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第十一話 夜魔を消す力
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「どうすれば先生を助けられますか……!」
「……陽葉瑠」
先生はうっすらと目をあけて、私を見ていた。
「先生!」
「あまり……時間はない。簡潔に説明するから……」
「はい、どうすればいいですか」
先生は目を閉じた。
「陽葉瑠の血を……飲ませてくれ」
「わかりました、血ですね」
どうして私の血なのか。理由なんてわからない。でも、今は一刻を争う。私は貫頭衣の下から小刀を取り出す。
「夜魔は水と錫を嫌う。紅飛斗を嫌う」
先生はどこか虚ろな顔で解説している。意識が混濁しているのかもしれない。
「そして、神産みの箱から産まれた神を嫌う。これらは夜魔を消滅させる存在だからだ」
指の皮膚を切って、したたる血を先生の口に流し込んだ。顔に腕をかざしたとき、先生の頬や額にも血が散ったが、そんなことには構っていられない。
先生は喉を鳴らして私の血を飲み下すと、血で汚れた唇を薄く開けた。
「神の血肉をその身に授かったものは、力を授かる……そういう言い伝えだ……血肉とは……血や体液、あと唾液もそうか……」
目つきがどこかぼんやりしている。
「力は血肉に宿る……陽葉瑠が神様から力を授かったのと同じように……俺も陽葉瑠の血から夜魔を消す力を授かるよう願おう。もう、それしか……。ああ、もう来たのか……これが……こんなにも……嫉妬には救いがないな」
そこで先生は再び意識を失った。
「先生!」
血を飲ませたけれど、これだけで本当に良いのだろうか。効き目はあるのか、どれぐらいで効くのか。全然わからない。今は先生の体が消えていないことだけが希望の光だ。
ほかに何かできることはないだろうか。わからない。何も思いつかない。
「先生、消えないで」
涙が頬をつたった。涙を拭いていたら、さっき先生が体液と言っていたことを思い出した。神様の体液を私が授かったから、力を授かったと。あれは、どういう意味だろう。体液なんて授かった記憶はない……。いや、もしかしたら口づけのときの唾液のことだろうか。そういえば先生も唾液がどうとか言っていた。涙をぬぐって、もしやこれも体液かと気づいた。
もう何でもいいから試してみたい気持ちだった。
涙を人差し指でぬぐって、先生の口に入れてみた。特に先生に反応はない。涙は違うのだろうか。
次は唾液だ。
留園先生に口づけするなんて正直抵抗はあるが、命がかかっているのだ、嫌がっている場合ではない。
そう覚悟を決めて、先生に唇を合わせようとしたとき。
「心配になって後を追ったら、こんなものを見ることになるなんて思いもしませんでした」
「辰様!?」
優美な顔をした武神のような神様が、冷笑を浮かべて森の中に立っていた。
私は息をのんだ。まるで待ち構えていたかのように、森のあちこちから夜魔があらわれたのだ。囲まれている。数え切れないぐらいたくさんいる。しかも大型だ。夜魔は大きければ大きいほど力が強いのだという。熊の形、鹿の形、狼の形もいる。それらがじりじりと迫ってきている。
「こんなときに……!」
恐怖で身がすくんでしまっている。こんな私に戦えるだろうか。いや、戦わねば。私も紅飛斗になるのだ。神様と先生を守らないと!
震える手で杖を掴み、立ち上がった。
私の戦意に応えるように、一匹の狼型の夜魔が向かってきた。私も夜魔のほうへ数歩駆け寄り、杖の先端を向けて、攻撃圏内に狼が入るのを待つ。
相手は夜魔。体に触れられたら終わりだ。
だから、必ず最初の一撃で仕留めなければ命はない。
だが、もし狼型を倒せても、その隙にほかの夜魔に襲われたらそこまでだ……。
猿の夜魔たちが襲撃の機会を窺って、大地に手をついて腰を低くしたのを視界のすみで捉えた。猪も頭を下げて、突進する姿勢に入っている。私が狼と戦っている最中に襲いかかってくるつもりなのだろう。
これは厳しいかもしれない……。絶望的な気持ちのまま、杖を強く握る。
そのとき、
「陽葉瑠」
辰様が背後から私を抱きしめた。
「どうやら私という存在が夜魔たちを呼び集めてしまったようですから、私が始末をつけましょう」
辰様は片手を上げ、ゆっくりと振り下ろした。その手の動きからは何の気負いも感じられない、けれど見惚れるほど優美な仕草だった。たちまち大粒の雨が降ってきた。いや、雨じゃない。光の粒だ。無数の蛍が天から降ってくるような光景だった。
視界が光の落下でいっぱいになる。まばゆさに目を細めた。
夜魔たちは光の雨に貫かれて、逃げる間もなく一瞬で消失した。
「すごい……あんなにたくさんいた大きな夜魔たちが一瞬で……」
なんという強大な力だろうか。これが神様の力なのか。圧倒的な力を目の当たりにして、背筋がぞくりとした。正直、少し怖いと思った。でも、その力に村は助けてもらっているのだ。これほど頼もしく、心強いこともないだろう。光の雨は私にも当たったが、何も感じなかった。きっと人間には無害なのだ。
「辰様ありがとうございます……そうだ、留園先生が! 辰様!」
私は神様にすがりついた。
