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第十九話 夜の砂浜で
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いつからか勘違いしていたのかもしれない。
辰様は私のものだって。
絶対に離れていかないって。
夜も更けてきて、料理も酒もあらかた片付けてしまうと、宴に弛緩した空気が漂い始めた。
かがり火のちらちら揺らめく明かりの下、酔いつぶれるもの、陽気に歌う者、まだまだ食べ続ける者などさまざまだ。
宴では、私は調理担当の紅飛斗たちと一緒に端の席に座っていたから、辰様たちとは離れていた。ご馳走をいただいたけれど、味はよく覚えていない。多分美味しかったはずだが、私は味わう余裕なんてなかった。
せっかくの宴なのに、ここにいたくない気持ちだった。
そろそろ席を立っても失礼に当たらない頃合いだろうと判断し、席を離れて、波打ち際を散歩することにした。
本当なら芽那たちのところに行くべきなのだ。彼女たちの帰還を祝う宴なのだから。
でも、芽那たちのすぐ隣には辰様がいる。
その目が誰を見ているのか、知りたくなくて、それで自分の胸がざわつくのが嫌で、こうして逃げてきた。
一人砂浜を歩く。私を追いかけてきてくれたらいいのに、なんて期待して。でも、そんな都合のいいことは起こらない。
波は静かに打ち寄せていた。
黒い海に、かがり火を反射したきらきらの波がふわっと盛り上がっては、消えていく。
沖に目をやっても、もう水平線は暗くて見えない。かわりに星が瞬いていた。きらきらした光が夜の空を飾っている。穏やかに繰り返す波音。砂を踏むやわらかな感触。少し暑いけれど、夜風が気持ちいい。
胸が締め付けられるほど綺麗な夜だった。
いま隣に辰様がいたらいいのに。
あの人は星を見て、なんて言うだろう。
そのとき、砂を踏む音がした。
どきりとして振り返ると、そこにいたのは芽那だった。
「陽葉瑠、お給仕お疲れさま」
がっかりしたなんて思ったら、芽那に悪い。でも、がっかりしてしまった。
「芽那……」
並んで歩く。皮靴が乾いた砂に沈むたび、きゅっと砂が締まる音がする。
「なんかちょっと元気ない?」
「ううん、そんなことないよ、ちょっと疲れただけ」
このもやもやをうまく説明できる自信がないから誤魔化した。
私は風名さんに嫉妬しているのかな。そうかもしれない。私だけを見ていてほしい、そう思っているのかな。そうなのだろうか。辰様がほかの女性を目で追う、そんなことがあるなんて、夢にも思っていなくて、びっくりした。本当にびっくりしたのだ。
「芽那こそ、どうしたの」
きっと話したいことがあるのだ。それがわかっていたから水を向けた。
「なんていうか、玖鎖良もだけど、変じゃない?」
芽那は肩をすくめた。
「実はさ、私たち、付き合うことになった」
「え、そうなの!?」
なんとなく、いつかはそうなるとは思っていた。二人はとても仲が良かったから。じゃれ合う友だちみたいな恋人たち。けど、それがどうして不穏とも呼べるような雰囲気になっているのかがわからない。
「もしかして喧嘩したとか?」
「違うよ。ううん、そっちのほうがまだ良かったかな」
座ろう、と芽那に誘われて、砂浜に腰をおろした。芽那が肩にもたれかかってくる。
「この一月ぐらい、一緒に山で生活して、一緒に夜魔も退治して、それで、やっぱり私はあいつが好きだなって思ったし、あいつも同じ気持ちだったんだけど……」
芽那は言いよどんだ。
「うーん、うまく言えないけど、一緒に生活したり、一緒に仕事をしたりするのって、今まで見えてなかったものも見えてくるんだなって。見たくなかったものも見えるし、反対に自分が隠してたことも相手に見えちゃうんだよ、せっぱつまった状況だとね」
正直芽那の言いたいことが私にはよくわからなかった。ただ、芽那がひどく大人びて見えた。恋人になった後、どんな問題が待ち構えているのかなんていう、まだ私にはわからない世界に芽那たちは一足先に飛び込んだということなのだろう。
「まあ、これは二人の問題だからさ。きっと二人で乗り越えなきゃいけないんだ。だから話してどうなるってもんでもないんだけど」
「ごめん、芽那、私、役に立つこと何も言えなくて……」
芽那にとって私はきっと相談相手として頼りなくて、それをふがいなく思った。
「聞いてくれるだけも十分嬉しいよ。話してすっきりしたしね。それより陽葉瑠はどうなの。神様とはどうなった?」
「う、うん、お仕えしているよ」
芽那が腕を回して、私の肩を抱いた。
「ひどいことされてない? 無茶な命令されたりとか」
「そんなことはないよ。優しい神様だもの。でも……」
「うん?」
「私、神様のこと好きなの、結構本気で」
「……そっか。まあ、前のお姿のときからかなり肩入れしてたもんね」
「うん。でも、神様がなかなか信じてくれなくて」
芽那がまじまじと私を見つめた。
「陽葉瑠、自分から行ってる?」
「え? 何が」
芽那は呆れたように溜息を吐いた。
「陽葉瑠のことだから受け身なんでしょ。自分から行くのも大事だよ」
「じ、自分から……」
そんなこと考えたこともなかった。
「きっと誰だって嬉しいと思うよ、求められたら」
芽那があまりに自然にそう言うので、なんだかすっと言葉が胸に入った。
「そう、か。そうだね」
「そうそう」
宴の席のほうを振り返った。辰様はもう席にはいない。帰ったのだろうか。私に何も言わずに?
