【完結】神産みの箱 ~私が愛した神様は

ゴオルド

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第八話 雨の天人廟

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「留園先生、ごめんなさい。私ちょっと行ってきます」
「何? 午後の授業は」
「本当にごめんなさい!」
 お餅を先生に押し付けて、雨の中、私は神様のあとを追った。


 神様は家に戻るのだろうと思ったら、予想外に道をそれて、天人廟てんじんびょうへと入っていった。

 天人廟は、海側の村外れにあり、檜材でつくられた頑丈な建物だ。壁の上部には採光窓があって風が吹き込むから、冬は寒いが、夏は涼しい。一般的な民家と基本的な造りは同じだが、向拝という屋根の前面がせりだした部分があるところと、基礎部分に盛られた土台が高いこと、壁は敷物も壁掛けも何もなくて寒々しいところが、ここは人の住む建物ではないことを示していた。
 私は持っていた傘を向拝の真下の壁に立てかけて、戸の前に立った。
 この天人廟は、大昔には礼拝施設として使われていたらしい。今は全く使われていないが、保全しないわけにもいかないということで、劣化するたびに何度も建て替えながら、代々の紅飛斗が守り続けている。

 ここは紅飛斗にとって大事な伝説のある場所なのだ。

 数百年前、村に二人の天女が舞い降りた。天女は紅色の羽衣をまとっており、とても美しかったという。天女たちは村で暮らすようになった。一人の天女は村の男と恋に落ち、もう一人の天女はそれを祝福した。
 ある日、村を夜魔が襲った。とても強い力を持った、おそろしい夜魔だ。それはかつての天女。愛する男がもう一人の天女と浮気をしていることを知って、嫉妬のあまり夜魔になってしまった天女のなれの果てだった。
 夜魔は天女と男を殺し、村人を皆殺しにしようとした。村の人々は、救いを求めてこの天人廟で青帝せいていという天界の神様に祈りを捧げた。すると神産みの箱を村に授けてくださったのだという。
 箱から産まれた神様は、夜魔を退け、村を守ってくださった。そんな神様と一緒に戦うようになった村人こそが、紅飛斗の始まりだ。
 それ以来、この村は神産みの箱を大事に守るようになった。毎年髪や爪、大昔には血も捧げて、神様を産み出し、村に喜びごとを運んでもらうのだ。紅飛斗は夜魔を討ち、神様に仕え、村を守るようになった。このような伝説が残されている。
 ここは天への祈りの届く場所。少なくとも昔は届いた場所なのだ。
 そんな場所に、なぜ辰様が入っていったのかはわからないけれど。
「辰様? こちらにいらっしゃいますか」
 声を掛けてみたが、返事はない。戸に手を掛けたところで、礼儀を思い出し、慌てて手を離した。私も紅飛斗……の卵なのだから、天人廟に入る作法というものがある。一歩下がり、天人廟に向かって一礼してから、そっと引き戸をあけた。
 中はがらんとしていた。家具も敷物も何もない。雨のせいだろう、窓から差し込む光は弱く、薄暗かった。

 板敷きの天人廟に立っていた辰様は、驚いたように振り返った。その動きに合わせて、水滴が宙を舞った。
「陽葉瑠、どうしてここに」
「辰様を追いかけてきたのです」
 中に入り、静かに戸をしめた。天人廟の中に足を踏み入れると、ひんやりとした空気に包まれた。採光窓から雨粒が入り込むようで、壁の上部が濡れていた。

「辰様こそ、どうしてここへいらっしゃったのですか」
「ここは……落ち着くので」

 服の端からぽたぽたと水滴が床に落ちている。辰様は顔も濡れたままだ。私は腰に巻いていた湯巻きを帯がずれないよう慎重に解いて、顔の水滴をぬぐう。
「こんなもので失礼します。でも、このままにしておいたら風邪を引いてしまいますから」
「風邪は引かないと思います。なぜかというと神ですので……」
 そうはいっても、びしょびしょのままにしておけない。湯巻きを髪や肩に当てて、水気を吸い取っていく。
 神様の顔を覗き込む。泣いてはいないようだが、どうも元気がない。

「先ほど、お餅が降ってきました。喜びごとを運んでくださったのですね」
「はい……」
「ありがとうございます。みんな喜んでいました」
「そうですか……」
 どうも雰囲気がぐにゃりとしている。

「あの、どうしてお餅が降らせてくださったのですか」
「はい……。この村の人たちは穀物を育てないと聞きました。だから穀物を贈るのが良いかなと思ったのです。でも麦や米をそのまま降らせたら、拾うのが大変でしょう。ですので餅にしました」
「そうでしたか。たくさんお心配りいただいた結果だったのですね」
 辰様は目を伏せた。その目に、じわっと涙が盛り上がる。
「いいえ、私にはそんなふうに言ってもらえる資格はありません。私はよこしまなことを考えていたのです」
「どういうことでしょう」
「陽葉瑠を喜ばせることができたら、私を好きになってくれるかもしれないと期待して、それで喜びごとを運んだのです。私は村のことを一番に考えなくてはいけませんのに、自分の欲望を優先したのです。よこしまな考えです。だから、罰が当たったのだと思うのです」
 神様に罰が当たることなんてあるんだろうか。神様に罰を当てる人って誰だろう。別の神様?
 いや、それよりも。
「好きになってくれるって、そんな、私は神様のことが好きですよ」
 それは本当だ。ナマコ姿のころから私はこの神様のことが好きなのだ。

