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第二十二話 芭連
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その日、子葉での訓練を終えて、家に帰ろうと子葉を出たとき、芭連に呼び止められた。
太陽の下で芭連を見上げると、灰色の髪が陽に透けて、ほとんど銀に近く見える。
「そろそろ胡縷白の花が見頃のようだ」
胡縷《うる》白の花は、夏の盛りにだけ咲く花だ。日が落ちてから開花するから、花見が夜遊びの口実になる。
夜に外出しても親から怒られずに済むので、村の子どもたちは花見を楽しみにしている。もう子どもではない年齢になると、今度は恋人との夏の夜の逢瀬というわけで、胡縷白の花にはわくわくするような、どきどきするような、そんな印象がつきまとう。
「今夜、見に行かないか」
「えっ……」
びっくりして見上げた芭連の黒い瞳は、静かで深く澄んでいる。どういう意味のお誘いなのか、はかりかねた。芭連がもっと照れるとか笑うとかしていたら男女のお誘いだとわかるのだけれど、芭連はいつもどおりだ。山歩きの修練に行こうと誘うかのような口ぶりだった。
「あの……ええと……?」
男女のほうなら断るつもりだった。辰様とのことがあったばかりなのに、まだそういう気持ちになれない。
でも、芭連があまりにもいつもどおりなものだから、友情のほうの夜遊びに誘われているのかもしれない気がして、それなら行きたい気持ちもあって、返事がおくれた。
「もし夜魔が出てきても、ちゃんと守る」
「う、うん」
「あとで迎えにいく」
「うん……」
びっくりして事態が把握できないまま、芭連と出かけることが決まってしまった。
帰宅し、自室で髪を木櫛でとかしていると、母が声を掛けてきた。手には見慣れない着物を持っている。
「陽葉瑠、あなた今夜は胡縷白の花で出かけるんでしょう」
「え、何で知ってるの」
「そりゃまあ、ね」と、言いながら、母が部屋に入ってきた。
「帰ってくるなり、自室に飛び込んで髪をといている娘を見れば、察するわよ」
「……そういうのは察しても言わないでほしかったな……」
私はつい口を尖らせてしまう。
芽那みたいに綺麗な髪ではないことを気にしていることも、人と会うことになったら真っ先に髪をとかすことも、母には知られてしまっていた。
「辰様と行くの?」
「……ううん。芭連と」
「そう」
それ以上聞かないでと願いながら、何でもないような顔をして髪をとかす。
「それで、この着物なんだけどね」
母は淡い水色の小袖を顔の前に持ち上げて広げた。
「陽葉瑠に良いんじゃないかと思って。今朝、行商人が村に来てたから魚と交換したのよ」
手渡された着物は、ふわりと軽く、いかにも涼しげだ。
「わあ、ありがとう、お母さん」
お礼を言う私に、母は変な顔をした。唇を突き出して、眉毛を下げている。小さな子どもがふざけているみたいな顔だ。
「実はその交換でね、陽葉瑠がつくった楚割、全部使っちゃった」
「ええっ」
私の手づくり楚割は、鮫の身を使っており、大変臭みがある食べ物で、村人たちには大不評だが、私は大好物だ。もしかしたら辰様も食べるかもしれないと思って、大量につくったばかりだった。
「全部?」
母は頷く。
「だってしょうがないでしょう。行商人は鮫の楚割が欲しいって言い出して、でも、そんなの陽葉瑠ぐらいしかつくらないんだから」
「そっか」
そういう事情があるのなら仕方がない。新しい着物ももらえたことだし、文句はなかった。楚割なんてまたつくればいいのだ。今度は大量にではなくて、自分の分だけを。
「それにしても珍しいね、行商人が鮫の楚割を欲しがるなんて」
一番価値があるのは鮭でつくったものなのに。
「このごろ都の偉い人たちの間では鮫が流行っているんですって。変わってるわねえ」
「変わって……いや、美味しいんだってば、独特の臭みがあって癖になるんだよ」
母は手を振りながら部屋から出ていく。
「はいはい、鮫の魅力なんて教えてくれなくても大丈夫よ、多分理解できないから。本当うちの娘ったら変なものばかり気に入るのよねえ。ああ、それと、今夜はあんまりおそくならないようにね」
はーい、と返事をしておいた。
芭連と二人なら、きっとそんなに長居はしない。逆に親が心配するぐらい早く帰ってくることもあり得そうな気がした。
早速もらったばかりの着物を着てみた。色味を考えて、紺の帯を締める。
そうしたら、今度は髪にも手を入れたい気分になった。芭連と出かけることに対して、戸惑いの気持ちが大きかったのだけれど、こうして支度をしていたら、前向きな気持ちになってきていた。
いい気分転換になるかもしれない、そう思うことにした。
ふだんは垂らしている髪を紐でゆるく束ねてみた。どうだろう。なんだかうまく縛れていない気がして、何度かやり直していたら、
「陽葉瑠」