風名さんの姿も見当たらない。
胸の奥がきゅっと痛くなった。
辰様は私のものだって。
絶対に離れていかないって。
夜も更けてきて、料理も酒もあらかた片付けてしまうと、宴に弛緩した空気が漂い始めた。
かがり火のちらちら揺らめく明かりの下、酔いつぶれるもの、陽気に歌う者、まだまだ食べ続ける者などさまざまだ。
宴では、私は調理担当の紅飛斗たちと一緒に端の席に座っていたから、辰様たちとは離れていた。ご馳走をいただいたけれど、味はよく覚えていない。多分美味しかったはずだが、私は味わう余裕なんてなかった。
せっかくの宴なのに、ここにいたくない気持ちだった。
そろそろ席を立っても失礼に当たらない頃合いだろうと判断し、席を離れて、波打ち際を散歩することにした。
本当なら芽那たちのところに行くべきなのだ。彼女たちの帰還を祝う宴なのだから。
でも、芽那たちのすぐ隣には辰様がいる。
その目が誰を見ているのか、知りたくなくて、それで自分の胸がざわつくのが嫌で、こうして逃げてきた。
一人砂浜を歩く。私を追いかけてきてくれたらいいのに、なんて期待して。でも、そんな都合のいいことは起こらない。
波は静かに打ち寄せていた。
黒い海に、かがり火を反射したきらきらの波がふわっと盛り上がっては、消えていく。
沖に目をやっても、もう水平線は暗くて見えない。かわりに星が瞬いていた。きらきらした光が夜の空を飾っている。穏やかに繰り返す波音。砂を踏むやわらかな感触。少し暑いけれど、夜風が気持ちいい。
胸が締め付けられるほど綺麗な夜だった。
いま隣に辰様がいたらいいのに。
あの人は星を見て、なんて言うだろう。
そのとき、砂を踏む音がした。
どきりとして振り返ると、そこにいたのは芽那だった。
「陽葉瑠、お給仕お疲れさま」
がっかりしたなんて思ったら、芽那に悪い。でも、がっかりしてしまった。
「芽那……」
並んで歩く。皮靴が乾いた砂に沈むたび、きゅっと砂が締まる音がする。
「なんかちょっと元気ない?」
「ううん、そんなことないよ、ちょっと疲れただけ」
このもやもやをうまく説明できる自信がないから誤魔化した。
私は風名さんに嫉妬しているのかな。そうかもしれない。私だけを見ていてほしい、そう思っているのかな。そうなのだろうか。辰様がほかの女性を目で追う、そんなことがあるなんて、夢にも思っていなくて、びっくりした。本当にびっくりしたのだ。
「芽那こそ、どうしたの」
きっと話したいことがあるのだ。それがわかっていたから水を向けた。
「なんていうか、玖鎖良もだけど、変じゃない?」
芽那は肩をすくめた。
「実はさ、私たち、付き合うことになった」
「え、そうなの!?」
なんとなく、いつかはそうなるとは思っていた。二人はとても仲が良かったから。じゃれ合う友だちみたいな恋人たち。けど、それがどうして不穏とも呼べるような雰囲気になっているのかがわからない。
「もしかして喧嘩したとか?」
「違うよ。ううん、そっちのほうがまだ良かったかな」
座ろう、と芽那に誘われて、砂浜に腰をおろした。芽那が肩にもたれかかってくる。
「この一月ぐらい、一緒に山で生活して、一緒に夜魔も退治して、それで、やっぱり私はあいつが好きだなって思ったし、あいつも同じ気持ちだったんだけど……」
芽那は言いよどんだ。
「うーん、うまく言えないけど、一緒に生活したり、一緒に仕事をしたりするのって、今まで見えてなかったものも見えてくるんだなって。見たくなかったものも見えるし、反対に自分が隠してたことも相手に見えちゃうんだよ、せっぱつまった状況だとね」
正直芽那の言いたいことが私にはよくわからなかった。ただ、芽那がひどく大人びて見えた。恋人になった後、どんな問題が待ち構えているのかなんていう、まだ私にはわからない世界に芽那たちは一足先に飛び込んだということなのだろう。
「まあ、これは二人の問題だからさ。きっと二人で乗り越えなきゃいけないんだ。だから話してどうなるってもんでもないんだけど」
「ごめん、芽那、私、役に立つこと何も言えなくて……」
芽那にとって私はきっと相談相手として頼りなくて、それをふがいなく思った。
「聞いてくれるだけも十分嬉しいよ。話してすっきりしたしね。それより陽葉瑠はどうなの。神様とはどうなった?」
「う、うん、お仕えしているよ」
芽那が腕を回して、私の肩を抱いた。
「ひどいことされてない? 無茶な命令されたりとか」
「そんなことはないよ。優しい神様だもの。でも……」
「うん?」
「私、神様のこと好きなの、結構本気で」
「……そっか。まあ、前のお姿のときからかなり肩入れしてたもんね」
「うん。でも、神様がなかなか信じてくれなくて」
芽那がまじまじと私を見つめた。
「陽葉瑠、自分から行ってる?」
「え? 何が」
芽那は呆れたように溜息を吐いた。
「陽葉瑠のことだから受け身なんでしょ。自分から行くのも大事だよ」
「じ、自分から……」
そんなこと考えたこともなかった。
「きっと誰だって嬉しいと思うよ、求められたら」
芽那があまりに自然にそう言うので、なんだかすっと言葉が胸に入った。
「そう、か。そうだね」
「そうそう」
宴の席のほうを振り返った。辰様はもう席にはいない。帰ったのだろうか。私に何も言わずに?
風名さんの姿も見当たらない。
胸の奥がきゅっと痛くなった。
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