「そうでしょうか」
 辰様は苦しげな顔をして私を見つめてきた。
「本当にそうでしょうか」
 辰様の冷たい指先が私の頬にそっと触れた。

「私がとても醜かったころ、陽葉瑠は本当に優しくしてくれました。とても大事に思ってくれていた。みてくれに惑わされることのないあなたを私は愛した。でも……陽葉瑠は私を愛しているわけではないのでしょう」

 頬を撫でる手を引っ込める。

「お餅を拾っているとき、陽葉瑠は大人の男の人と一緒にいて、幸せそうでした。私といるときには決して見せない顔をしていました。陽葉瑠はあの男の人に恋をしていると悟ったのです。それが身勝手な私への罰だと思うのです」

「そんな! 誤解だと思います。一緒にいた男の人というのは、きっと留園先生のことですよね。先生とは幼い頃からの顔見知りです。親しいといえば親しいですが、友人や幼馴染みのようなもので、だから恋とかそういうのではないです」

 涙が一粒こぼれ落ちた。

「では、私は諦めなくても良いのでしょうか」
 ぽつりと呟く。
「迷いが生まれたのです。陽葉瑠を娶るなどと勝手に決めてしまいましたが、愛しているのなら、いえ、愛しているからこそ陽葉瑠が好きな人間のところに行くのを祝ってあげるべきなのではないかと」

 もう一粒、涙が落ちた。私はわけのわからない衝動に駆られて、辰様の頭を引き寄せて、おでこに口づけした。私はこの神様が悲しんでいると、どうにかしてやりたい気持ちでいっぱいになってしまうのだ。

 辰様は涙で濡れた碧色の瞳をきらめかせた。
「私を男として愛してくれますか、陽葉瑠」
 男として、という言葉にぎくりとする。私の欺瞞を暴かれたような気持ちになる。

 唇が近づいてきて、私の唇に触れた。そっと食むように重ね合わせる。
 嫌だとは思わなかった。けれど、ときめくこともない。罪悪感で胸が重くなった。

「本当に良いのですね。後戻りはできない……そんなものは許さない。それでも本当にいいのですね」

 深くなる口づけを受け入れる。辰様の唇は冷たいのに、絡みつく舌はとても熱くて、それが思いの強さのあらわれのようで痛くて苦しい。

「愛しています、陽葉瑠……この想いが伝わらなくてもいい……ただ愛することを許してください……」
 胸の奥に重いものがわだかまる。
 好きであることは本当なのに。どうしてこんなに切ないのだろう。


 その後、手をつないで天人廟を出た。痛いくらい強く握られて、でも、振り払うことなんてできなかった。私は紅飛斗になるのだから。神に仕える家のものなのだから。きっとこれでいいのだろうと思う。私が手を握り返そうとして指先を曲げたことに辰様は気づいただろうか。

 入り口に立てかけていた大傘は辰様が持って、私のほうにかざしてくれた。私としては辰様がこれ以上雨に打たれてしまわないようご自分の頭上に傘を持ってほしかったけれど、自分は濡れても平気ですからと辰様は言うのだった。

 帰宅すると、母もお餅を拾っていたようで、台所の隅に置かれた壺にお餅がたっぷり入っていた。夕飯には小豆とお餅を柏の葉に包んで蒸したものを鰹汁と一緒に出すことになり、私も調理を手伝った。

 ところが神様は、
「私には食べる資格がないと思うのです」などと遠慮する。辰様が食べてくれないと、私どもも食べることはできませんと説得したけれど、それでも遠慮されてしまう。

 その夜、私は神様とお膳を並べて、夕食を一緒にいただくことになった。さすがにこれなら拒否できないだろう。思ったとおり、神様は料理に手をつけてくれた。

「お餅、美味しいですね」
 私がそう言うと、辰様は目を伏せたまま頷いた。長いまつげが影を落としている。どことなく雰囲気がぐにょりとしていた。まだ元気が出ないようだ。落ち込みやすくて、立ち直るのに時間のかかるところは、以前と変わらないのかもしれない。そう思うと、少し安堵した。安堵することによって、私の心にはまだ怖いという気持ちが残っていることに気づかされた。
 もう自分でも自分の心がよくわからない。
 辰様のことが怖くて、好きで、可哀想で、口づけしても嫌じゃない、それどころか何も感じない。それが悲しくもあった。辰様に対して不誠実なことをしているようで胸が苦しい。いろんな感情が自分の中にあり、ごちゃごちゃとして整理がつかなかった。
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