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お綱さん
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これは、福岡で本当にあった話です。
かつて福岡城には「お綱門」という門がありました。
その門は今はもう取り壊されてしまったのですが、お綱門に触ると呪われると言われており、福岡の人々から怖れられていました。
☆☆☆
1623年から1654年ごろのことです。
福岡藩二代藩主、黒田忠之は、大阪でとびきりイイ女と出会いました。あまりにもイイ女だったので別れがたく思い、福岡の城に連れて帰ることにしました。当時、忠之には妻がいたのですが、大名は第二夫人をおいても良いことになっていましたので、隠すことなく堂々と連れ帰りました。
さて、大阪の女を第二夫人にしようとした忠之でしたが、なんということでしょう、家老から反対されてしまいます。
「確かにイイ女ばってん、素性の知れん相手を城に迎えるっちゅうのは、いかがなもんでしょうか。やめたほうが良かっちゃないですか」
なるほど、確かにそうやね、と忠之は考えたのかどうかまではわかりませんが、大阪の女を妻にするのはやめて、なんと部下の浅野四郎左衛門にあげちゃうことにしました。
ええ~、大阪の女もショックよね。殿様の嫁になれるっていうんで、わざわざ九州までついてきたのに、知らん男に譲り渡されちゃうなんてあんまりじゃないでしょうか。
さすがはあの忠之です。江戸時代の三大お家騒動の一つ、黒田騒動を引き起こした問題人物なだけのことはあります。(ちなみに森鴎外が書いた『栗山大膳』も、このお家騒動が題材になっているそうですよ)
さて、大阪の女を押し付けられた浅野四郎左衛門ですが、大阪の女があまりにイイ女なものだから、すっかりメロメロになってしまいました。これはもう上司公認の浮気ということですね。大阪の女にとっては冷遇されるよりは良かったでしょうけれど、浅野の妻子はたまったものではありません。
「ちょっと、あなた! 大阪の女ばっかり贔屓せんでよ」
「なんやと! 俺は主君からお預かりしたお方を大事にしているだけやのに、文句を言うなんてつまらんやつめ。もうおまえの顔なんか見たくもなか。子供をつれて出ていけ!」
こうして、妻子は家を追い出されてしまいました。本当にひどい男です。
浅野と別居することになった妻――お綱さんは、たちまち困窮してしまいます。だって無一文で追い出された上に、生活費ももらえないのですから当然です。この時代ですからパートに出るわけにもいきませんし生活保護もありません。実家に帰ることができればよかったのですが、お綱さんには帰れる故郷もありませんでした。
明日はひな祭り。
家から持ち出した着物を売るなどしてお金をつくっていたお綱さんでしたが、食うのが精いっぱいで、ひな祭りの用意もできません。
幼い娘が不憫でなりませんでした。
そこで下働きの善作に、「ちょっと旦那のところに行って、お金をもらってきてくれんやろか」と頼みました。妻のために金を出さない男でも、娘のためなら出すだろうと期待してのことでした。
しかし、浅野は、非情にも善作を追い返してしまいました。
「妻子は絶縁ばい。ひな祭りの金なんかやるもんね」
「な、なんて勝手な男だ……」
善作は自分の仕える主の器の小ささに失望し、首をつって死んでしまいました。いやー! 善作死なないでー!
