が変になりそう。
私の神様。
大好きな優しい人。
視界は涙でぼやける。泣いている場合じゃないのに。
私がお助けしなきゃ。
ぎり、と下唇を噛んで、痛みで無理やり意識を強くたもつようにする。
どうしたらいい。村長のとこに行って、黒紀酒をもらってこようか。以前はそれで回復されたようだ。でも、以前は意識を失うほどじゃなかった。今回のようにひどい状態で、黒紀酒程度で効くのだろうか。あまり時間はない。一つ間違えば、全てが終わる。
下唇を噛みすぎたせいか、口の中に血の味が広がった。
そうだ。
黒紀酒よりも、もっと良いものを、私は持っているじゃないか。
――力は血肉に宿る。
糸切り歯で舌を噛んだ。背骨が震えるような嫌な感触と痛みとともに、口中で飛沫がはじけるような感覚とともに血が吹き出した。舌がどくどくと脈打っている。
「辰様、今度こそ私を食べてしまってかまいませんから」
辰様を仰向けにして、私は肩に手をおいてかがみ込み、口づける。舌を差し入れ、喉の奥へと血を流し込む。
私の血を美味しいと言っていた。ならば全部あげるから。
――消えないで。
血がとまってきたら、噛み直して血を流し、注ぎ込んだ。
どれぐらいそうしていただろうか。
ふいに肩を強く掴まれた。閉じていた目を開けると、辰様も薄く目を開けていた。
「辰様!」
しかし、視線は定まらず、ぼんやりしている。完全に意識が戻ったわけではないようだ。でも、ひとまず一命は取り留めたということか。安堵のあまり、緊張して硬くなっていた体から力が抜け、その場に倒れ込みそうになった。
「欲しい……陽葉瑠の全てが欲しい……」
うわごとのような言葉に、私は微笑みで応える。
「はい、私の全てをさしあげます」
うなじに手を回され、口づける。強く吸われて舌の付け根のところがちぎれそうに痛んだ。でも痛みに耐える。舌先からは新たな血が流れ出し、辰様は喉を鳴らして飲み込んだ。そうしながら、私は辰様の上にのしかかるようにして、胸に自分の胸を重ねた。ぴったりと密着したら、手が背中に回された。けれど、特に何も起こらない。
――ナマコみたいなお姿だったころは、この状態で命が吸い取られる感じがしたのに。
いまは人のお姿だから事情が違うのだろうか。
その間も、食らいつくように下から舌を絡めてくる。が、やはり、命を食べられている感覚もないし、辰様の気持ちも流れ込んでこない。
――何かが、やはり違う。
以前から感じている違和感。それが邪魔をしている。辰様の中にいる何か。
うなじに添えられていた手が、私の首を締めようとするみたいにぐっと掴んだ。そのまま上体をのけぞらせるように持ち上げられる。そのせいで重ねていた唇と胸が離れてしまった。指が喉に食い込む。息が苦しい。着物の背を掴んでいた左手が下におりて帯をほどいた。前がはだけて、夜気に乳房が晒されてしまう。
喉を掴まれたまま、乱暴に胸を揉みしだかれる。両腕に鳥肌が立った。
下腹部に硬いものが当たっているのを感じたときには、嫌悪感が全身を駆け巡った。
「……い……や……」
こんなのは、嫌だ。
こんな……。
命を捧げてもいいと思っていたくせに。
でも、抱かれる予感に、全身が拒絶の意思を示している。
だって、この人は風名さんを愛しているのだ。
きっともう何度も愛し合っている……。辰様の体からは女の匂いがかすかにする。そんな手で、ほかの女性を愛した手で触らないでほしかった。
しかも、今は意識があるのかどうかもわからない。それなのに、こんなことをされたくはない。受け入れたくはない。
逃げようと身をよじっても、首に指が食い込むばかりだった。
乳首を強くつままれ、涙がこぼれた。
「いや、やめて……いや!」
そんなに大きな声じゃなかった。首を絞められているせいで、ほとんど囁き声に近かった。でも、辰様にはそれで十分だった。
「……ひ、ばる……泣かないで……、もう、しないから……」
喉から手が外されて、呼吸が楽になった。上体を前に倒し、辰様の胸に両手をつく。急にたくさん息を吸ったせいか、少し咳き込む。
辰様は再び私のほうへと手を伸ばそうとして、しかし、宙でぐっとこぶしを握った。指の骨が白く浮き出るほど強く力をこめて握っている。その手を時間を掛けてゆっくり開き、ぎこちない動きで私のはだけた着物を整えてくれた。その指先がちゃんとあって、透き通っていないことに心底安堵する。
