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第二十三話 胡縷白の花
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胡縷白の花はまだ半分程度しか開花しておらず、けれど、池周辺は賑わっていた。夜遊びが恋しい者たちにとっては、半分も咲けば十分ということなのだろう。
胡縷白の花は、水上に咲く。睡蓮をさらに一回り大きくしたような花だ。
御報せ桜の近くの池には、丸い桃色の花がいくつも浮いていた。桃色なのに名前に白の字がついているのは、朝には白くなってしまうからだ。しかし、夜になれば桃色に戻る。それを数夜繰り返してから萎むように枯れる。
そんな神秘的なところが恋人たちの情熱を燃え上がらせるのか、あたりは体を寄せ合う恋人たちばかりだった。そんなの子どものころはちっとも気にならなかったのに、今夜は変に意識してしまう。芭連と少し距離をとった。
花を見ながら、ゆっくりと池沿いの道を歩く。
このあたりは普段は暗い。滅多に人が通らない道だから、かがり火が設置されていないのだ。だが、しかし、今夜は火が焚かれている。きっと村長が用意してくれたのだろう。かがり火のおかげで花や芭連の顔はよく見えるのだけれど、光の届かない足下は暗い。たまに茂みや窪みに足をとられて私が体勢を崩すたび、芭連が手をさしのべてくれるが、私は「大丈夫だよ」と笑って、やり過ごした。
芭連に気づかれないよう髪飾りに手をやる。滑らかであたたかみのある木の感触。そっと息を吐く。
この夜のお出かけは、友情によるものではないということに薄々気づき始めていた。
とはいえ、芭連がまだ何も言わないうちは、友人として接したほうがいいだろう。そう思った矢先のことだった。
「今夜は芽那と玖鎖良も来ているらしい。本当は四人で来ようと誘ったんだが、二人で行くからと断られた」
そんなことを言うから、また私はわからなくなる。
私の勘違いだったのだろうか。やっぱりこれは友人同士のお出かけだったのかな。うん、きっとそうだ。芽那たちが恋人同士になり、余った二人で遊びにきただけなのだろう。早とちりしてしまって、あやうく恥ずかしい思いをするところだった。危ない危ない。
私は急に気が楽になって、芭連と離れすぎていた距離を縮めた。一瞬芭連がこっちを見たが、すぐに前を向いた。
「芭連は二人のこと、聞いているの?」
ああ、と低い声で頷いた。
「夜魔退治の山暮らし中に付き合うことになって、別れかけて、修復した」
私よりも知っていた。三人は共同生活をしていたわけだから当然かもしれない。
「あれは玖鎖良が悪い」
「……え?」
「芽那は玖鎖良と一緒に戦いたい。玖鎖良は芽那を守りたい。でも玖鎖良は芽那を守れるほど強くなかった。だから、かえって芽那に迷惑をかけた。でも、それを反省して、芽那に謝った。二人はこれからは支え合って生きていくことだろう。結婚も近い」
「そこまで知ってるの!?」
なんだか疎外感を覚えてしまう。
「二人は良い夫婦になれるだろう。そばで見守っていて、そう思った」
「う、うん」
それはそうだけど、それを言う立場に私がなりたかったというか、なんというか。どうも複雑な気持ちだ。
「支え合う……それはそれで理想の形なんだろう。芽那と玖鎖良には合ってる。でも俺は愛する女は守りたいと思う。守れるように努力してきたし、紅飛斗の選抜組にも選ばれた」
芭連が立ち止まったから、私も足をとめる。
「陽葉瑠はどう思う。愛する男と一緒に戦いたいか、それとも愛する男に守られたいか」
「私は……愛する人を守りたい、かな」
芭連は愕然としたというように、目を見開いた。と思った次の瞬間、笑い出した。ふだんは大人びているのに、笑うと年相応に見える。
すぐに笑いはやむかと思いきや、ずっと笑っている。とても愉快そうだ。
「そんなに笑う? 女だって守りたいって思うのは、自然なことだと思うんだけどな」
「……いや、陽葉瑠らしいと思っただけだ。昔からそういうところがある」
芭連は笑いを引っ込めて、私を見つめた。
「昔……え、でも、子どものころは私と芭連とは遊んでなかったよね」
私が一緒に遊んでいたのは女の子ばかりで、男の子と遊んだ記憶はあまりなかった。