善作の死を知ったお綱さんは泣き崩れました。
「ああ、夫は本当に娘を捨てる気なんやわ。私ひとりでどうやってこの子を育てていけるというの。父に捨てられてしまったら、娘は飢え死にするしかないやない……」
絶望したお綱さんは、夜更け過ぎを待って、薙刀で我が子の首を切り落としました。深く眠っていることを確認してからひと思いに切りましたから、きっと苦しまずに逝けたことでしょう。
お綱さんは娘の首を抱きしめ、何度も謝りました。
「ごめんね、生かしてやれずにごめんね。母もすぐに後を追うけん許しておくれね。……でも、その前にやることがある」
お綱さんは、片手に娘の生首、もう片手には娘の血を吸った薙刀を持ち、家を出ました。
目指すは浅野宅。どうせ死ぬなら、夫も道連れにしてやろうとお綱さんは思ったのです。繰り返しますが実話です。薙刀を扱えるということは、お綱さんは武家の娘だったのでしょうか。
さて、かつて住んでいた家に侵入したお綱さんは、夫の寝込みを襲うつもりで寝室のふすまをそっと開けました。ところが寝室はもぬけの殻、布団さえ敷いておらず、大阪の女の姿も見えません。
お綱さんは知らなかったのですが、その夜、夫と女はたまたま出かけていたのでした。
呆然と立ち尽くすお綱さんに、家の者が声をかけました。
「これはこれは奥様、いや、前の奥様、一体どうされ……ひぃ!」
お綱さんが持っていた生首を見て、皆腰を抜かしてしまいました。見知らぬ生首でさえ十分すぎるほど恐ろしいというのに、その生首はかつてこの家で生まれたお子様のものなのです。これは尋常ではない。家の者は、慌てて用心棒を呼びました。
あらわれたのは明石彦五郎という浪人で、血のしたたる生首と薙刀を見るや、問答無用とばかりに斬りかかりました。
人を斬るのになれた浪人が相手ではとても勝ち目はなく、深く斬りつけられたお綱さんは屋敷から逃げ出すのが精いっぱいでした。
逃げ出したお綱さんは、暗い夜道を、お月様の明かりだけを頼りに歩きます。次に目指すは福岡城、黒田忠之の居城です。城までどれぐらいの距離があるのか……しかし、お綱さんにとって、そんなことは問題ではないのです。
斬られたところからは血がどんどん流れていきます。ですが、両手は生首と薙刀でふさがっていますから、手当はもちろんのこと傷口を押さえることさえできません。
流れる血もそのままに、お綱さんは歯を食いしばって福岡城に向かって歩き続けました。
痛みで足がとまってしまうたび、お綱さんはかすむ目で天守をにらみつけて、おのれを鼓舞します。
もとはといえば、黒田のお殿様が夫に女を押し付けたのがいけない。
夫を殺すことはできなかったけれど、ならば……。
「このまま死んでなるものか、それでは娘が浮かばれん」
お綱さんは、ふらつきながらもなんとか城門までたどり着いたのですが、とうとう薙刀を取り落とし、膝をついてしまいました。
「ここまでか……」
お綱さんは片手で娘の生首を胸にしっかりと抱き、もう片手を門にかけた姿で息絶えました。
この門を、「お綱門」と呼ぶようになり、触ると祟られると言われるようになりました。
のちに老朽化し、お綱門を取り壊さないといけなくなった時は、丁寧に供養をして、お寺で霊を祀るなどしたそうです。当時の福岡の偉い人々はかなり呪いを怖れていたようです。
なお、この浅野という夫ですが、周囲の者からヒソヒソヒソヒソ……随分と白い目で見られたという話です。浅野は、その後、病死したとかストレスで死んだとか、ざっくりとしたことしかわかりませんが、良い死に方はしていないという説があります。それもまたお綱さんの呪いなんだとか。
お綱さんを殺害した浪人も、何らかの罪をおかして処刑されたとか、いや浅野と同一人物だったんじゃないかとかいろいろ言われておりまして、はっきりしたことはわかっておりませんが、どちらにせよ不幸な死に方をした、という話が伝わっているようです。
本当のところはわかりません。その当時、何があったのか、今となっては知るすべがない。しかし浅野も浪人も不幸になってほしいと福岡の人々は願ったのではないかなと私は思います。だからこそ男たちは呪われて不幸になったというお話が福岡には残り続けたのではないでしょうか。
あと、このころに出されたとされている慶安の御触書(正確な年代等について真偽不明)によると、「百姓は分別がなく、先のことを考えないから、妻や子どもにおしげもなく米や雑穀を食べさせてしまう。食べ物を大事にしろ」などと書かれておりまして、この時代、えらい人より庶民のほうが妻子に優しかったのかもしれません。
そういう時代だから、余計にお綱さんが支持されたのかもしれませんね。
後にお綱さんは、「お綱大明神」となり、家庭円満や良縁を願う人々の信仰を集めました。その一方で、お綱門跡地の石を拾って嫌いな相手に持たせることで、相手を病気にしたり、不幸な目に遭わせたりすることができるという呪いの側面もあわせ持つようにもなりました。
また、お綱さんを供養したお寺「長宮院」は男女の縁切りで有名だったとも言われておりまして、家庭円満なのか縁切りなのか、そこにもまた二面性があるなあと思います。福岡市博物館のサイトの説明には、「お綱の霊は長宮院に男女の性愛を呪詛するお綱大明神として祀られました。」と書かれてあります。性愛を呪詛というのは一体どういう意味を持つのでしょうね。あれでしょうか、夫と浮気相手の女の縁が切れますように、みたいな御利益があるという意味でしょうかね。それともクソ夫と円満に別れられますようにみたいなことなのでしょうか。そんな円満な話ではなくて、浮気したやつを呪い殺すみたいな話でしょうか。なんせ呪詛ですし。大明神になっても強いよ、お綱さん!
