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第六話 留園先生
しおりを挟む 翌朝、斗子梨の根を持って子葉に行くと、ほかの子は休みで、留園先生しかいなかった。
「先生、おはようございます。あの、みんなは……?」
「ほかの子葉生たちは、紅飛斗たちと一緒に夜魔退治に出ている」
「夜魔退治!」
息をのむ。実戦訓練が近いとは聞いていたけれど、こんなにすぐとは思っていなかった。
「野営の実習も兼ねているから、数日は戻らないはずだ。陽葉瑠もはやく皆に追いついて、実戦に出られるようにならないといけないぞ」
「は、はいっ」
背筋を伸ばして返事した。
「ところで、根は持ってきたか」
私が差し出すと、先生は頷いた。
「では、まずは洗うところからだな。ついてきなさい」
調理場に行き、瓶の水を使って根を洗うことになった。小袖の袖を紐で縛り、水に手を突っ込む。少しぬるい。表面の土はすぐ取れたが、根のねじれたところに入り込んだ土がなかなかとれない。
「多少は汚れが残っていても気にするな。適当でいい」と、先生は言った。
それがちょっと意外で、思わず先生を見上げてしまった。
「どうした」
「いえ、留園先生らしくないなあと思ったんです」
先生はまじめ一本の堅物と言われている。遅刻もしないし、鍛錬を怠けたりもしない。不謹慎な冗談だって言わない人だ。その上、それを他人にも求める。身だしなみもきっちりしていた。短く切りそろえた黒髪に寝癖がついているところなんて見たことがないし、着物だってのりが効いている。切れ長の目は鋭く、口元もしっかり閉じていて、ぽかんとあけたままぼんやりしたりなどしない。
こういうところが一部の人から敬遠される原因にもなっているのだが、先生としてはぴったりだ。
そんな先生だから、きれいに土を落とすべきだと言うと思ったのだ。
「堅物といわれる俺が、適当と言うのはおかしいか」
「え、えっと……」
何とも返事がしづらい。
「洗うのは適当でいい、そう秘伝書に書いてある。だから、土が残ってもいいんだ」
秘伝書に忠実ということである。留園先生はやっぱりまじめなのだった。
洗い終わったら、今度は蒸すことになった。
土鍋に水をはって、長い高台のついた皿を設置し、根を乗せてふたをした。かまどに火をつけ、あとは蒸し上がるのを待つばかりだ。
手持ち無沙汰になってしまった。先生に何か話しかけようかと思ったときだった。
「陽葉瑠」
先生のほうから話しかけてきた。
「神様のことだが、面倒なことになったな」
「面倒って、留園先生がそんなことを言うなんて驚きです」
むしろ神様に関することで誰かが面倒だなんて言ったら叱る側の人なのに。先生は切れ長の瞳をきゅっと細めて睨んできた。
「さっきから……。俺に何か妙な印象を持ちすぎじゃないか」
「そうですか? でも留園お兄ちゃんのころから、こう、まじめ一筋! いかなる不正も悪口も許さない! みたいな感じだったでしょう。だから、つい。それに、おままごとのときだって、お父さん役の子が育児放棄したら先生は怒ったでしょう。その印象が強くて」
「……覚えていないが……俺はおままごとなんかやったか?」
「やりましたよ」
その当時は私たちが六歳ぐらいで、留園先生は十二歳ぐらいだっただろうか。子どもの遊びにつきあってくれるお兄ちゃんだったのだ。
「みんなのお兄ちゃんだったんです。それが今度はみんなの先生になって、ぴったりといいますか、こんな適任もいないといいますか」
先生は溜息をついた。
「俺としては種砂の先生になりたかったんだがな」
種砂のほうが小さい子を相手にする。大変そうだと思うのだが、その分やりがいもあるのかもしれない。
「しかし、俺は紅飛斗だから、子葉のほうに回された」
「へえ……」
そんな事情があったなんて。
「でも、どうして種砂の先生になりたかったんですか」
私がそう尋ねると、先生はふだんに輪をかけてまじめな顔になった。
「いいか、陽葉瑠」
「は、はい?」
「夜魔が襲ってくるこの村にあっては、紅飛斗だけが知識を学んで、鍛錬をすればよいというものではない。一般の村人ももっと知識をつけて、戦えるようになるべきなのだ。そのためには幼少時からの教育が大事で……」
そこから話の長いこと長いこと。
「……したがって、もしも陽葉瑠が小さな子どもと接する機会があったら、紅飛斗としての知識を惜しむことなく授けて……」
長すぎる。
「……種砂で学ぶ護身術はあまり役に立たない。もっと実践的な体さばきを段階的に幼い頃から経験することによって……」
「せ、先生、根が蒸し上がりました! 次はどうしたらいいでしょうか」
「……そうか、では、次は乾燥作業だ。乾燥させてから壺の中で焼く。子葉でやるのはそこまでだ。そこから先は長の仕事だからな」
話が中断できて、ほっとした。
