【完結】神産みの箱 ~私が愛した神様は

ゴオルド

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第一話 求婚

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 辰様が初めての喜びごとを村に運んでくださってから数日後。

 朝、子葉へと向かっていたら、広場に続く道で村長とばったり会った。
 私が頭を下げて挨拶すると、村長はご自分の丸い頭を撫でながら、
「きょうは晴れて良かったですね。ああ、ひょっとすると梅雨が明けたのかもしれません。いや、わかんないですけどね」
 などと適当なことを言って笑った。村長さんは相変わらずだ。将来私が紅飛斗として働くようになったら、この方が一番上の上司ということになると思うと、どう返事をするのがいいのか、なんとも困ってしまう。
(村長さんはゆるい感じの方だから……でも紅飛斗長としてのお役目のときは人が変わったように厳しくなることもあると聞く)
 働くのが楽しみでもあり、ちょっと怖くもあった。

 村長と別れ、子葉へと向かう道を歩いた。
 梅雨が明けたかもしれないと言われたせいだろうか。日差しがいつもより白く強く感じた。道ばたに生えた草は、春よりずっと色が濃くなっており、力強く葉先をぴんと張っている。空には白い雲が浮かび、風も今朝はからりとしている。
 初夏の予感に心が弾んだ。
 昨年の夏、神様はずっと引きこもっていたから、まだ夏の村を知らない。豊漁祭も出ていないし、夕浜の宴もしていないのだ。胡縷白うるはくの花だって見ていないだろう。今年はいろいろ連れていってあげたいと思う。喜んでくれたらいいな。神様が喜んでくれたら私も嬉しい。


 そんな浮かれた気分で子葉に入り、留園先生に挨拶した私は、緊急の知らせに一気に現実に引き戻された。
「村近くの山中に夜魔が出た。いつ村を襲いにきてもおかしくない状況だ」
 留園先生が重々しく告げたとき、全身の血が沸き立つような感覚に襲われた。
「急なことではあるが、貴重な実戦の機会だ。陽葉瑠、行けるな?」
「は、はい」
 ついに私も紅飛斗として戦うときが来た。緊張と不安で胸がどきどきして、息が浅くなる。
「今は朝だ。すぐに村を発てば、日暮れまでに討てるだろう。急いで身支度を整えてくるように。山側の通用門の防衛柵前で落ち合おう」
「はい!」
 返事をするなり、子葉を飛び出し、さっき来た道を駆け戻った。


 家に戻ると、湯巻きを外しながら廊下を走り、自室の壁にかけていた黒い貫頭衣を手に取った。きめの粗い麻織の戦装束だ。生地はかなり厚みがあり、裾には赤い糸で波の模様の刺繍がしてある。波が魔を寄せ付けないように、この衣が夜魔から守ってくれますようにと願が掛けてあるのだ。
 貫頭衣を小袖の上から被り、腰に赤い紐を結んだ。腕には魔除けの貝輪をはめ、はき慣れた鮫皮の靴を履く。
 身支度はこれでいい。

 あとは武器――すずの杖だ。

 部屋の隅に立てかけていた杖を、手に取った。
 持ち手部分は木でつくられており、先端に錫の玉がはめ込まれている。長さは両手を広げたぐらい、太さは掴んだときに人差し指と親指がちょうどつくぐらいに削ってある。
 紅飛斗である父が、用意してくれていたものだ。
 父は今不在だ。詳しくは知らないが紅飛斗の仕事で村から出ている。
 母も家にいなかった。買い物にでも行ったのかもしれない。

 ひとりで戦の支度を済ませると、私は杖を握りしめた。
「お父さん、お母さん、行ってきます」
 戦う覚悟はできている。紅飛斗になって村を守るんだと決めてからずっと。


 自室を出たら、ちょうど辰様がこちらにやってきているところだった。
「陽葉瑠、もう子葉から帰ってきたのですか」
「辰様! ええと、帰ってきたのですけれど、また出かけないといけないのです。行ってきます!」
 今は説明している時間が惜しい。何か言いたげな辰様を残して、私は家を飛び出した。


 待ち合わせ場所にはもう留園先生がいた。護衛柵の外に出て、山を睨んでいる。先生も私と同じ黒い貫頭衣を着て、杖を持っていた。これぞ紅飛斗という立ち姿だった。

 先生は駆けてくる私を見て、頷いた。
「よし、ちゃんと支度ができたようだな。夜魔は一体だけらしいから、きょうは二人で出る。陽葉瑠は初戦だから、見学でいい。夜魔はどういうものか、しっかり見て学ぶんだ」
「は、はいっ」
 見学だけと聞いて、残念なような気もしたが、肩から力が抜けたのも事実だった。


 留園先生のあとをついて、村を出た。
 草木の茂る明るい木立を通り抜け、山に近づくにつれ徐々に緑が深くなっていく。
 渋柿の生えているあたりを越えて、道が分かれる分岐点に到着した。隣村へ続く道の反対側の道を進むと、やがて川があらわれた。丸太を渡した橋を渡ったあたりで、昼前だというのに急に薄暗くなった。このあたりの木々は人間の胴より太い幹をして、見上げるほど背が高い。木が日光を遮っているのだ。

「夜魔が出るのはさらにこの先だが、油断するなよ。やつらは人間ほどの知能はないが、物陰に隠れて奇襲をしかけるぐらいの知恵はある」
「はい」
 両手でしっかりと杖を握りしめて、あたりを警戒しながら先生とともに歩く。
 笑む気配がした。
「もっと力を抜け。そんなに肩に力を入れていては、いざというときに実力が出せないぞ」
「は、はい」
「張り切りすぎて疲れてしまわないように、かといってゆるみきってしまわないように。力の抜きぐあいを覚えるんだ」
 深呼吸して、杖を握る手の力をゆるめてみた。
「それでいい」
 数歩先を歩いている先生は、振り返りもせずにそう言った。こちらが見えないのにどうしてわかるのかと問う前に先生が答える。
「息づかいで様子がわかる。いいか、夜魔退治に出るときは、仲間の呼吸に気を配れ。相手が言葉や身振りで合図をするより早く異変に気づけるし、自分も呼吸で合図を送れるようになる」

 まだ夜魔と戦っていないのに、大事なことを既に幾つも教わっている。全て覚えて血肉にしなければ。


 しばらく深い森を黙って歩いた。見上げれば、木々のてっぺんが遠く見えないぐらい背が高い。そのせいであたりは暗く、日が差さないせいで草も育たないから歩きやすくはあった。
 ここはもはや人間の住む世界ではない。緑深き夜魔の支配する異界だ。
 気を張りすぎて疲れないよう、気を抜きすぎて油断しないよう……自分に言い聞かせながら先生のあとを追う。

 ひときわ太い椎の木のそばを通りがかったとき、先生が鋭く息を吸った。
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