ちなみに長宮院は福岡大空襲で焼失してしまって、廃寺となってしまったのですが、跡地には家庭裁判所が建ったというのも因縁めいているなあと思います。家庭内のトラブルも扱う裁判所ですしね。ちなみにこの家庭裁判所も2018年に移転しまして、長宮院跡地は現在は空き地となっております。ここには将来複合ビルが建つ予定だそうです。2030年ごろにホテル、オフィスビル、憩いの公園などに生まれ変わるそうですよ。
お綱さんを最初に供養したお寺跡地が、ついに一般の土地になるのですね。しみじみしちゃう……。
というか、長宮院が、そもそもお綱さんの夫の自宅跡地に建ったという話も聞きました。
つまり「夫の自宅→長宮院→家庭裁判所→ビルとホテル」ということ? この辺の地理がちょっとわかりませんでした。夫の自宅も城内なのか城外なのかもよくわかりません。情報が間違っていたらごめんなさい。
お綱さんはその後、二上山眞光院というお寺で供養されたのですが、その眞光院も移転し、それとは別にお墓もよそにあるしで、お参りにいくのもどこに行けばいいのやら、現在では複雑なことになっております。400年という歳月を感じますね。ちなみに眞光院では「お綱大明神供養会」も毎年4月に行われているようです。
サレ妻の復讐から400年……。
「養育費を払わない浮気夫なんか、薙刀でヤってしまえ」という、お綱さんのこと、語り継いでいきたいなと思います。
お綱さんは夫が浮気したから殺そうとしたんじゃなくて、養育費の支払いを拒否されたから夫をヤってしまおうとしたのです。ここ大事! これは女の嫉妬の話ではないのです。母親が絶望したという話なのです。
大阪の女についても、お綱さんにとって復讐の対象ではなかったようです。大阪の女がその後どうなったか、何も伝わっていないんですよ。もしも呪いによって不幸な目に遭っていたら、何かしら伝わっているはずです。お綱さんは彼女を恨む気持ちになれなかったのかもしれません。
そんな懐の深いところもあるお綱さん。
できることなら子供は殺さないで欲しかったなあと思います。とはいえ江戸時代、実家を頼れない子連れのサレ妻は、とても生きていけない時代だったということなのかもしれませんけれど……。
善作も自殺しなくてよかったよね。っていうか本当に自殺でしょうか? 夫に殺されたのでは? そういう可能性も考えてしまいます。善作のお墓ってどこにあるんだろう。最後に会ったのは誰なのか。
真相はわからないのですけれど……。
偉い立場の男たちの気まぐれに、女子どもと立場の弱い男が振り回されてしまう悲劇、それは昔も今も変わらないのかもしれません。
以上、今から400年ほど前に本当にあった、サレ妻の復讐物語でした。
福岡はお綱さんを祀っている土地です。つまりサレ妻の聖地といってもいいのではないでしょうか。
もしかしたらお綱さんは、サレ妻を応援してくれるかも。どうですか、福岡観光。ぜひおいでませ福岡。2030年にはホテルもできるわけですし、ウェルカムです。
えっ、呪いが心配ですか? 大丈夫、お綱さんは無関係の人を呪ったりはしません。だって大阪の女は呪われなかったでしょう。だから大丈夫です。というか、近年では呪いの効果も大分弱くなってきたようで、お綱門跡地の石を上司の枕に仕込んでおけば、上司は悪夢を見るという、その程度の呪いに落ちついているようです。というか枕に石を仕込まれたら寝心地が悪くなって誰でも悪夢を見ると思います。そんな感じのやつですから、大丈夫です。