「ごめん……なさい……。こんな……するつもりじゃなかったのに……。でも、嫌だって言ってくれて良かった……自分を止めることができました」
「……もしかして……血の制約が……?」
やめてと命じたことになるのだろうか。
「いいえ……、血の縛りは感じませんでした。でも、似たようなものでしょう。私には陽葉瑠を悲しませるようなことはできません……いや、実際は悲しませてばかりでしたね、ごめんなさい……」
指が、私の頬を伝う涙をぬぐってくれた。さっきまで私の首をしめていた手が、今はこんなに優しい。
「辰様……」
私はその手に手を重ねて、また涙をこぼした。
夜魔であるはずのその手は、温かかった。
目を開けると、視界が辰様の顔でいっぱいになった。心配そうに覗き込んでいる。頬が濡れているのは、涙だろうか。
私は辰様に抱きしめられているようだ。いや、正確には膝の上に横抱きにされていた。
しっかりとした腕が背中に回されている感触がする。
もう一方の手は、首がのけぞらないよう支えてくれていた。
「辰様……」
「ああ、陽葉瑠、間に合って良かった」
涙が顔にぽたぽたと落ちてくる。
「……光の雨で私を救ってくださったのですね……」
深く考えるより先に手が動いて、涙を拭いてさしあげようとした。そこで初めて辰様の顔色が悪いことに気づいた。頬は血の気をなくし、呼吸も荒い。目には力がなく、今にも倒れそうだ。
「辰様……?」
顔を胸元にぐっと強く押しつけられて、頭を支えてくれていた手が離れた。その手を握り込むようにして後ろに隠す。きっと指先が震えているのを気づかせまいとしているのだろう。
以前、光の雨を降らせたときもそうだった。一度目は平然としていたのに、二度目は手が震えていた。ただ、そこまでぐあいが悪そうには見えなかった。
そして三度目の今、あきらかに消耗している。回を重ねるごとに悪化している。
疲れただけだと辰様は説明していた。でも、嘘だったのかもしれない。神様が喜びごとを運んで疲れるだなんて、そんなの聞いたことがない。
「光の雨は、夜魔だけでなく辰様にも当たってしまう……。もしかして、それがお辛いのですか」
辰様の呼吸がとまった。体をかたくして、何も言わない。かすかな震えは消耗のせいか、それとも動揺のせいだろうか。
そのとき、体がぐらりと揺れた。後ろに傾き、そのまま二人地面に倒れ込む。悪い予感がして、慌てて身を起こして辰様の様子をうかがう。すでに意識がない。
「辰様!」
揺さぶっても意識は戻らない。
「え、これは……?」
辰様の髪が急に短くなっていた。以前は腰まであったのに、今は肩先ぐらいしかない。
「どうして……」
いつの間に切ったのだろうかと思って、ふと違和感を覚えた。地面に生える草が変なのだ。そのあたりを触ってみて、辰様の髪の感触がした。髪を切ったのではなく、髪の半分ぐらいが透けてしまっているのだ。
はっとしてよく見てみると、指先も消えかかっている。
「そんな!」
どうしよう、このままでは辰様が夜魔みたいに消えてしまう……。おなかの奥がぎゅっと痛くなる。怖い。この人が消えてしまうことが、怖くてたまらない。足下が消えて真っ逆さまに闇へと落ちるような恐怖で気が変になりそう。
私の神様。
大好きな優しい人。
視界は涙でぼやける。泣いている場合じゃないのに。
私がお助けしなきゃ。
ぎり、と下唇を噛んで、痛みで無理やり意識を強くたもつようにする。
どうしたらいい。村長のとこに行って、黒紀酒をもらってこようか。以前はそれで回復されたようだ。でも、以前は意識を失うほどじゃなかった。今回のようにひどい状態で、黒紀酒程度で効くのだろうか。あまり時間はない。一つ間違えば、全てが終わる。
下唇を噛みすぎたせいか、口の中に血の味が広がった。
そうだ。
黒紀酒よりも、もっと良いものを、私は持っているじゃないか。
――力は血肉に宿る。
糸切り歯で舌を噛んだ。背骨が震えるような嫌な感触と痛みとともに、口中で飛沫がはじけるような感覚とともに血が吹き出した。舌がどくどくと脈打っている。