「そうだが、たまに男女関係なく集団で遊ぶときもあった。覚えてないか? ひ弱な男の子がいじめられているのを庇ったことがあっただろう」
「覚えてないなあ」
「そうか。陽葉瑠にとってはさほど印象に残らない出来事だったのかもしれないな。だが、俺は違う。あれからだ、俺が強くなろうと思ったのは。好きな子に助けてもらうんじゃなくて、俺が助ける側になろうと決めた」
芭連の目が眩しいものでも見るように細められた。
「あの子は紅飛斗の家の子だと聞いて、ならばあの子を夜魔から守るために俺も紅飛斗になるしかないと思った」
「芭連……」
芭連が鍛錬を重ねて、強靱な肉体を作り上げてきたのを知っている。手のひらは大剣を持つせいでたこができて、でこぼこになっているし、剣の練習でできた傷跡も一つや二つじゃないはずだ。
来年、紅飛斗になれば、錫の力を借りることなく命を賭けて戦わなければならない。それなのに、どんなに活躍しても役職には就けないのだ。
それが全て私のためだなんて……信じられない思いで私は手で口元を覆った。子どものころのこと、私が何一つ覚えていないというのが、とても罪なことのように思える。
私のほうへと伸びてくる芭連の手を見つめる。手が髪に、いや、髪飾りに触れた。
「神様と契っても、人間とも契れる。紅飛斗長にも確認した。ならば、陽葉瑠、俺と結婚してほしい。一番そばにいて守る存在になりたいんだ」
神様、という言葉に、心がずんと重くなる。俯いた。
「陽葉瑠?」
心が痛い。
「私、神様に娶られるのは、中止になったの……」
芭連はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「そうか……あんなに神様のことが好きだったのに、残念だったな……」
「……っ」
ああ、知っていたのか。私の気持ちをわかってくれているのか。それなのに私に結婚を申し込むなんて。いや、だからこそなのだろうか。思ってくれているからこそ、私の気持ちをわかってくれているのかもしれない。
顔を上げると、痛いほどまっすぐな視線とぶつかった。
「結婚してほしい。返事は今すぐじゃなくていいから」
芭連は私の手を握って引き寄せると、再び歩き出した。
胡縷白の花は、水上に咲く。睡蓮をさらに一回り大きくしたような花だ。
御報せ桜の近くの池には、丸い桃色の花がいくつも浮いていた。桃色なのに名前に白の字がついているのは、朝には白くなってしまうからだ。しかし、夜になれば桃色に戻る。それを数夜繰り返してから萎むように枯れる。
そんな神秘的なところが恋人たちの情熱を燃え上がらせるのか、あたりは体を寄せ合う恋人たちばかりだった。そんなの子どものころはちっとも気にならなかったのに、今夜は変に意識してしまう。芭連と少し距離をとった。
花を見ながら、ゆっくりと池沿いの道を歩く。
このあたりは普段は暗い。滅多に人が通らない道だから、かがり火が設置されていないのだ。だが、しかし、今夜は火が焚かれている。きっと村長が用意してくれたのだろう。かがり火のおかげで花や芭連の顔はよく見えるのだけれど、光の届かない足下は暗い。たまに茂みや窪みに足をとられて私が体勢を崩すたび、芭連が手をさしのべてくれるが、私は「大丈夫だよ」と笑って、やり過ごした。
芭連に気づかれないよう髪飾りに手をやる。滑らかであたたかみのある木の感触。そっと息を吐く。
この夜のお出かけは、友情によるものではないということに薄々気づき始めていた。
とはいえ、芭連がまだ何も言わないうちは、友人として接したほうがいいだろう。そう思った矢先のことだった。
「今夜は芽那と玖鎖良も来ているらしい。本当は四人で来ようと誘ったんだが、二人で行くからと断られた」
そんなことを言うから、また私はわからなくなる。
私の勘違いだったのだろうか。やっぱりこれは友人同士のお出かけだったのかな。うん、きっとそうだ。芽那たちが恋人同士になり、余った二人で遊びにきただけなのだろう。早とちりしてしまって、あやうく恥ずかしい思いをするところだった。危ない危ない。
私は急に気が楽になって、芭連と離れすぎていた距離を縮めた。一瞬芭連がこっちを見たが、すぐに前を向いた。
「芭連は二人のこと、聞いているの?」