ちなみに今回のストーリーでは、演出上、子供はひとりだけにしておりますが、実際にはお二人、娘さんと息子さんがおり、実際にはお綱さんは二人の子供の生首を布で包み、腰からさげて夫殺しに出かけたということです。
<おしまい>
参考文献
高良竹美監修 西日本新聞社編『福岡県の昔ばなし お話の舞台を訪ねて』西日本新聞社 2000年
かつて福岡城には「お綱門」という門がありました。
その門は今はもう取り壊されてしまったのですが、お綱門に触ると呪われると言われており、福岡の人々から怖れられていました。
☆☆☆
1623年から1654年ごろのことです。
福岡藩二代藩主、黒田忠之は、大阪でとびきりイイ女と出会いました。あまりにもイイ女だったので別れがたく思い、福岡の城に連れて帰ることにしました。当時、忠之には妻がいたのですが、大名は第二夫人をおいても良いことになっていましたので、隠すことなく堂々と連れ帰りました。
さて、大阪の女を第二夫人にしようとした忠之でしたが、なんということでしょう、家老から反対されてしまいます。
「確かにイイ女ばってん、素性の知れん相手を城に迎えるっちゅうのは、いかがなもんでしょうか。やめたほうが良かっちゃないですか」
なるほど、確かにそうやね、と忠之は考えたのかどうかまではわかりませんが、大阪の女を妻にするのはやめて、なんと部下の浅野四郎左衛門にあげちゃうことにしました。
ええ~、大阪の女もショックよね。殿様の嫁になれるっていうんで、わざわざ九州までついてきたのに、知らん男に譲り渡されちゃうなんてあんまりじゃないでしょうか。
さすがはあの忠之です。江戸時代の三大お家騒動の一つ、黒田騒動を引き起こした問題人物なだけのことはあります。(ちなみに森鴎外が書いた『栗山大膳』も、このお家騒動が題材になっているそうですよ)
さて、大阪の女を押し付けられた浅野四郎左衛門ですが、大阪の女があまりにイイ女なものだから、すっかりメロメロになってしまいました。これはもう上司公認の浮気ということですね。大阪の女にとっては冷遇されるよりは良かったでしょうけれど、浅野の妻子はたまったものではありません。
「ちょっと、あなた! 大阪の女ばっかり贔屓せんでよ」
「なんやと! 俺は主君からお預かりしたお方を大事にしているだけやのに、文句を言うなんてつまらんやつめ。もうおまえの顔なんか見たくもなか。子供をつれて出ていけ!」
こうして、妻子は家を追い出されてしまいました。本当にひどい男です。
浅野と別居することになった妻――お綱さんは、たちまち困窮してしまいます。だって無一文で追い出された上に、生活費ももらえないのですから当然です。この時代ですからパートに出るわけにもいきませんし生活保護もありません。実家に帰ることができればよかったのですが、お綱さんには帰れる故郷もありませんでした。
明日はひな祭り。
家から持ち出した着物を売るなどしてお金をつくっていたお綱さんでしたが、食うのが精いっぱいで、ひな祭りの用意もできません。
幼い娘が不憫でなりませんでした。
そこで下働きの善作に、「ちょっと旦那のところに行って、お金をもらってきてくれんやろか」と頼みました。妻のために金を出さない男でも、娘のためなら出すだろうと期待してのことでした。
しかし、浅野は、非情にも善作を追い返してしまいました。
「妻子は絶縁ばい。ひな祭りの金なんかやるもんね」
「な、なんて勝手な男だ……」
善作は自分の仕える主の器の小ささに失望し、首をつって死んでしまいました。いやー! 善作死なないでー!
