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最終章 契約終了ってことで

第71話

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──三年後。


「梅将軍、田中インテリア産業さんの追加の見積完了です。次の見積り依頼くださいっ」

明菜が私に完成した見積の束を差し出しながらオレンジベージュのルージュを引き上げた。

「あら、明菜ちゃんやけに張り切ってるのね。何かいいことでもあったの?」

「え?いや別にないですけど……えっとその明日有給いただくので……」

「あ、誕生日っていってたものね。誰かとイタリアンにいくんだっけ?」

「えと、そうですね……」

明菜は頬を染めながら少し俯く。最近明菜はより綺麗になった。理由はわかっているのだが明菜は未だに恥ずかしがって、私にはっきりとその存在についての明言を避けている。

その時ガチャリと扉が開き、女だらけの見積課がいつものように騒がしくなる。

「梅子いる?」

「あ、ここよ」

私が手を上げれば、その男は図面片手に真っすぐにこちらに歩み寄って来ると、明菜を見て少しだけ困惑した顔をした。

「これはこれは、TONTONの営業本部長がわざわざ私のとこにくるなんて、どうせ急ぎの案件なんでしょうね」

「まだ本部長の実感ないけどね」

殿村が肩をすくめて見せた。

「で?どの現場?」

「あぁ、新規の星川不動産が建設予定の温泉旅館の図面なんだけど……これ今日中金庫にお願いできる?」

その殿村の言葉に明菜がおずおずと会話に入ってくる。

「あ、の……本部長……良かったらその私が作成しますけど……」

明菜が小さく掌を差し出せば、殿村がすぐに頭を掻いた。

「えっと……森川さんに悪いな。その負担にならないなら……お願いしたいんだけど」

「あ、全然大丈夫です。ではこれ作成したら金庫に入れておきます。あの、暗証番号は、い……いつもので」

「うん……えっと悪いね。宜しく」

明菜は顔を真っ赤にしながら図面を片手にデスクへと戻っていく。殿村は明菜が席に戻るまでその後ろ姿をじっと見つめていた。

私は二人のやり取りを見ながら思わず盛大にため息を吐きだす。

「もう、じれったいわね……毎度毎度じれじれしてる殿村とかわいい部下をみる私の身にもなってよっ」

「お、なんだ?梅子もついに欲求不満か?」

殿村が唇を持ち上げながらいつものように軽口をたたく。

「な……なんてこと職場で言うのよっ!」

「ははは、ま。御堂が帰ってきたらたんまり相手してもらえよ」

「ちょっと……声が大きいわよ……」

「ん?なんだ?入ってきたときから思ってたけど、浮かない顔してるな」


世界が私を置いてイタリアに行ってから三年と一カ月が過ぎた。三年ピッタリに帰ってくるとは思ってはいなかったが、この一カ月、私の心はずっとおちつかない。

鳴らないスマホをもう何百回みただろうか。今日か今日かと世界の帰りを心待ちにして、早く声がききたくてたまらなくなってくる。


「三年……以上たったからちょっと心配で……」

殿村がすぐにふっと笑った。

「心配しなくても梅子にご執心のあの噛みつきワンコが、このまま梅子を野放しにしておくなんて考えられないね」

「だといいけど……」

私は湯飲みの中の緑茶を胃に流し込んだ。

「あ、梅子。さっき本部長以上の上役会議があってね、新しく海外マーケティング部が開設されることになって、その海外マーケティングの部長が明日着任するみたいだよ。見積課とは細やかに連携する部署になるから必ず挨拶しとけよ?ま、向こうから来るだろうけどな」

殿村が意味ありげに唇を持ち上げた。

「え?海外マーケティング部の部長?」

「あぁ、生意気なまだ若いヤツみたいだから噛まれないように気をつけろよ」

「ちょっと、噛まれるって……」

直ぐに犬耳と尻尾とつけてガルルッと牙をむき出しにする世界の顔がよぎる。私が誰かに噛まれるなんて思ってないが、もしそんなことがあったとしてバレたら世界に噛み殺されるだろう。

「恐ろしいじゃない……」

「ははは。冗談。じゃあまた、残業もほどほどにして今日は早く帰れよ」

「了解よ、殿様本部長」

「その呼び方やめろよ、梅将軍」

「もうー……殿村」

「ははは、おあいこだな。じゃあまたな」

殿村がにんまり笑って手を挙げると見積課からでていった。

私はスマホをそっと開く。あの日からお守りにしている世界からの最後のメッセージだ。


──『どんなに離れてても心は一緒だから』


「……そうよ、梅子!きっと大丈夫!」

(きっと……いつか迎えにきてくれるから……)

私は軽く両頬を叩くと図面を手繰り寄せ、再びパソコンを叩き始めた。

TONTON株式会社のエントランスを潜り抜け、電車に乗るといつものように夜空には星が瞬いていて、あの日世界とみたまあるいお月様がベージュの色を纏ってこちらを見下ろしている。

(あ、もう22時か……)

世界がイタリアに行ってからはこうして以前よりも残業して帰る日々が続いていた。家に帰れば隣に世界が居ないことを嫌でも思い出して俯きそうになるからだ。

私は改札をぬけるとコンビニでお弁当を買う。

「世界くんに怒られちゃうな……」

ちゃんと食事をするよう言われていたが、結局、一人でオムライスを作ってたべても、豚キムチを食べても世界の顔が浮かんできて涙が滲みそうになる私は、いつからかコンビニ弁当で済ますようになっていた。

(会いたいなぁ……)

見上げたお月様がすぐにぼやけそうになって慌てて首を振った。

「だめだめ……泣いたって世界くんに会えるわけじゃないんだから……」

十分ほど歩けばいつもの見慣れたマンションにたどり着き、私はエレベーターに乗り込む。チンッという小気味の良い音がしてエレベーターが開けば、私はポケットに手を入れながら鍵を探った。

ポケットからは、じゃらじゃらと音がする。

「あ……またタクシー乗ったときの小銭入れっぱなしだわ……」

ふうっと小さく息を吐き出しながら、ようやく鍵を探り当てると引っ張り出した時に小銭が数枚飛び出した。

「げっ……」


──チャリン、チャリーン……


「あっ!」

散らばった小銭のうち一枚の五円玉が、まるで車のタイヤのように縦になってコロコロ転がっていく。私はあわてて追いかけた。


「ちょっと、そこの五円玉止まりなさいっ!」

身をかがめながら走っていけば、五円玉はエレベータの扉にカツンと当たってようやく止まる。

その瞬間にエレベータの扉が開いて、なかから出てきたマンションの住人の革靴が私の五円玉を踏んづけた。

「あっ!ちょっと足!」

私は革靴から上へと視線を移す。

──そして一瞬で声が出なくなる。頭も真っ白になって思考は停止し、ただ瞬きだけを繰り返す。


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