多分先生は放っておいたらずっと教育論を語っていると思う。
その後、砂浜のすみっこに斗根梨の根を干して、午前の授業は終わった。
「先生、おはようございます。あの、みんなは……?」
「ほかの子葉生たちは、紅飛斗たちと一緒に夜魔退治に出ている」
「夜魔退治!」
息をのむ。実戦訓練が近いとは聞いていたけれど、こんなにすぐとは思っていなかった。
「野営の実習も兼ねているから、数日は戻らないはずだ。陽葉瑠もはやく皆に追いついて、実戦に出られるようにならないといけないぞ」
「は、はいっ」
背筋を伸ばして返事した。
「ところで、根は持ってきたか」
私が差し出すと、先生は頷いた。
「では、まずは洗うところからだな。ついてきなさい」
調理場に行き、瓶の水を使って根を洗うことになった。小袖の袖を紐で縛り、水に手を突っ込む。少しぬるい。表面の土はすぐ取れたが、根のねじれたところに入り込んだ土がなかなかとれない。
「多少は汚れが残っていても気にするな。適当でいい」と、先生は言った。
それがちょっと意外で、思わず先生を見上げてしまった。
「どうした」
「いえ、留園先生らしくないなあと思ったんです」
先生はまじめ一本の堅物と言われている。遅刻もしないし、鍛錬を怠けたりもしない。不謹慎な冗談だって言わない人だ。その上、それを他人にも求める。身だしなみもきっちりしていた。短く切りそろえた黒髪に寝癖がついているところなんて見たことがないし、着物だってのりが効いている。切れ長の目は鋭く、口元もしっかり閉じていて、ぽかんとあけたままぼんやりしたりなどしない。
こういうところが一部の人から敬遠される原因にもなっているのだが、先生としてはぴったりだ。
そんな先生だから、きれいに土を落とすべきだと言うと思ったのだ。
「堅物といわれる俺が、適当と言うのはおかしいか」
「え、えっと……」
何とも返事がしづらい。
「洗うのは適当でいい、そう秘伝書に書いてある。だから、土が残ってもいいんだ」
秘伝書に忠実ということである。留園先生はやっぱりまじめなのだった。
洗い終わったら、今度は蒸すことになった。
土鍋に水をはって、長い高台のついた皿を設置し、根を乗せてふたをした。かまどに火をつけ、あとは蒸し上がるのを待つばかりだ。
手持ち無沙汰になってしまった。先生に何か話しかけようかと思ったときだった。
「陽葉瑠」
先生のほうから話しかけてきた。
「神様のことだが、面倒なことになったな」
「面倒って、留園先生がそんなことを言うなんて驚きです」
むしろ神様に関することで誰かが面倒だなんて言ったら叱る側の人なのに。先生は切れ長の瞳をきゅっと細めて睨んできた。
「さっきから……。俺に何か妙な印象を持ちすぎじゃないか」
「そうですか? でも留園お兄ちゃんのころから、こう、まじめ一筋! いかなる不正も悪口も許さない! みたいな感じだったでしょう。だから、つい。それに、おままごとのときだって、お父さん役の子が育児放棄したら先生は怒ったでしょう。その印象が強くて」
「……覚えていないが……俺はおままごとなんかやったか?」
「やりましたよ」
その当時は私たちが六歳ぐらいで、留園先生は十二歳ぐらいだっただろうか。子どもの遊びにつきあってくれるお兄ちゃんだったのだ。
「みんなのお兄ちゃんだったんです。それが今度はみんなの先生になって、ぴったりといいますか、こんな適任もいないといいますか」
先生は溜息をついた。
「俺としては種砂の先生になりたかったんだがな」
種砂のほうが小さい子を相手にする。大変そうだと思うのだが、その分やりがいもあるのかもしれない。
「しかし、俺は紅飛斗だから、子葉のほうに回された」
「へえ……」
そんな事情があったなんて。
「でも、どうして種砂の先生になりたかったんですか」
私がそう尋ねると、先生はふだんに輪をかけてまじめな顔になった。
「いいか、陽葉瑠」
「は、はい?」
「夜魔が襲ってくるこの村にあっては、紅飛斗だけが知識を学んで、鍛錬をすればよいというものではない。一般の村人ももっと知識をつけて、戦えるようになるべきなのだ。そのためには幼少時からの教育が大事で……」
そこから話の長いこと長いこと。
「……したがって、もしも陽葉瑠が小さな子どもと接する機会があったら、紅飛斗としての知識を惜しむことなく授けて……」
長すぎる。
「……種砂で学ぶ護身術はあまり役に立たない。もっと実践的な体さばきを段階的に幼い頃から経験することによって……」
「せ、先生、根が蒸し上がりました! 次はどうしたらいいでしょうか」
「……そうか、では、次は乾燥作業だ。乾燥させてから壺の中で焼く。子葉でやるのはそこまでだ。そこから先は長の仕事だからな」
話が中断できて、ほっとした。
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