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第7章 雷雨は恋の記憶と突然に

第46話

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※※

(もう19時か……)

今日は時間の感覚がほとんどといってもいいほど感じられなかった。時間だけじゃない。心も身体もひんやりとして温度を感じない。

しんと静まり返った見積課で、私は殿村から依頼されていた見積を印字すると課長印を押した。屋上で世界と別れ話をしてから、すぐに俯きそうで哀しくてやるせなくて何度涙を我慢したのか分からない。

(殿村がこの見積り取りに来たら……思い切り泣こう)

そんなことを考えながらも、涙は自分の意志とは関係なしに瞳からじんわり滲みだしてくる。

「もう……大人なんだから……もう少しだけ泣くの我慢でしょ……」

見積書に一粒丸いシミができて、私は慌ててテッシュで拭き取る。

「見積書汚すなんて……プロ失格……ひっく……」


──ガチャ

扉の開く音につられて視線を上げればまた一つ涙が転がった。

「梅子どうした?」

直ぐに殿村が駆け寄ってきて私は慌てて袖で目じりを拭った。

「あ、これ完成したから。ちょっと濡れてるけどすぐ乾くと思うし……やっぱ印刷しなおそっか」

私が再度コピーしようとマウスに手を掛けると直ぐに殿村が私の手元の見積書を取り上げた。

「これでいいよ。ん?このまるいシミ……」

「いや……あの目がかすんじゃって、何か涙もでやすいし、年だよね。もしかして老眼かな。あ、ドライアイか疲れ目?」

聞かれてもいないことをペラペラと話していないと、また次の涙はもうそこまで来ている。

「……困ったな」

「え?……」

見上げた殿村は私の体をそっと抱きしめた。少しだけタバコの匂いがして甘い香りの世界とは違う優しい香りが鼻を掠める。

「なんで泣いてる?御堂と何があったのか?泣かなくても……また仲直りできるよう僕が話きいて相談乗るから、泣くな……」

殿村の掌が私の髪を何度も漉くようになでて、その掌のあたたかさに涙が止まらなくなった。

「ひっく……私……もう……どうするのが正解、だったのか……わかんなくて……」

「うん」

「世界くんと……離れるの……こんな……ひっく」

殿村が私から体を少しだけ話すと顔をのぞき込んだ。

「御堂と……別れた、のか?」

別れたというフレーズが頭をぐわんとめぐる。また泣き出した私を見ると殿村が苦しそうな顔をしている。

「……殿、村?」

「梅子が泣いてるとどうしてやればいいのか分からなくなる。御堂と別れたって聞いて少しほっとしている自分と、梅子の泣いてる姿にどうにか御堂とまたやり直すことができないのか無意識に考えてる自分が居て……」

「…………」


「……優柔不断っていうのか、考えが定まらなくて……何ていって慰めてやればいいのか分からないんだ。ごめんな」

私は大きく首を振った。そして気づけば殿村の背中に両手を回してジャケットごとぎゅっと握りしめていた。

「殿村は全然……悪くない……私こそ……ずるくてごめんなさい……」

自分が弱っているからと言って、こんな時だけ殿村の想いを知ってて優しさに縋って、傍にいてもらいたいと思う私は本当にずるい。これが殿村を傷つける行為にしかならないと分かっているのに。

「梅子こそ謝らなくていいから……」

殿村が私の頬に触れると涙をそっと掬った。

「梅子……いまこんなこと言うの非常識だと思うし、僕こそずるいと思う。それでも……梅子が元気になるまで僕にそばに居させてもらえないか?」

穏やかで真っすぐな殿村の瞳に私が小さく映って見える。

「深く考えなくていいから……今だけでいい。隣に居たいんだ」

「……殿村……私……」


──チャーラーチャラーララーチャーラーチャーララー

静かな事務所内に鳴り響いたスマホの音に殿村がふっと笑った。

「久しぶりに聞いたな、ほら、早く出ろよ」

「あ……うん……あれっ」

スマホを見た私は思わず声が出た。見慣れない番号からの着信だ。

「御堂か?」

「ううん。誰だろ?ちょっとだけ出るね」

私がスワイプすると、すぐに桜子ではない声が聞こえてきてサイレンのような音も混ざっている。


──『もしもし源桜子さんのご家族の方でしょうか?』

「え……?そう、ですけど」

嫌な予感に心臓がバクバクしてきて呼吸も浅くなってくる。あの日の父の訃報を伝えられた時の電話が一瞬重なる。

──『落ち着いて聞いてください。桜子さんが展覧会会場で作業中に倒れられて鈴木すずき総合病院へ搬送中です』

私が掌で口元を抑えると同時にスマホが落下していく。
カチャンと音を立てたスマホを殿村が拾いあげると直ぐに耳元に当てた。

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