ああ、と低い声で頷いた。
「夜魔退治の山暮らし中に付き合うことになって、別れかけて、修復した」
私よりも知っていた。三人は共同生活をしていたわけだから当然かもしれない。
「あれは玖鎖良が悪い」
「……え?」
「芽那は玖鎖良と一緒に戦いたい。玖鎖良は芽那を守りたい。でも玖鎖良は芽那を守れるほど強くなかった。だから、かえって芽那に迷惑をかけた。でも、それを反省して、芽那に謝った。二人はこれからは支え合って生きていくことだろう。結婚も近い」
「そこまで知ってるの!?」
なんだか疎外感を覚えてしまう。
「二人は良い夫婦になれるだろう。そばで見守っていて、そう思った」
「う、うん」
それはそうだけど、それを言う立場に私がなりたかったというか、なんというか。どうも複雑な気持ちだ。
「支え合う……それはそれで理想の形なんだろう。芽那と玖鎖良には合ってる。でも俺は愛する女は守りたいと思う。守れるように努力してきたし、紅飛斗の選抜組にも選ばれた」
芭連が立ち止まったから、私も足をとめる。
「陽葉瑠はどう思う。愛する男と一緒に戦いたいか、それとも愛する男に守られたいか」
「私は……愛する人を守りたい、かな」
芭連は愕然としたというように、目を見開いた。と思った次の瞬間、笑い出した。ふだんは大人びているのに、笑うと年相応に見える。
すぐに笑いはやむかと思いきや、ずっと笑っている。とても愉快そうだ。
「そんなに笑う? 女だって守りたいって思うのは、自然なことだと思うんだけどな」
「……いや、陽葉瑠らしいと思っただけだ。昔からそういうところがある」
芭連は笑いを引っ込めて、私を見つめた。
「昔……え、でも、子どものころは私と芭連とは遊んでなかったよね」
私が一緒に遊んでいたのは女の子ばかりで、男の子と遊んだ記憶はあまりなかった。
「そうだが、たまに男女関係なく集団で遊ぶときもあった。覚えてないか? ひ弱な男の子がいじめられているのを庇ったことがあっただろう」
「覚えてないなあ」
「そうか。陽葉瑠にとってはさほど印象に残らない出来事だったのかもしれないな。だが、俺は違う。あれからだ、俺が強くなろうと思ったのは。好きな子に助けてもらうんじゃなくて、俺が助ける側になろうと決めた」
芭連の目が眩しいものでも見るように細められた。
「あの子は紅飛斗の家の子だと聞いて、ならばあの子を夜魔から守るために俺も紅飛斗になるしかないと思った」
「芭連……」
芭連が鍛錬を重ねて、強靱な肉体を作り上げてきたのを知っている。手のひらは大剣を持つせいでたこができて、でこぼこになっているし、剣の練習でできた傷跡も一つや二つじゃないはずだ。
来年、紅飛斗になれば、錫の力を借りることなく命を賭けて戦わなければならない。それなのに、どんなに活躍しても役職には就けないのだ。
それが全て私のためだなんて……信じられない思いで私は手で口元を覆った。子どものころのこと、私が何一つ覚えていないというのが、とても罪なことのように思える。
私のほうへと伸びてくる芭連の手を見つめる。手が髪に、いや、髪飾りに触れた。
「神様と契っても、人間とも契れる。紅飛斗長にも確認した。ならば、陽葉瑠、俺と結婚してほしい。一番そばにいて守る存在になりたいんだ」
神様、という言葉に、心がずんと重くなる。俯いた。
「陽葉瑠?」
心が痛い。
「私、神様に娶られるのは、中止になったの……」
芭連はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「そうか……あんなに神様のことが好きだったのに、残念だったな……」
「……っ」
ああ、知っていたのか。私の気持ちをわかってくれているのか。それなのに私に結婚を申し込むなんて。いや、だからこそなのだろうか。思ってくれているからこそ、私の気持ちをわかってくれているのかもしれない。
顔を上げると、痛いほどまっすぐな視線とぶつかった。
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芭連は私の手を握って引き寄せると、再び歩き出した。
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