外から声がした。芭連がもう来たのだ。思ったより早い。
髪を縛りながら、慌てて外に出た。
外に出てみると、既に陽は落ちていた。芭連が早く来たのではなくて、私が支度に時間が掛かりすぎただけのようだった。
真新しい白の直垂姿の芭連は、私を見ると目を細めて、
「涼しげでいいな」と、着物を誉めてくれた。
「ありがとう。芭連も白がよく似合っているよ」
「ああ、ありがとう。これにして正解だった」
いつもの淡々とした声なのに、どこかに慈しむような優しい響きがあって、なんだかくすぐったいような、気恥ずかしいような気分だ。
「陽葉瑠、これを」
芭連は懐から布の包みを取り出した。はらりと開くと、中から髪飾りが出てきた。木彫りの小花がついた髪飾りだ。
「芭連……」
「挿してみてくれないか」
「う、うん……」
言われるまま、髪に挿してみた。しかし、うまく固定できない。一旦引き抜いて、縛った部分に乗せるようにして挿し直した。今度はしっかり安定した。
「髪を結んでいてよかった。いつものように肩に垂らしていたら、この髪飾りはつけられなかったもの」
「もし結んでいなかったら、俺が髪を結ぶつもりだった」
あまりに積極的な言葉に私が目を見開くと、芭連は苦笑した。
「姉の髪を結ぶのを、いつもやらされている」
「ああ、そういうことか」
一旦納得した。変な意味はないようだ。……いや、本当にそうだろうか? よく考えたら、姉妹ではない女性の髪を男性が結ぶのはやっぱり変ではないだろうか。
眉間に皺を寄せて考えていたら、芭連が「行こう」と私を促した。
二人並んで、池のほうへと続く道へと向かった。
あたりには子供や若い人たちもおり、私たちと同じ方向へ向かっている。中には松明を手にしている者もいて、皆その火に導かれるようについていく。
歩きながら、こっそり芭連を盗み見た。
夕闇の中で見る芭連の髪はほとんど黒で、顔立ちは精悍というのか、どう考えてもおしゃべりやお調子者ではないなという顔だ。本人の気質がよくあらわれている。背がとても高くて、肩が盛り上がっていて、腕もすごく太くて、日に焼けていて……辰様とは違う。
つい辰様のことを思い出してしまう。どんなお顔をして、どんなお体をされていたのか……いやだ、私は何を考えているのだろう。
ああもう。
失恋したときは、新しい相手を探すと良いって聞いたことがあるけれど、本当なのだろうかと疑問に思った。だってつい比べてしまうから、かえって思い出してしまう。
女友だちと……芽那と過ごしたいと一瞬思った。いや、だけど、そんなことを思うなんて、せっかく誘ってくれた芭連に対して失礼じゃないか。
いろんなことを頭の中でぐるぐる考えてしまう。
太陽の下で芭連を見上げると、灰色の髪が陽に透けて、ほとんど銀に近く見える。
「そろそろ胡縷白の花が見頃のようだ」
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夜に外出しても親から怒られずに済むので、村の子どもたちは花見を楽しみにしている。もう子どもではない年齢になると、今度は恋人との夏の夜の逢瀬というわけで、胡縷白の花にはわくわくするような、どきどきするような、そんな印象がつきまとう。
「今夜、見に行かないか」
「えっ……」
びっくりして見上げた芭連の黒い瞳は、静かで深く澄んでいる。どういう意味のお誘いなのか、はかりかねた。芭連がもっと照れるとか笑うとかしていたら男女のお誘いだとわかるのだけれど、芭連はいつもどおりだ。山歩きの修練に行こうと誘うかのような口ぶりだった。
「あの……ええと……?」
男女のほうなら断るつもりだった。辰様とのことがあったばかりなのに、まだそういう気持ちになれない。
でも、芭連があまりにもいつもどおりなものだから、友情のほうの夜遊びに誘われているのかもしれない気がして、それなら行きたい気持ちもあって、返事がおくれた。
「もし夜魔が出てきても、ちゃんと守る」
「う、うん」
「あとで迎えにいく」
「うん……」
びっくりして事態が把握できないまま、芭連と出かけることが決まってしまった。
帰宅し、自室で髪を木櫛でとかしていると、母が声を掛けてきた。手には見慣れない着物を持っている。
「陽葉瑠、あなた今夜は胡縷白の花で出かけるんでしょう」
「え、何で知ってるの」
「そりゃまあ、ね」と、言いながら、母が部屋に入ってきた。
「帰ってくるなり、自室に飛び込んで髪をといている娘を見れば、察するわよ」
「……そういうのは察しても言わないでほしかったな……」
私はつい口を尖らせてしまう。
芽那みたいに綺麗な髪ではないことを気にしていることも、人と会うことになったら真っ先に髪をとかすことも、母には知られてしまっていた。
「辰様と行くの?」
「……ううん。芭連と」
「そう」
それ以上聞かないでと願いながら、何でもないような顔をして髪をとかす。
「それで、この着物なんだけどね」