「辰様、今度こそ私を食べてしまってかまいませんから」
辰様を仰向けにして、私は肩に手をおいてかがみ込み、口づける。舌を差し入れ、喉の奥へと血を流し込む。
私の血を美味しいと言っていた。ならば全部あげるから。
――消えないで。
血がとまってきたら、噛み直して血を流し、注ぎ込んだ。
どれぐらいそうしていただろうか。
ふいに肩を強く掴まれた。閉じていた目を開けると、辰様も薄く目を開けていた。
「辰様!」
しかし、視線は定まらず、ぼんやりしている。完全に意識が戻ったわけではないようだ。でも、ひとまず一命は取り留めたということか。安堵のあまり、緊張して硬くなっていた体から力が抜け、その場に倒れ込みそうになった。
「欲しい……陽葉瑠の全てが欲しい……」
うわごとのような言葉に、私は微笑みで応える。
「はい、私の全てをさしあげます」
うなじに手を回され、口づける。強く吸われて舌の付け根のところがちぎれそうに痛んだ。でも痛みに耐える。舌先からは新たな血が流れ出し、辰様は喉を鳴らして飲み込んだ。そうしながら、私は辰様の上にのしかかるようにして、胸に自分の胸を重ねた。ぴったりと密着したら、手が背中に回された。けれど、特に何も起こらない。
――ナマコみたいなお姿だったころは、この状態で命が吸い取られる感じがしたのに。
いまは人のお姿だから事情が違うのだろうか。
その間も、食らいつくように下から舌を絡めてくる。が、やはり、命を食べられている感覚もないし、辰様の気持ちも流れ込んでこない。
――何かが、やはり違う。
以前から感じている違和感。それが邪魔をしている。辰様の中にいる何か。
うなじに添えられていた手が、私の首を締めようとするみたいにぐっと掴んだ。そのまま上体をのけぞらせるように持ち上げられる。そのせいで重ねていた唇と胸が離れてしまった。指が喉に食い込む。息が苦しい。着物の背を掴んでいた左手が下におりて帯をほどいた。前がはだけて、夜気に乳房が晒されてしまう。
喉を掴まれたまま、乱暴に胸を揉みしだかれる。両腕に鳥肌が立った。
下腹部に硬いものが当たっているのを感じたときには、嫌悪感が全身を駆け巡った。
「……い……や……」
こんなのは、嫌だ。
こんな……。
命を捧げてもいいと思っていたくせに。
でも、抱かれる予感に、全身が拒絶の意思を示している。
だって、この人は風名さんを愛しているのだ。
きっともう何度も愛し合っている……。辰様の体からは女の匂いがかすかにする。そんな手で、ほかの女性を愛した手で触らないでほしかった。
しかも、今は意識があるのかどうかもわからない。それなのに、こんなことをされたくはない。受け入れたくはない。
逃げようと身をよじっても、首に指が食い込むばかりだった。
乳首を強くつままれ、涙がこぼれた。
「いや、やめて……いや!」
そんなに大きな声じゃなかった。首を絞められているせいで、ほとんど囁き声に近かった。でも、辰様にはそれで十分だった。
「……ひ、ばる……泣かないで……、もう、しないから……」
喉から手が外されて、呼吸が楽になった。上体を前に倒し、辰様の胸に両手をつく。急にたくさん息を吸ったせいか、少し咳き込む。
辰様は再び私のほうへと手を伸ばそうとして、しかし、宙でぐっとこぶしを握った。指の骨が白く浮き出るほど強く力をこめて握っている。その手を時間を掛けてゆっくり開き、ぎこちない動きで私のはだけた着物を整えてくれた。その指先がちゃんとあって、透き通っていないことに心底安堵する。
「ごめん……なさい……。こんな……するつもりじゃなかったのに……。でも、嫌だって言ってくれて良かった……自分を止めることができました」
「……もしかして……血の制約が……?」
やめてと命じたことになるのだろうか。
「いいえ……、血の縛りは感じませんでした。でも、似たようなものでしょう。私には陽葉瑠を悲しませるようなことはできません……いや、実際は悲しませてばかりでしたね、ごめんなさい……」
指が、私の頬を伝う涙をぬぐってくれた。さっきまで私の首をしめていた手が、今はこんなに優しい。
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