「先生が夜魔に侵されてしまったのです。救うにはどうしたらいいかご存じありませんか」
必死な思いで伝えたけれど、辰様はそれには答えず、留園先生のそばまでゆっくりと歩いていき、顔を覗き込んだ。
「またこの男ですか」
その声の冷たさにぞっとする。
「救う必要などないのではありませんか」
「そんな……!」
私は地面に膝をつき、額を擦り付けて神様に懇願した。
「どうかお助けください! お願いします」
「可愛い陽葉瑠の願いなら、何だって叶えてあげたいのですけれど……」
辰様は困ったように笑った。
「でも、陽葉瑠を惑わす者は殺しておきたいのですよ」
「殺す……」
優しい神様からそんな言葉が出たことが信じられない。聞き間違いじゃないのか、本当にそんなことを辰様が言うはずがない……。
信じられない思いで見上げる私を見下ろして、悲しげに目を伏せた。
「ごめんなさい、陽葉瑠。私はとても嫉妬深い神なのです。あなたを私から奪うものは全て排除したいのです」
辰様は先生のそばにかがみ込むと、喉に手をかけた。
「やめて……やめてください……」
首を絞められて、先生の顔が赤くなっていく。
先生が殺されるなんて嫌だ。
辰様が手を汚すのも見たくはない。
こんなのは、絶対にどうあっても許すわけにはいかない!
「やめて!」
「……っ」
辰様は弾かれたように手を離し、私を睨んだ。神様がこんな目で私を見るだなんて。悲しくて喉の奥がぎゅっと痛んだ。
「血の制約……私はあなたに逆らえません。この男を殺すことをあなたが拒絶するのなら、私にはどうにもできない……」
ああ良かったと安堵する。しかし、神様の冷たい緑の瞳には暗い焔が宿っているのを見て悟り、まだ危機は去っていないとわかった。
「陽葉瑠はそんなにもこの男を生かしておきたいのですね。よほどこの男が好きなのですね」
「好きとかじゃ……!」
「男を殺せない以上、陽葉瑠がほかの男のところに行かないようにするためには、別の方法を取るしかないのでしょうね」
辰様は悲しげに笑った。どこか投げやりなものを感じさせる歪んだ笑みだった。
「ねえ、陽葉瑠。私だけのものになってくれますか」
「……陽葉瑠」
先生はうっすらと目をあけて、私を見ていた。
「先生!」
「あまり……時間はない。簡潔に説明するから……」
「はい、どうすればいいですか」
先生は目を閉じた。
「陽葉瑠の血を……飲ませてくれ」
「わかりました、血ですね」
どうして私の血なのか。理由なんてわからない。でも、今は一刻を争う。私は貫頭衣の下から小刀を取り出す。
「夜魔は水と錫を嫌う。紅飛斗を嫌う」
先生はどこか虚ろな顔で解説している。意識が混濁しているのかもしれない。
「そして、神産みの箱から産まれた神を嫌う。これらは夜魔を消滅させる存在だからだ」
指の皮膚を切って、したたる血を先生の口に流し込んだ。顔に腕をかざしたとき、先生の頬や額にも血が散ったが、そんなことには構っていられない。
先生は喉を鳴らして私の血を飲み下すと、血で汚れた唇を薄く開けた。
「神の血肉をその身に授かったものは、力を授かる……そういう言い伝えだ……血肉とは……血や体液、あと唾液もそうか……」
目つきがどこかぼんやりしている。
「力は血肉に宿る……陽葉瑠が神様から力を授かったのと同じように……俺も陽葉瑠の血から夜魔を消す力を授かるよう願おう。もう、それしか……。ああ、もう来たのか……これが……こんなにも……嫉妬には救いがないな」
そこで先生は再び意識を失った。
「先生!」
血を飲ませたけれど、これだけで本当に良いのだろうか。効き目はあるのか、どれぐらいで効くのか。全然わからない。今は先生の体が消えていないことだけが希望の光だ。
ほかに何かできることはないだろうか。わからない。何も思いつかない。
「先生、消えないで」
涙が頬をつたった。涙を拭いていたら、さっき先生が体液と言っていたことを思い出した。神様の体液を私が授かったから、力を授かったと。あれは、どういう意味だろう。体液なんて授かった記憶はない……。いや、もしかしたら口づけのときの唾液のことだろうか。そういえば先生も唾液がどうとか言っていた。涙をぬぐって、もしやこれも体液かと気づいた。
もう何でもいいから試してみたい気持ちだった。
涙を人差し指でぬぐって、先生の口に入れてみた。特に先生に反応はない。涙は違うのだろうか。
次は唾液だ。
留園先生に口づけするなんて正直抵抗はあるが、命がかかっているのだ、嫌がっている場合ではない。
そう覚悟を決めて、先生に唇を合わせようとしたとき。
「心配になって後を追ったら、こんなものを見ることになるなんて思いもしませんでした」
「辰様!?」
優美な顔をした武神のような神様が、冷笑を浮かべて森の中に立っていた。
私は息をのんだ。まるで待ち構えていたかのように、森のあちこちから夜魔があらわれたのだ。囲まれている。数え切れないぐらいたくさんいる。しかも大型だ。夜魔は大きければ大きいほど力が強いのだという。熊の形、鹿の形、狼の形もいる。それらがじりじりと迫ってきている。
「こんなときに……!」
恐怖で身がすくんでしまっている。こんな私に戦えるだろうか。いや、戦わねば。私も紅飛斗になるのだ。神様と先生を守らないと!