善作の死を知ったお綱さんは泣き崩れました。
「ああ、夫は本当に娘を捨てる気なんやわ。私ひとりでどうやってこの子を育てていけるというの。父に捨てられてしまったら、娘は飢え死にするしかないやない……」
絶望したお綱さんは、夜更け過ぎを待って、薙刀で我が子の首を切り落としました。深く眠っていることを確認してからひと思いに切りましたから、きっと苦しまずに逝けたことでしょう。
お綱さんは娘の首を抱きしめ、何度も謝りました。
「ごめんね、生かしてやれずにごめんね。母もすぐに後を追うけん許しておくれね。……でも、その前にやることがある」
お綱さんは、片手に娘の生首、もう片手には娘の血を吸った薙刀を持ち、家を出ました。
目指すは浅野宅。どうせ死ぬなら、夫も道連れにしてやろうとお綱さんは思ったのです。繰り返しますが実話です。薙刀を扱えるということは、お綱さんは武家の娘だったのでしょうか。
さて、かつて住んでいた家に侵入したお綱さんは、夫の寝込みを襲うつもりで寝室のふすまをそっと開けました。ところが寝室はもぬけの殻、布団さえ敷いておらず、大阪の女の姿も見えません。
お綱さんは知らなかったのですが、その夜、夫と女はたまたま出かけていたのでした。
呆然と立ち尽くすお綱さんに、家の者が声をかけました。
「これはこれは奥様、いや、前の奥様、一体どうされ……ひぃ!」
お綱さんが持っていた生首を見て、皆腰を抜かしてしまいました。見知らぬ生首でさえ十分すぎるほど恐ろしいというのに、その生首はかつてこの家で生まれたお子様のものなのです。これは尋常ではない。家の者は、慌てて用心棒を呼びました。
あらわれたのは明石彦五郎という浪人で、血のしたたる生首と薙刀を見るや、問答無用とばかりに斬りかかりました。
人を斬るのになれた浪人が相手ではとても勝ち目はなく、深く斬りつけられたお綱さんは屋敷から逃げ出すのが精いっぱいでした。
逃げ出したお綱さんは、暗い夜道を、お月様の明かりだけを頼りに歩きます。次に目指すは福岡城、黒田忠之の居城です。城までどれぐらいの距離があるのか……しかし、お綱さんにとって、そんなことは問題ではないのです。
斬られたところからは血がどんどん流れていきます。ですが、両手は生首と薙刀でふさがっていますから、手当はもちろんのこと傷口を押さえることさえできません。
流れる血もそのままに、お綱さんは歯を食いしばって福岡城に向かって歩き続けました。
痛みで足がとまってしまうたび、お綱さんはかすむ目で天守をにらみつけて、おのれを鼓舞します。
もとはといえば、黒田のお殿様が夫に女を押し付けたのがいけない。
夫を殺すことはできなかったけれど、ならば……。
「このまま死んでなるものか、それでは娘が浮かばれん」
お綱さんは、ふらつきながらもなんとか城門までたどり着いたのですが、とうとう薙刀を取り落とし、膝をついてしまいました。
「ここまでか……」
お綱さんは片手で娘の生首を胸にしっかりと抱き、もう片手を門にかけた姿で息絶えました。
この門を、「お綱門」と呼ぶようになり、触ると祟られると言われるようになりました。
のちに老朽化し、お綱門を取り壊さないといけなくなった時は、丁寧に供養をして、お寺で霊を祀るなどしたそうです。当時の福岡の偉い人々はかなり呪いを怖れていたようです。
なお、この浅野という夫ですが、周囲の者からヒソヒソヒソヒソ……随分と白い目で見られたという話です。浅野は、その後、病死したとかストレスで死んだとか、ざっくりとしたことしかわかりませんが、良い死に方はしていないという説があります。それもまたお綱さんの呪いなんだとか。
お綱さんを殺害した浪人も、何らかの罪をおかして処刑されたとか、いや浅野と同一人物だったんじゃないかとかいろいろ言われておりまして、はっきりしたことはわかっておりませんが、どちらにせよ不幸な死に方をした、という話が伝わっているようです。
本当のところはわかりません。その当時、何があったのか、今となっては知るすべがない。しかし浅野も浪人も不幸になってほしいと福岡の人々は願ったのではないかなと私は思います。だからこそ男たちは呪われて不幸になったというお話が福岡には残り続けたのではないでしょうか。
あと、このころに出されたとされている慶安の御触書(正確な年代等について真偽不明)によると、「百姓は分別がなく、先のことを考えないから、妻や子どもにおしげもなく米や雑穀を食べさせてしまう。食べ物を大事にしろ」などと書かれておりまして、この時代、えらい人より庶民のほうが妻子に優しかったのかもしれません。
そういう時代だから、余計にお綱さんが支持されたのかもしれませんね。
後にお綱さんは、「お綱大明神」となり、家庭円満や良縁を願う人々の信仰を集めました。その一方で、お綱門跡地の石を拾って嫌いな相手に持たせることで、相手を病気にしたり、不幸な目に遭わせたりすることができるという呪いの側面もあわせ持つようにもなりました。
また、お綱さんを供養したお寺「長宮院」は男女の縁切りで有名だったとも言われておりまして、家庭円満なのか縁切りなのか、そこにもまた二面性があるなあと思います。福岡市博物館のサイトの説明には、「お綱の霊は長宮院に男女の性愛を呪詛するお綱大明神として祀られました。」と書かれてあります。性愛を呪詛というのは一体どういう意味を持つのでしょうね。あれでしょうか、夫と浮気相手の女の縁が切れますように、みたいな御利益があるという意味でしょうかね。それともクソ夫と円満に別れられますようにみたいなことなのでしょうか。そんな円満な話ではなくて、浮気したやつを呪い殺すみたいな話でしょうか。なんせ呪詛ですし。大明神になっても強いよ、お綱さん!