母は淡い水色の小袖を顔の前に持ち上げて広げた。
「陽葉瑠に良いんじゃないかと思って。今朝、行商人が村に来てたから魚と交換したのよ」
手渡された着物は、ふわりと軽く、いかにも涼しげだ。
「わあ、ありがとう、お母さん」
お礼を言う私に、母は変な顔をした。唇を突き出して、眉毛を下げている。小さな子どもがふざけているみたいな顔だ。
「実はその交換でね、陽葉瑠がつくった楚割、全部使っちゃった」
「ええっ」
私の手づくり楚割は、鮫の身を使っており、大変臭みがある食べ物で、村人たちには大不評だが、私は大好物だ。もしかしたら辰様も食べるかもしれないと思って、大量につくったばかりだった。
「全部?」
母は頷く。
「だってしょうがないでしょう。行商人は鮫の楚割が欲しいって言い出して、でも、そんなの陽葉瑠ぐらいしかつくらないんだから」
「そっか」
そういう事情があるのなら仕方がない。新しい着物ももらえたことだし、文句はなかった。楚割なんてまたつくればいいのだ。今度は大量にではなくて、自分の分だけを。
「それにしても珍しいね、行商人が鮫の楚割を欲しがるなんて」
一番価値があるのは鮭でつくったものなのに。
「このごろ都の偉い人たちの間では鮫が流行っているんですって。変わってるわねえ」
「変わって……いや、美味しいんだってば、独特の臭みがあって癖になるんだよ」
母は手を振りながら部屋から出ていく。
「はいはい、鮫の魅力なんて教えてくれなくても大丈夫よ、多分理解できないから。本当うちの娘ったら変なものばかり気に入るのよねえ。ああ、それと、今夜はあんまりおそくならないようにね」
はーい、と返事をしておいた。
芭連と二人なら、きっとそんなに長居はしない。逆に親が心配するぐらい早く帰ってくることもあり得そうな気がした。
早速もらったばかりの着物を着てみた。色味を考えて、紺の帯を締める。
そうしたら、今度は髪にも手を入れたい気分になった。芭連と出かけることに対して、戸惑いの気持ちが大きかったのだけれど、こうして支度をしていたら、前向きな気持ちになってきていた。
いい気分転換になるかもしれない、そう思うことにした。
ふだんは垂らしている髪を紐でゆるく束ねてみた。どうだろう。なんだかうまく縛れていない気がして、何度かやり直していたら、
「陽葉瑠」
外から声がした。芭連がもう来たのだ。思ったより早い。
髪を縛りながら、慌てて外に出た。
外に出てみると、既に陽は落ちていた。芭連が早く来たのではなくて、私が支度に時間が掛かりすぎただけのようだった。
真新しい白の直垂姿の芭連は、私を見ると目を細めて、
「涼しげでいいな」と、着物を誉めてくれた。
「ありがとう。芭連も白がよく似合っているよ」
「ああ、ありがとう。これにして正解だった」
いつもの淡々とした声なのに、どこかに慈しむような優しい響きがあって、なんだかくすぐったいような、気恥ずかしいような気分だ。
「陽葉瑠、これを」
芭連は懐から布の包みを取り出した。はらりと開くと、中から髪飾りが出てきた。木彫りの小花がついた髪飾りだ。
「芭連……」
「挿してみてくれないか」
「う、うん……」
言われるまま、髪に挿してみた。しかし、うまく固定できない。一旦引き抜いて、縛った部分に乗せるようにして挿し直した。今度はしっかり安定した。
「髪を結んでいてよかった。いつものように肩に垂らしていたら、この髪飾りはつけられなかったもの」
「もし結んでいなかったら、俺が髪を結ぶつもりだった」
あまりに積極的な言葉に私が目を見開くと、芭連は苦笑した。
「姉の髪を結ぶのを、いつもやらされている」
「ああ、そういうことか」
一旦納得した。変な意味はないようだ。……いや、本当にそうだろうか? よく考えたら、姉妹ではない女性の髪を男性が結ぶのはやっぱり変ではないだろうか。
眉間に皺を寄せて考えていたら、芭連が「行こう」と私を促した。
二人並んで、池のほうへと続く道へと向かった。
あたりには子供や若い人たちもおり、私たちと同じ方向へ向かっている。中には松明を手にしている者もいて、皆その火に導かれるようについていく。
歩きながら、こっそり芭連を盗み見た。
夕闇の中で見る芭連の髪はほとんど黒で、顔立ちは精悍というのか、どう考えてもおしゃべりやお調子者ではないなという顔だ。本人の気質がよくあらわれている。背がとても高くて、肩が盛り上がっていて、腕もすごく太くて、日に焼けていて……辰様とは違う。
つい辰様のことを思い出してしまう。どんなお顔をして、どんなお体をされていたのか……いやだ、私は何を考えているのだろう。
ああもう。
失恋したときは、新しい相手を探すと良いって聞いたことがあるけれど、本当なのだろうかと疑問に思った。だってつい比べてしまうから、かえって思い出してしまう。
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