震える手で杖を掴み、立ち上がった。
私の戦意に応えるように、一匹の狼型の夜魔が向かってきた。私も夜魔のほうへ数歩駆け寄り、杖の先端を向けて、攻撃圏内に狼が入るのを待つ。
相手は夜魔。体に触れられたら終わりだ。
だから、必ず最初の一撃で仕留めなければ命はない。
だが、もし狼型を倒せても、その隙にほかの夜魔に襲われたらそこまでだ……。
猿の夜魔たちが襲撃の機会を窺って、大地に手をついて腰を低くしたのを視界のすみで捉えた。猪も頭を下げて、突進する姿勢に入っている。私が狼と戦っている最中に襲いかかってくるつもりなのだろう。
これは厳しいかもしれない……。絶望的な気持ちのまま、杖を強く握る。
そのとき、
「陽葉瑠」
辰様が背後から私を抱きしめた。
「どうやら私という存在が夜魔たちを呼び集めてしまったようですから、私が始末をつけましょう」
辰様は片手を上げ、ゆっくりと振り下ろした。その手の動きからは何の気負いも感じられない、けれど見惚れるほど優美な仕草だった。たちまち大粒の雨が降ってきた。いや、雨じゃない。光の粒だ。無数の蛍が天から降ってくるような光景だった。
視界が光の落下でいっぱいになる。まばゆさに目を細めた。
夜魔たちは光の雨に貫かれて、逃げる間もなく一瞬で消失した。
「すごい……あんなにたくさんいた大きな夜魔たちが一瞬で……」
なんという強大な力だろうか。これが神様の力なのか。圧倒的な力を目の当たりにして、背筋がぞくりとした。正直、少し怖いと思った。でも、その力に村は助けてもらっているのだ。これほど頼もしく、心強いこともないだろう。光の雨は私にも当たったが、何も感じなかった。きっと人間には無害なのだ。
「辰様ありがとうございます……そうだ、留園先生が! 辰様!」
私は神様にすがりついた。
「先生が夜魔に侵されてしまったのです。救うにはどうしたらいいかご存じありませんか」
必死な思いで伝えたけれど、辰様はそれには答えず、留園先生のそばまでゆっくりと歩いていき、顔を覗き込んだ。
「またこの男ですか」
その声の冷たさにぞっとする。
「救う必要などないのではありませんか」
「そんな……!」
私は地面に膝をつき、額を擦り付けて神様に懇願した。
「どうかお助けください! お願いします」
「可愛い陽葉瑠の願いなら、何だって叶えてあげたいのですけれど……」
辰様は困ったように笑った。
「でも、陽葉瑠を惑わす者は殺しておきたいのですよ」
「殺す……」
優しい神様からそんな言葉が出たことが信じられない。聞き間違いじゃないのか、本当にそんなことを辰様が言うはずがない……。
信じられない思いで見上げる私を見下ろして、悲しげに目を伏せた。
「ごめんなさい、陽葉瑠。私はとても嫉妬深い神なのです。あなたを私から奪うものは全て排除したいのです」
辰様は先生のそばにかがみ込むと、喉に手をかけた。
「やめて……やめてください……」
首を絞められて、先生の顔が赤くなっていく。
先生が殺されるなんて嫌だ。
辰様が手を汚すのも見たくはない。
こんなのは、絶対にどうあっても許すわけにはいかない!
「やめて!」
「……っ」
辰様は弾かれたように手を離し、私を睨んだ。神様がこんな目で私を見るだなんて。悲しくて喉の奥がぎゅっと痛んだ。
「血の制約……私はあなたに逆らえません。この男を殺すことをあなたが拒絶するのなら、私にはどうにもできない……」
ああ良かったと安堵する。しかし、神様の冷たい緑の瞳には暗い焔が宿っているのを見て悟り、まだ危機は去っていないとわかった。
「陽葉瑠はそんなにもこの男を生かしておきたいのですね。よほどこの男が好きなのですね」
「好きとかじゃ……!」
「男を殺せない以上、陽葉瑠がほかの男のところに行かないようにするためには、別の方法を取るしかないのでしょうね」
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