ちなみに長宮院は福岡大空襲で焼失してしまって、廃寺となってしまったのですが、跡地には家庭裁判所が建ったというのも因縁めいているなあと思います。家庭内のトラブルも扱う裁判所ですしね。ちなみにこの家庭裁判所も2018年に移転しまして、長宮院跡地は現在は空き地となっております。ここには将来複合ビルが建つ予定だそうです。2030年ごろにホテル、オフィスビル、憩いの公園などに生まれ変わるそうですよ。
お綱さんを最初に供養したお寺跡地が、ついに一般の土地になるのですね。しみじみしちゃう……。
というか、長宮院が、そもそもお綱さんの夫の自宅跡地に建ったという話も聞きました。
つまり「夫の自宅→長宮院→家庭裁判所→ビルとホテル」ということ? この辺の地理がちょっとわかりませんでした。夫の自宅も城内なのか城外なのかもよくわかりません。情報が間違っていたらごめんなさい。
お綱さんはその後、二上山眞光院というお寺で供養されたのですが、その眞光院も移転し、それとは別にお墓もよそにあるしで、お参りにいくのもどこに行けばいいのやら、現在では複雑なことになっております。400年という歳月を感じますね。ちなみに眞光院では「お綱大明神供養会」も毎年4月に行われているようです。
サレ妻の復讐から400年……。
「養育費を払わない浮気夫なんか、薙刀でヤってしまえ」という、お綱さんのこと、語り継いでいきたいなと思います。
お綱さんは夫が浮気したから殺そうとしたんじゃなくて、養育費の支払いを拒否されたから夫をヤってしまおうとしたのです。ここ大事! これは女の嫉妬の話ではないのです。母親が絶望したという話なのです。
大阪の女についても、お綱さんにとって復讐の対象ではなかったようです。大阪の女がその後どうなったか、何も伝わっていないんですよ。もしも呪いによって不幸な目に遭っていたら、何かしら伝わっているはずです。お綱さんは彼女を恨む気持ちになれなかったのかもしれません。
そんな懐の深いところもあるお綱さん。
できることなら子供は殺さないで欲しかったなあと思います。とはいえ江戸時代、実家を頼れない子連れのサレ妻は、とても生きていけない時代だったということなのかもしれませんけれど……。
善作も自殺しなくてよかったよね。っていうか本当に自殺でしょうか? 夫に殺されたのでは? そういう可能性も考えてしまいます。善作のお墓ってどこにあるんだろう。最後に会ったのは誰なのか。
真相はわからないのですけれど……。
偉い立場の男たちの気まぐれに、女子どもと立場の弱い男が振り回されてしまう悲劇、それは昔も今も変わらないのかもしれません。
以上、今から400年ほど前に本当にあった、サレ妻の復讐物語でした。
福岡はお綱さんを祀っている土地です。つまりサレ妻の聖地といってもいいのではないでしょうか。
もしかしたらお綱さんは、サレ妻を応援してくれるかも。どうですか、福岡観光。ぜひおいでませ福岡。2030年にはホテルもできるわけですし、ウェルカムです。
えっ、呪いが心配ですか? 大丈夫、お綱さんは無関係の人を呪ったりはしません。だって大阪の女は呪われなかったでしょう。だから大丈夫です。というか、近年では呪いの効果も大分弱くなってきたようで、お綱門跡地の石を上司の枕に仕込んでおけば、上司は悪夢を見るという、その程度の呪いに落ちついているようです。というか枕に石を仕込まれたら寝心地が悪くなって誰でも悪夢を見ると思います。そんな感じのやつですから、大丈夫です。
ちなみに今回のストーリーでは、演出上、子供はひとりだけにしておりますが、実際にはお二人、娘さんと息子さんがおり、実際にはお綱さんは二人の子供の生首を布で包み、腰からさげて夫殺しに出かけたということです。
<おしまい>
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高良竹美監修 西日本新聞社編『福岡県の昔ばなし お話の舞台を訪ねて』西日本新聞社 2000年
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